触れられない距離

神崎

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弁護士

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 たどり着いたのはK街。その外れにある商店街は一馬の実家である酒屋もあり、酒屋だけでは無く角打ちもしていて、徐々に人が集まり始めていた。
 この酒屋は酒が美味しい。店主である一馬の兄が選んだ酒は確かなのだ。その代わりつまみは缶詰や乾き物が中心で、たまに一馬の義理の姉が手作りしたような煮込みが出てくるが滅多に出てこないらしい。
 その酒屋を通り過ぎて、一つの建物に近づく。雑居ビルのようだが、二階には夜間保育があるようで夜でも子供達の声が聞こえる。
「里村さんはお元気ですか。」
 沙夜はそう聞くと、沢村は肩をすくませた。
「あいつも少しゴタゴタしていたが、落ち着くところに落ち着いて良かったよ。」
「娘さんが保育園を手伝っていましたよね。」
「その娘が結婚をしたからね。」
「そうだったんですか。」
 知らない名前が出てくる。それくらいこの沢村という男と沙夜は親密なのだろうか。そう思うと微妙な感情になりそうだ。
 階段を上がっていき、たどり着いたのは看板はあるが屋号が剥がれかけている。あまりその辺に気を配っていないのだろう。
 鍵を開けて、沢村は電気を付ける。中はワンフロアになっていて明るい色のカーペットが敷かれていた。棚には難しそうな本やファイルがずらりと並んでいる。ファイルは事件別に並んでいるらしい。身なりは小汚いように見えるが、その辺はきっちりしているのだろう。その辺も芹によく似ていると思えた。
「お茶を淹れようか。」
「あ、私が淹れますよ。」
「そうか。だったら茶葉はそこの棚にある。湯飲みはどれを使ってもらっても構わない。」
 おそらく沢村は最初から茶を入れる気など無かった。沙夜はそう思っていたが、それはいつものことだ。一人ならばお茶など淹れない男なのだから。そう思いながら湯沸かし器に水を入れてスイッチを入れる。
「沙菜がお世話になったのはわかったんですけど、沙夜は何か世話をしたんですか。」
 翔はバッグを降ろして、沢村に聞く。すると沢村はその必死そうな顔に少し笑いすら起きていた。やはり沙夜に気があるのだろう。あんなことがあったのに、好きになって貰える人がいて羨ましいと思った。
「大学生くらいの時かな。沙夜さん。」
「えぇ。」
 ミニキッチンで沙夜は声だけを上げる。小さな水屋には湯飲みやガラスのコップ、小さな冷蔵庫なんかがあるが、おそらく飲み物しか入っていないのだろう。
「インターネット上で、沙夜さんは誹謗中傷を浴びていた。」
「……って事は「夜」のことを?」
「あぁ。そこに座って構わない。」
 ソファーにローテーブル。おそらく依頼者と打ち合わせをするようなときにここを使うのだろう。二人がけのソファーに座ると、付いた手をしている向こう側に沢村は向かった。おそらくそこが沢村のデスクがあるのだろう。仕事に関わることなので依頼者なんかにはそのデスクを見せたくないのかもしれない。
 そして戻ってきたときには、タブレットが握られている。そして一人がけの椅子に座った。
「沙菜さんが双子の姉を連れてきたいと言うからどんな風俗嬢が来るのかと思ったけどね。自殺しそうな感じだった。ガリガリに痩せていたし、顔色も悪くて、栄養状態が良くないと一瞬で悟った。うちに来るよりもまず病院へ行った方が良いと言ってやっとまともになった。」
「……そうなったのはSNSでした。」
「嫉妬だと思うよ。あ、煙草良いかな。」
「どうぞ。」
 「二藍」の中には喫煙者はいない。だから煙草の臭いは久しぶりだった。すると沙夜がお茶を淹れてテーブルに近づく。そしてそのお茶をテーブルに置くと、側にある空気清浄機のスイッチを入れた。
「悪いね。」
「楓さんがいつも入れてましたから。」
「沙夜さんはレコード会社を辞めたらここで助手として働くかな。」
「冗談を。」
 沙夜はそう言って翔の隣に座った。
「助手として有能なのは、俺が何を求めているかというのがいち早く察知出来ることだ。楓はその辺は使える女だよ。男にだらしないだけだ。」
「……沙菜が紹介したんですよね。楓さんは。」
「あぁ。あの親と縁が切れて良かったと思うよ。そうでは無ければ、今頃裏に出演して命を落とすところだった。」
 話を聞く限り、この男の助手をしている女性は楓と良い、沙菜が紹介したのだろう。そしておそらくAV女優だったのだ。そうしないといけなかったのは、親が関係しているのだろう。
「全く。一人で産んで育てると言っても、限界があるだろうに。」
