触れられない距離

神崎

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焼きプリン

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 会社に出社をして雑務をこなした沙夜は、昼頃になって一度休憩をする。弁当を食べたらここを出たい。家に一度立ち寄って、昨夜作ったプリンを持っていきたいのだ。余計に焼いていて良かったと思う。おそらく一度帰った時点でも、一馬の奥さんや子供が居るだろうからそのプリンを食べて貰えるし、軽く説明なんかは出来る。それに食費として預かっている財布を渡せることが出来るのだ。
 奥さんは料理が出来ないことは無い。本人に言わせると凝った料理は出来ないと言っているが、沙夜だって似たようなモノだ。煮たり、焼いたり、蒸したり、それくらいの料理をしているだけなのだから。
 それぞれの味付けというモノがあるだろうが、あれだけ美味しいコーヒーを淹れているのだ。料理が不味いわけは無い。
 弁当箱を取りだそうとしたときだった。聞き覚えのあるヒールの音がして沙夜は顔を上げる。やはり入り口には水川有佐がいた。そして真っ直ぐに沙夜の方へ向かってくる。
「泉さん。今から食事?」
「えぇ。」
「一緒しないかしら。隣の席は空いているんでしょう?」
 奏太は担当しているバンドの再デビューのCDジャケット撮影に今日は一日付き合っているだろう。帰ってくる心配は無い。
「食事を持ってきたんですか。」
「食事は作らないの。時間が無くてね。でもテイクアウトでもここの国のモノは美味しいわ。」
 前から思っていたが、ずいぶん外国にかぶれている気がする。それは奏太も同じだが、有佐の方が更に露骨だと思った。
「あら。美味しそうね。」
「時間が無くてあらかじめ冷凍してあったモノを焼いたり煮たりしただけですよ。ひじきに至っては冷凍していたモノを解凍しただけですし。」
「あら。でもそれでもその仕込みが無ければ出来ないことじゃない。」
「まぁ。そうですけどね。」
 奏太の席に座ると、有佐は買ってきたビニール袋を開ける。だがそこには意外にも白いご飯や、鯖の味噌煮、ほうれん草の白和えなのどの和食弁当があった。
「意外ですね。」
「あぁ。食べ物は和食が一番好きなのよ。やっぱり舌に合っているからかしらね。」
 なんだかんだでも食べ物はこの国のモノが美味しいと思えた。
「一度ね。花岡がレコーディングのために外国へ行ったとき、その世話をしたことがあったの。その時に別の外国のアーティストから声をかけられて、そのまままた違うレコーディングをしたわ。それくらい彼のベースには魅力があるのよね。」
「えぇ。わかります。」
「よく食べて、よく寝て、だから……あっちも凄く強いんだって奥様……響子から聞いたわ。」
「食事中に言う話題ですか?」
 そう言うと、有佐は少し笑った。
「あら。ごめんなさいね。あまりそう言う話題は慣れていないかしら。」
「慣れる慣れないでは無いんですよ。」
 沙夜の携帯電話が鳴った。それを見てメッセージだと思うと、それをチェックしてまたデスクに置く。
「どうかした?」
「いいえ。何でも。」
 そういえば芹と休みの日にデートをしたいと言っていたが、その日は病院へも行きたい。ピルを飲むというのは定期的に病院へも行かないといけないのだ。芹は用事があると言えばその内容までは聞いてこない。だから朝からの予約にしておいて、終わったら海へ行こうと思う。
「泉さんは恋人は居ないのかしら。」
「居ます。」
「あら。そうだったの。」
 色気の無いタイプに見えたが、一馬の奥さんも同じような感じだし、やはり硬派な感じの男が恋人なのかもしれない。
「どんな人なの?」
「普通の人ですよ。水川さんはいらっしゃらないんですか。」
 すると有佐は少し笑って言う。
「向こうに同棲している人がいるの。将来はそちらで結婚をするのかもしれないけどね。」
「それが良いと思いますよ。」
「あたしは花岡のように食事が不味いから外国へ移住はしたくないという我が儘では無いから。」
「我が儘ですかね。」
「その土地、その土地のやり方があるの。素直にそれに従えば良いと思わない?」
