触れられない距離

神崎

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炊き込みご飯

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 炊飯器のスイッチが切れて少し蒸らすように時間を置く。そしてその蓋を開けると、湯気と共に美味しそうな匂いが立ちこめた。
 まるっと入れた鮭の切り身を一度取り出して、皮と身を分ける。そして身についている細かい骨を取り除くと、そのまままた釜の中に入れた。皮の部分は気って釜の中に入れる。ほぐすようにご飯を混ぜていくと鮭の身もほぐれて、キノコの香りと鮭の匂いが更に美味しそうだ。ほんのり色づいているご飯がいやでも美味しさの期待値を上げる。
「美味しそうだな。でも多くないか?いくら海斗が沢山食べるからって。」
 芹はそう言うと、沙夜は少し笑う。
「あまったら冷凍するの。私たちがいなくてもレンジに入れたら食べられるようにね。」
「あぁ。なるほどな。」
 保存の意味を込めて作っていたのだ。沙夜はそこまでいつも頭が回っているようで、保存として焼いたり蒸したりしてすぐに食べられるものは、冷凍庫の中にストックしてある。忙しくて帰れないときには、芹や翔でも簡単に食べられるようにしているらしい。
「おにぎりの方が食べやすいから、そうしようかな。」
 沙夜はそう言ってボウルにご飯を取り分ける。少し冷ましてからおにぎりにするのだ。これは一馬に持っていく分なのだろう。
「一馬さんは今日は遅いのか。」
「そうね。地方にあるスタジオに一日中いるはずで、まだ帰ってきてないみたいね。」
 仕事が終わると連絡がある。それは一馬だけでは無く他のメンバーも同じだった。特に一馬が特別というわけでは無いが、一馬に対する感情は何となく芹にもわかっている。芹には言えないような悩みも、愚痴も、お互いに何でも言い合える存在なのだ。一馬も沙夜も強い人間のように振る舞うところがある。だからそうやって息を抜く必要があるのだ。その相手は芹ではわからない。音楽のライターをしているからと言って、音楽を本格的に勉強しているわけでは無いのだから。
 それが少し複雑だった。男と女の関係では無く、性別を超えた関係なのだろう。そんなことはわかっている。しかしあの親密さは、恋人として意味があるのかと思って落ち込むときもある。そんなときに、無性に沙菜を抱きたくなるのだ。
「俺もおにぎり握るよ。」
「そんなに数は無いから大丈夫よ。」
「良いから。一馬さんは結構食うんだろ?」
「そうね。いつも食べっぷりが凄いなぁって思うわ。」
 良い体をしているし、腹だって割れているという話を聞いた。背も高くて、沙夜と並んでいてもそこまで身長差がない芹とは全く違う。並んでいるだけで形になっているのだ。
「外国へ夏に行っただろ?」
 おにぎりを握りながら芹はそう聞くと、沙夜は頷いた。
「どうしたの?それが。」
「危ない目に遭ったんじゃ無かったっけ。」
「スタジオを借りたんだけど、何であんな治安の悪いところに借りたんだろうって思ったわ。まぁ……それも狙いだったんだろうけど。」
「あぁ。女の担当のだろ?」
 あの時の女性は結局会社を退職したらしい。「二藍」を陥れるような真似をするような女なのだ。もうこの世界にはいられないだろう。
「そうね。」
「あの時も一馬さんが守ってくれたって聞いたよ。」
 その言葉で沙夜はやっと芹が嫉妬していると言うことがわかった。その言葉に沙夜は少し笑って芹に言う。
「一馬だけでは無いわ。翔も、栗山さんは言葉が向こうの人と遜色なく話しも出来たし、そういった意味では……。」
「でもあまり良い気分はしないよ。」
 それが本音なのだろう。沙夜はそう思っておにぎりを一つタッパーに入れる。
「何も無いわ。あなたが心配するようなことは無い。確かに、一馬とは何でも話を出来る関係になっているのかもしれないけれど、それ以上の関係にはならない。」
 芹もおにぎりをタッパーに入れる。その態度が少し不機嫌そうだ。そう思って沙夜は言葉を続ける。
「もしも一馬が同性だったら。歳が離れていたら。それでも私とはこういう関係になっていたと思うわ。」
 そこまで沙夜が言うのだ。信用できないとは言えないだろう。
「ごめん。何か疑ってしまって。」
