触れられない距離

神崎

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一人飯

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 引っ越してきたアパートは前にK街で住んでいた部屋とあまり間取りは変わらない。リビングダイニングと、部屋が二つ。一つは響子と一馬の寝室であり、今は海斗も一緒に寝る。だが将来的にはもう一つの部屋が海斗の部屋になるのだろう。
 そのリビングダイニングにはカレーの良い匂いがした。それは一馬が早く帰ってきたので作ってくれていたのだろう。その一馬は食事が終わり、真二郎と響子が帰ってきたのを見てまた出掛けてしまった。二週間もこの国にいなかったのだ。スタジオミュージシャンの顔もある一馬は、溜まっていたその仕事をするのにスタジオへ行くのだろう。そうやってまた家を空けるのだ。その辺はあまりいつもと変わらない。
「父ちゃんのカレー美味しいよ。それからねぇ、お土産を買ってきてくれたんだ。」
「何を買ってきてくれたんだ。」
「ほら格好いい。」
 そう言って海斗は真二郎に赤いスポーツカーのおもちゃを見せた。ブリキか何かで出来ているレトロなモノで、ネジを巻けば走り出すのだ。そういうモノが好きなのかはわからないが、海斗はそれを持って嬉しそうだった。
「どこで買ったのかな。あっちにはテーマパークなんかの大きいモノがあるのに。」
 だがあのテーマパークではキャラクターをモチーフにしたカチューシャなんかが売られていて、あのテーマパークの中だし、みんな付けているのでそういったモノを付けることもあるだろう。だが一馬がそう言うモノを付けてはしゃいでいるとは到底思えない。メンバーの子供が一緒に行ったという話は聞いているが、一馬はおそらく行かなかったと言えるだろう。
 そういうところは子供に合わせない男なのだ。変に気取った所がある。それは最初から見抜くべきだったのかも知れない。
 口を開けば人生を悟ったような言い方をし、体も大きく強面の顔立ちをしているので何故か説得力があった。だから真二郎もこの男なら響子を任せられると思っていたのだが、それは大きく外れていたことに今になって気づく。
 馬鹿にされたくないと虚勢を張り、経験したわけでは無いのに妙に説得力のある言葉を口にする。それなのに人の気持ちはあまり理解していないように思えた。
 その証拠に、響子が嫌がっている響子の両親との交流があったようだ。ツアーなんかで地方へ行けばその土地のお土産と共に海斗の写真を送ったり、近況を伝えたりしていたらしい。もっとも住んでいる所なんかは伝えなかったのは救いだろう。伝えていたりしたら、遠慮無しに響子から引き離すつもりだったから。
 やはり響子の側に居るのは、真二郎しかいない。あのオーナーでも無く、従業員でも無く、一馬でも無い。響子と一番わかっているのは真二郎なのだから。
 響子の傷を癒やせると思っていた一馬は、響子の傷をえぐるだけだった。それなのにほとんど響子の側に居ないのだから、頼りないと思われても仕方が無い。真二郎は響子の傷に寄り添うだけだった。それでも響子はきっと真二郎を頼っている。
 産まれてきた海斗だって真二郎を父親のように慕っている。一馬と別れれば、もしかしたら真二郎をお父さんと呼ぶかも知れない。血の繋がりなんかどうでも良いのだ。これから響子に自分の子供を産んでもらえば良い。そして家族になれるはずだ。こんな冷えた家族なんかよりはよっぽど良いはずだから。
 想像を膨らませながら、一馬が作ったというカレーを口にする。刺激物は響子は仕事の前は取らない。だからこのカレーだって全然辛くない。子供に合わせているというのもあるのだろうが、響子はこういう所にも気を遣っているのを一馬は知っている。だからこのカレーにはニンニクなどの香りが強いモノも入っていない。それでも美味しいと思えた。
「母ちゃん。カレーまだ沢山あるね。」
 何人分作ったというのだろう。明日も食べられるようにしているのかどうなのかわからないが、そういう所も真二郎をいらつかせている所なのだ。
 その時だった。玄関のチャイムが鳴る。その音に真二郎は食べていたカレーのスプーンを置いて立ち上がった。この場所は限られた人しか知らない。従業員やオーナーは引っ越しを手伝ったのもあり知っているだろうが、そのほかとなると限られてくる。オーナーは京は予定があると言ってK街へ言っているはずだし、従業員は恋人が言えにやってくると言っていた。その恋人もまた響子とは仲が良いので、その二人がやってきたのだろうか。そう思いながら真二郎は原研へ向かいのぞき穴から向こうを見る。するとそこには想像もしない人がいた。
「え……。」
 戸惑いながらドアを開ける。そこには翔の姿があった。
「こんばんは。真二郎さん。ここに居たんですか。」
「え……あぁ。何で……。」
 翔も引っ越しを手伝ったとは聞いたことがある。それに翔の家に響子と海斗はずっと世話になっていたのだ。この場所を知らないわけは無い。それにしてもどうしてここへやってきたのだろう。
「一馬は居ますか。」
 一馬と同じバンドに居るのだ。それなら納得出来る。そう思い直して真二郎は少し笑顔になりながら言う。そうだ。この男を引き込めば自体は真二郎の方へ好転するかも知れない。つまり響子と一馬を別れさせるのだ。
「一馬さんは出掛けましたよ。仕事があるとかで。」
「へぇ……。帰ってきたばかりでそんなにバタバタする仕事があったのか。まぁ……でも俺も無理も無いですけどね。」
「え?」
「二週間も居なくて、仕事が溜まってるんですよ。俺はリモートで何とかなるかなって思っていたんですけど、甘かったですね。そんな暇は無かったし。一馬も他のメンバーも同じようなモノでしたから。」
 つまり理解は出来ると言うことだろう。こちらに流れそうだったのに、同じメンバーだからとその辺を全く疑っていなかったのだ。
「あぁー!翔君。」
 リビングの方から海斗が駆け寄ってくる。そして翔の足に飛びついてきた。
「海斗君。元気だったかな。」
「うん。あのね。共闘ちゃんがカレー作ってくれてね。翔君も食べない?」
「いや。俺は良いよ。帰ったら用意してくれて居るみたいだし。」
 芹が食事を作ったらしい。すっと響子と沙夜がしていたことなのだが、芹も簡単な料理くらいは出来るようになったようだ。と言ってもやはり沙夜には敵わないが。
「海斗君。これはお土産だよ。響子さんに渡しておいて。」
 そう言って翔はバッグの中からビニールの袋を取りだした。それはあのテーマパークのロゴの入ったモノだった。
「わーい。」
「じゃ、俺はこれで。」
 そう言って翔は帰っていこうとした。するとリビングの方から響子が玄関の方へやってくる音が聞こえる。そして真二郎を見ないまま、翔に駆け寄ると二人はそのまま出て行った。
 響子のその視線を知っている。一馬に向けられていたあの視線だ。そしてそれは今、翔に向けられようとしているのだろうか。そう思って真二郎は手をぎゅっと握る。
 まさかそんなことがあって良いと思ってなかった。思わぬ伏兵が現れたことに、真二郎はまた不安を抱えながら海斗と共にリビングへ戻っていく。
 大丈夫。まだ何も無いのだ。そう信じて。

