触れられない距離

神崎

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覗き

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 N県へは仕事のつもりで行ったわけだが、ライブハウスへ行けば酒をもらい、居酒屋へ行けば漬物をもらった。都会ではあまり見かけないような漬物で、おそらく沙夜が喜ぶだろう。漬物だから保存は利くし、帰ってきてから食べさせても良い。
 芹はそう思いながら、手土産を持って編集社へ来ていた。「渡摩季」としての詩集の二弾は好評で、増刷を更に繰り返しているらしい。その上一作目のモノもそれにしたがって増刷されているのだ。
 上を目指すわけでは無いが、ここまで来ると気分が悪いわけが無い。今日、ここへ来たのは藤枝靖に呼び出されて、文芸誌にコメントを出して欲しいというモノだった。「渡摩季」は女性のイメージがある。しかしそれは世の中が勝手に作ったイメージだ。それを崩さないように慎重に言葉を選んでコメントを書いた。すると靖はそれを見て頷く。
「良いよ。これ。」
「そう?」
「「です、ます」言葉だったら男性とも女性とも取れるし。」
「捨てられた女だろ?儚い感じ。」
「その通りだね。佐久間芙美香さんの詩に通じるモノがあるなぁ。」
 あぁいう女性こそ、捨てられた女のイメージだろう。六十を過ぎても独身なのは、若いときに惚れていた大物歌手から捨てられたという噂もあるから。
「実際はもうそこまで無いんだけどな。」
 忘れかけている紫乃。そして今は側には居ない沙夜。恋愛感情なんか無いのに体を重ね続けている沙菜。どちらの立場で書いても、捨てられた女というイメージにはほど遠い。
「で、連絡来てる?」
「何の?」
「泉さんから。」
「あぁ。今外国へ行っててさ。」
「だから連絡が来てるのかと思って。」
 靖はそう聞くと、芹は少しため息を付いて携帯電話を取りだした。そしてメッセージを開く。
「ほら。向こうの海だってさ。」
 そういって貼り付けられている画像を靖に見せる。この国であれば南の島の方は海が綺麗で珊瑚なんかも綺麗に見えるのだが、その海とは格が違う。青い海はどこまでも青く、透き通るような色だった。どんな宝石でもこんな色は出せないだろう。
「綺麗なところだな。」
「だろ。」
「一緒に行きたかったんじゃ無いのか。」
「うーん……。俺、外国はあまり興味が無くてさ。」
 国内でも良いところはある。色んな所へ行った芹だからわかることだった。
「あっちは進んで行こうと思ってる?」
「仕事だから行ってるだけだろ。そこまで興味は無いって言ってたし。」
 ただ、あちらの農業や漁業がどうなっているのかは気になるところらしい。あとは地元の食事なんかだろう。広い国でどこへ行ってもその土地の料理があるのだ。
 帰ってきたら沙夜はそれを習って作るのだろうか。どちらにしても美味しいに決まってる。沙夜が作るモノだから。
「で、何だよ。いきなりそんなことを聞いてきて。」
「いや……石森さんがさ。」
「石森さんがなんだよ。」
「これだけ離れていても寂しいなんて言わないみたいだ。もしかしてもっと別の人が居るのかって。」
「下らない。」
 口ではそう言ったが、沙菜を一番に思いだした。沙夜が外国へ行ってから、芹もN県へ行った。そして帰ってきて家に帰る前に、家には一馬の奥さんの響子や息子の海斗が居ることを考えて沙菜とホテルへ行ったのだ。
 サディストにはなれないが、沙菜が咥えてくるのは相変わらず気持ちが良いし、撮影で何人もの男に入れ込まれていると言ってもとても具合が良いし、何より積極的なのだ。じらすだけじらして、懇願する言葉を言われるだけでゾクゾクする。沙夜と寝たときに同じようなことにならないようにしないとと思うくらいだ。
「朝倉さんとは?」
「朝倉さんと?」
 意外な名前が出た。しかし芹はすずには本当に興味が無いようで、不思議そうに靖を見ていた。その様子に靖はすずが少し可愛そうに思える。
「本当に興味ないんだ。」
「無いな。」
「連絡先を知れて凄い嬉しそうだったのに。」
「それは……。」
 意地もあった。沙夜は仕事だと言って「二藍」のメンバーとすっと連絡を取るだけでも嫌気が差したから。一緒に居ても「二藍」に何かあればそちらを優先する沙夜の態度にもいらついている。仕事だとわかっているが、だからといって自分を置いてまでそちらを優先するのだろうか。
 だからすずと連絡を取るようになったのは、少し意地のような感じもあるのかもしれない。体の関係は無くても友人で居られる。それは沙夜が「二藍」にしている関係と同じだと思ったから。沙夜がそれに何か言ってきても、「二藍」と沙夜の関係と同じだと思う。
「別に良いんだけどさ。あの人はあまり映画とか興味なさそうだし。」
「作られた娯楽は好きじゃ無いんだってさ。」
「音楽こそ作られた音なのにな。」
 音楽だけでは無く、文章だって、映画だって、全てが人間の手で作られた芸術なのだ。それはあまり好きでは無いのに、自分が作っているというのは確かに不自然だと思った。
「あいつはさ……「二藍」の音楽が売れようと売れまいとどうでも良いんだ。ただ自分の作品が人の耳に届いて、心に響いてくれれば良いと思ってるだけで、まぁ……いわゆる自己満足みたいなモノだよ。」
「仕事にしたらそうは言っていられないよね。うちの叔母がそうだ。」
「作家だっけ。あぁ。この間、読んだよ。あの人の作品。昔はミステリーにこだわっていたみたいだけど、今は違うんだな。」
「環境が変わったら違う作品も生み出せるみたいだ。」
 昔は人間味が無い作品ばかりだった。それに少し心が見えてきた。おそらく自分が母になったからだろう。そしてもう一人の子供がこの間お腹に居ることがわかったらしい。
 靖の初恋は、もうすでに過去のモノだった。吹っ切っているのに、寂しい気持ちがするのは叔母以上の女性に未だに会っていないからだろう。