「まぁ……その人達の考えがありますからね。」
 沙夜はそう言ってひじきに箸を付ける。
「花岡があっちの国の料理を不味いと言ったのは、ポテトなんかをそのまま食べたからよ。味があちらは付いていないの。だから無味。」
「それから自分の好みの味付けにするとかって聞きますね。」
「それを食べて不味いって思っているみたいなのよ。とんだ誤解だわ。」
「はぁ……。」
「音楽でもそうじゃないかしら。この国の人が保守的なのは、食事と一緒であらかじめ料理人のちょうど良いあんばいの味付けにしていてそれが美味しいと言われているように、音楽はそのままスピーカーから流れてきた曲が全てだと思っているところがある。でも向こうではその音楽にすら手をかけて、自分の好きなように流す人だって居るのよ。」
 すると沙夜は首をかしげて言う。
「音楽と料理は違いますよ。音楽は作ってしまったらあとは聞く人の勝手でしょう。ある程度の音楽だったら、「二藍」だってDJがアレンジするのに嫌だとは言いませんから。」
 クラブで「二藍」の音楽が流れたのを見たことがある。言い様にアレンジをしているのがほとんどで、こういう捉え方もあるのかと思っていた。
「それに、私は人に料理を食べてもらうこともあるんですけど、嫌だったら食べなくても良いと思っていますから。」
「寂しくない?例えば彼から言われたりとか。」
 芹は文句など言わないだろう。そして一馬はそれ以上によく食べる。沙夜の周りに沙夜の作ったものを文句いう人など居ないのだ。
「食べたくなければ無理をして食べることは無いとは誰にでも言っていることです。それで食べない人も居ますけどね。それは本人の自由だし。」
 すると有佐は少し笑って言う。
「よく似ているのね。」
「何がですか。」
「向こうに居たときにも良く覚えている。ウェブの世界での作曲家。それにアレンジャー。ピアニストでもあったわね。」
「……それは……。」
 「夜」のことだろう。沙夜は少し言葉に詰まってしまった。
「その人も無理をして聴かなくても良いし、聴いて欲しいとは思っていないという文言を出していたの。それが他人の怒りを買ったのかしら。」
「怒りを?」
 すると有佐は頷いた。
「聴いても聴かなくても良いって言うのは、人によっては自分を高く上げているととらわれかねないわ。料理人だって「不味ければ食べなくても良い」って姿勢の人も居るけれど、それはプライドが高いと思われがちだわ。だからその人は凄く不器用なことをしているなと思ったの。」
「……。」
 実力だけで良いと思った。良い音楽を作っていれば自然と聴いてくれる人も居るだろうと思っていた。だがそれは違うのかもしれない。
 「二藍」の方向性はこれで合っているのだろうか。そして「夜」として自分が合っているのかもわからない。
「……水川さん。」
「何?」
「海外での純粋な「二藍」の評価ってどうなんですか。こう……こっちの国の文化がブームなのはわかるんですけど、そうでは無くて音楽的なことではどうなんでしょうか。」
 すると有佐は箸を置いて言う。
「前向きな意見としたら、ハードロックにこちらの音楽が混ざって良い融合になっていると言われている。でも否定をする人達は、気持ち悪いという人がほとんどね。」
「気持ち悪い?」
「多分、新しい音だから少し違和感を持っているみたい。純粋にハードロックというわけでは無いし、ズレなんかもあまり無いし。」
「きっちりしていて違和感があるみたいな。」
「音楽を勉強してきた人間ばかりだから綺麗に揃えないと気持ちが悪いところがあるのかもしれないわ。」
 それは奏太が口を出してきたときに言われたことだ。確かにあの音は気持ちいいとは言い辛い。
「三倉奈々子がいたときにはほとんど聞かれなかった言葉だったわね。「夜」という人が絡んでから、人気は出ているようだけれどその分風当たりも強い。この人は、きっと自由に音楽を作ってきたのかもしれないけれど、その分、これが音楽なのかという人もまた多いのよ。」
「……。」
 自分の作ってきたモノをそこまで否定されると、微妙な気分になる。沙夜はそう思いながら、また弁当に箸を付けた。
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