「疑うのも無理は無いわ。毎日食事を運ぶだけでは無くて、遅い時間に帰ってきているからね。つい……盛り上がってしまって、一馬にも悪いと思っていたし。朝が早いときもあるのに。」
「だったら早く帰ってくれば良い。」
 おにぎりを入れ終わり、そのほかのタッパーには揚げ出し豆腐や和え物を入れた。スープジャーにはかき玉汁を入れている。汁物だけは温かい方が良いのだ。そして沙夜が保冷バッグに入れている間、芹は自分たちの食事を注ぎ分ける。まだ沙菜と芹しか居ない。だから二人分のご飯を茶碗に入れたり、汁をお椀に注いでダイニングに並べる。
 そして沙夜はそのままエプロンを取るとリビングをあとにした。その後ろ姿を見て、芹はため息を付く。本当だったら一馬のことを疑えるような立場では無いことはわかっていたのに。
「芹。」
 テレビがニュースからバラエティーに変わって、沙菜は心配そうに芹に近づいてくる。
「わかってるよ。俺が言えるような立場じゃ無いって事くらい。」
「でもさ……。姉さんだって疑われるようなことをずっとしているじゃん。そりゃさ。あたし達だって姉さんには言えないことをしているかもしれないけど。」
「馬鹿。まだ沙夜がいるのに。」
 芹は慌てて沙菜をたしなめる。すると沙菜は少し笑って言った。
「姉さんってさ。いつもあたしに譲ってたの。」
「お前に?」
「双子だからさ。父さんがたまにあたし達が家に居るってわかったら、ケーキなんかを買って仕事から帰るときもあったの。父さんはわかっているからあたしと姉さんの分は同じモノを買うんだけどさ。他の……例えば叔母さんとかはさ。お土産だって田舎の方のお菓子をお土産に持ってくるの。種類が違うヤツ。明らかに姉さんが好きそうなモノをあたしがわざと手にしても、姉さんはいつも「良いよ、良いよ。食べたら?」って言って別のモノに手を付けるのよ。すると親もその叔母さんなんかも「さすがお姉ちゃんね」って言って姉さんを褒めるのね。それが更にイラッとさせるって言うか。」
「我が儘だよな。お前も。わざと沙夜の好きなモノを取ったんだろ?」
「そうだよ。でも姉さんに言わせたら、こういうモノは好きだけど別に今食べたいってわけでは無いし、あの叔母さんはしょっちゅう来るし、次に食べられれば良いかと思っただけだって言ってた。それにそこまで食べたいってわけじゃ無いからって。」
「……。」
「姉さんが好きだって思うのって、音楽くらいで人とか物なんかにはあまり執着心が無さそう。」
「俺は別格なのかな。」
 だとしたら罪悪感しか無い。黙って家で待つほど、沙夜に操を立てられないのだ。それは響子がしていることで響子は良く耐えていると思う。響子はそれを覚悟して結婚したのだ。帰るか帰らないかわからない夫を待つ生活。ワンオペになりがちな育児も、一人でこなしていた。
 だが響子の周りには人がいる。心の支えとして真二郎がいたり、育児の助けとして一馬の親族がいる。だが誰一人として浮気の対象では無い。その辺が芹とは違うのだ。人間として欠けていると言われているようで、自己嫌悪に陥りそうだ。
 その時だった。
「ただいま。良い匂いだな。」
 声がして二人はリビングの入り口を見る。そこには翔の姿があった。翔も明日から外国へ行く。そのために早めに帰ってきたのだろう。
「お帰り。あぁ、飯を用意しようか。」
「頼むよ。沙夜が作ったんだろ?今日。期待して帰ってきたし。」
「良く言うわ。向こうで姉さんの食事だって食べられるんでしょ?」
「そりゃね。テイクアウトや外食ばかりじゃ味気ないし。」
 翔はそう言って台所を横切る。その時だった。床に何か落ちているのを見つけて拾う。
「ん?」
 見覚えのある袋の切れ端だった。粉薬が入っていたようなモノで、市販のモノだったらよく見かけるパッケージだと思う。だがこの中で誰も風邪などはひいていないだろう。
 だったら何だろう。そう思ったとき、翔はその袋の切れ端を手の中で潰しかけた。それはコンドームの袋の切れ端だと思ったから。
 この家で誰かがセックスをしているのだろうか。個人の部屋ならともかく共有スペースでして欲しくないと言っていたのに、平気な顔でしているのだ。
 そしてその人達は安易に想像できる。あとで追求するしか無い。なんせ翔や沙夜が居なければ、きっとたかが外れたようにセックスをするのだろうから。
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