 「二藍」のメンバーの仕事というのは、沙夜はあらかた把握をしている。依頼主何かの身元や会社なんかを調べ、あまりはっきりしなかったり評判の良くないモノは本人に確認したあと、断ったりすることもあるのだ。
 一馬が受けている仕事は幅広い。今日録音しているモノも、役者で人気のある男が歌手デビューをするというのでそのバックの音楽だった。そしてその曲を作っているのも最近よく名前の聞く作曲家で、どうやらあまり音楽の知識は無いようだ。
 最近は知識が無くても簡単に作曲が出来たりする。その分実際に弾いてみると無茶なコード進行だったりするので音を上げる人も多い。それでも一馬は器用にそれを弾いている。
「それにしても知識が無いからこういう自由な曲が出来るんでしょうね。」
 沙夜はそれでも感心しているようだ。なまじ知識があると自由に弾けないこともある。それは奏太を見て思ったことだった。
「ただ弾くのには難しい。パソコンやシンセサイザーだったら簡単に弾けるんだろうが。」
「そうね。生の音で演奏する想定で作っていないんでしょう。」
 かといって簡単な曲にしていると、どうしても似たような曲になってしまう。そのさじ加減が難しいのだ。だが沙夜なら、そんなことは一切無視して作るだろう。弾きたいように弾いて、自分が楽しめる曲を作るのだ。そしてそれを聞いた人はみんな楽しい気持ちになる。そんな曲を作るのだから。
「しかし……ここまで音楽漬けだと、限度があるな。」
 二週間外国へ行っている間はずっと音楽をしていたわけでは無かったが、それでも音楽が目的で行ったわけなのだから。マーケットへ行ったときにも大道芸を見たときもどこか音楽が頭にあった。
 そして帰ってきたら更に音楽が待っている。少し息抜きをしたいと思っていた。
「ジムへ行ったりしないの?体を動かしたら気が晴れそうだけど。」
「それも行くが、こう……正月に山に登ったときのように全く違うことをしたいと思っていてな。」
 その言葉に沙夜はふと思い出したように言う。
「明日、私は田舎の方へ行くんだけど。」
「田舎?」
「お世話になっている人のところへ畑を手伝ったり、鶏舎の仕事を手伝ったりしてね。」
「それは面白そうだ。」
 一馬は少し笑うと、沙夜は思いきって一馬に聞く。
「あなたも行かないかしら。」
 その言葉に一馬は少し動揺した。だが良い考えかも知れない。畑仕事なんかをしたことが無いが、沙夜が生き生きとしていつも行く所なのだという。それには興味があったから。
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