 リー・ブラウンのスタジオから帰るとき、いつも沙夜はビニールの袋を持っている。エコバッグを買うことも考えたが、ここでは残り一週間しか居ないのだ。無駄金だと思ってビニールの袋で対応している。
 その中身は毎日のように持ってきてくれているマイケルの父親の卸してくれた食材や、ソフィアが分けてくれた食材なんかだ。
 まとめて買うという習慣が無い沙夜にとって、それはありがたかった。それにスーパーへ行ってみてわかったが、この国では冷凍食品が多い。野菜も肉も魚も全てが冷凍されているモノが主なのだ。生の野菜なんかは、マーケットへ行くくらいでしか手に入らない。またはレストランに卸すくらいだろう。
「沙夜。今日は何をもらったの?」
 純がそう聞くと、沙夜はその袋の中身を見る。
「ひじきが入ってる。嬉しい。これは煮ても美味しいわね。」
「えー?僕、ひじき苦手。」
 徹が言うと、治は首を横に振って言った。
「何でも食べないと大きくなれないぞ。」
「だってさぁ。ざらっとしてるじゃん。ご飯に載せたら黒くなるし。」
 考えもしなかったことを徹はいつも言ってくる。これが子供の発想力なのだろう。沙夜だけではなく、大人ばかりだったら出ない言葉だ。
「今日はハンバーグにしようか。ひじきを入れて。あとはキノコとか混ぜて。」
「えー?」
「大丈夫。肉っぽくなるから。」
「沙夜ちゃんのご飯は美味しいけどさ。ちょっとなぁ……。」
 治の奥さんが作る料理に比べると、圧倒的に肉が少ない。代わりに野菜や魚中心で、それが徹には物足りないのだろう。
「あれ?ソフィアから良いモノが入ってるわ。」
「え?良いモノ?」
 徹はそう言うと、沙夜の方へ近づこうとした。それを治が止める。
「車が走ってるときは駄目って言ってるだろ。ほら。座って。」
「父ちゃん。こっちに来て何かうるさい。」
「ごめん。ごめん。私が興味をそそるようなことをいったのが悪かったわ。」
 普段はあまり触れ合っていないのに、ここまで一緒に居ることが無かったからだろう。戸惑っているのは治だけでは無く、その子供達もそうなのだ。
「海斗もこうなるかなぁ……。」
 一馬はそう呟くと、翔は首を横に振って言う。
「大丈夫だよ。海斗君は凄い一馬のことが好きじゃん。」
「そうかなぁ……。」
 まだ独身の頃。一馬は実家に身を寄せていた。そこには兄夫婦と子供が同居していたが、子供達はたまにしか会わない一馬が怖かったらしい。言葉が少なかったし、雰囲気で怖かったのだろう。宿題なんかを済ませてテレビを見るという決まりは、一馬が見ればすぐに実行するのだ。
 しかし自分の子供となるとまた違うだろう。それに自分が子供にとって威圧的な態度でも、その逃げ道が真二郎であれば今度は真二郎を慕うはずだ。実際今、そうなっている。だから自分がやるせなかった。
 そこから逃げたいと思って求めたのが沙夜だったが、沙夜にこんなにはまるとは思ってなかった。この一週間で手に触れることも出来かったのは、本当に生殺しだと思う。早く、二人になれないかと思っていた。
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