 その言葉に沙夜は少し笑った。
「まるで親ですね。沢村さんは。」
 煙草の煙を吐き出して、沢村は苦笑いをする。
「子供の一人も出来ないのに妻に逃げられたと俺の両親からは厳しい言葉だ。全く、今の時代は八十,九十まで生きるのがほとんどだし、女性も四十代後半でも初産という人だっている。」
「歳を取ってからの初産は、リスクが高いと言いますよ。」
 沙夜はそう言うと、沢村は首を横に振る。
「現代医学は進歩しているんだ。そこまで高いリスクでは無い。」
「そうでしたか。不勉強でしたね。」
 こういう議論ではあっさり沙夜が引き下がる。どこまでいえば怒るのかというのがわかっているのだろう。そして今は仕事の依頼をしようとしているのだ。変にへそを曲げられたくは無い。
「子供が欲しいと思っているんですか。」
 翔はそう聞くと、沢村は首を横に振った。
「別にいれば居たで良いが、もう五十になる。こんなおじさんの嫁に誰が来てくれるか。沙夜さんは来てくれるか。」
「いいえ。遠慮しておきます。好きなことも出来なくなるのが目に見えますから。」
 すると沢村は肩を揺らして笑った。
「音楽で人間不信になったのに、また音楽にすがるような女だ。きっと男関係も苦労するのは目に見えている。その前に引き取ってやろうと思っていたのに。」
 沙夜もお茶を一口飲むと、首を横に振った。
「沢村さんがうちの親に気に入られるとは思いませんよ。」
「親ねぇ……。」
 沙夜の両親には一度会ったことがある。二十歳を過ぎているが学生のためにサインが欲しかったのだ。すると母親からは人気者になるとそういうこともあると、こんなに被害を受けてボロボロになっているのに満足そうだった。それが少し異質に見えた。こんな環境で育った二人が、可愛そうにすら思える。
「血の繋がりがあっても、親なんてそんなモノですよ。」
 沙夜はぽつりとそう言うと、沢村は灰皿に灰を落として沙夜を見上げるようにいう。それは試しているような感じだった。
「沙夜さんがそう思っているなら、依頼されたその「二藍」のドラム担当の男か。その男もそうなのだろう。」
 そう言われて沙夜ははっとした。まんまと沢村の口車に乗せられたのだから。
「それは……。」
 翔はその様子に沢村に言う。
「治はずっと自分の子供では無いと思いながら、それでも自分の子供として育てていたんです。なのにあっちの親族が余計なことを……。」
「その程度の絆だったんだろう。血の繋がりが無いから親にもなれないと、どこかで思っていたに違いない。」
 すると沙夜は首を横に振って言う。
「違いないということは、想像上の言葉です。実際に会っていないのに。」
「……その通りだ。だが会っていなくてもわかる。子供に愛情を注いでいたという割には、子供はその愛情を受け切れていなかった。それは親として時間を取れなかったとかそういう言い訳をするかな。」
「母親よりも父親の方が時間が取れないのは、父親が主夫にでもならない限り無理ですよね?確かに極端に時間は足りなかったかもしれませんが。」
 それでも夏に奥さんの実家の方へ行った話を聞いた。住んでいるのは地方都市だったが、そこから田舎へ行きカブトムシを捕りに行ったという話も聞いている。治はそう言うことに慣れていないはずなのに、子供のためにはと木に登ったりしていたのだ。それだけでは無く海へ行ったり、まれにショッピングモールへ連れて行ったりしている。
「子供達も少なからず疑っている部分があるのだろう。だからはっきりとその男の子供では無いといわれたときに、ここにいてはいけないと思ったのかもしれない。まずは両親が子供の意思を確認してから。それからこっちに話を持ってくればいい。」
 そう言って沢村は煙草の火を消した。
「もし子供さんが向こうの家に行きたいと言った場合、どうなりますか。」
「養子縁組という形になる。ただその場合、子供を育てられるという確証が無ければ無理だ。」
「金銭面でのことですか。」
 翔がそう聞くと、沢村は首を横に振る。
「それだけでは無い。育てられる環境であるかということだ。」
「……環境……。」
 そういえば二人の親である、高柳玲二の家のことはあまり知らない。資産家だと言うことくらいしかわからないのだ。
「橋倉さんの所にいるとなったときにはどうなりますか。」
「その場合は、渡さないと言うだけだろう。だが……心配はある。」
「心配?」
「強引な手を使う場合もあるだろう。その場合は接近禁止命令が出るはずだ。」
 強引とはどういうことだろう。沙夜の頭の中には嫌な想像しか出来なかった。
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