触れられない距離

神崎

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弁護士

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 一馬の住んでいるK街のアパートは、昼間は割と騒がしい。子供の泣き声だったり、男と女の言い合いだったり、夜に仕事をしている人が多いので昼の方がみんな家に居るのだ。だがここは昼は仕事をして、夜はここに居る人が多いらしく静かなモノだった。
 建物の入り口にある掲示板には、今度の第二日曜日の午前九時から清掃活動があると書いてあった。清掃員なんかを入れることはほとんどないらしく、出来ることは住人達でするらしい。ゴミ捨て場の掃除なんかは当番制なのだ。おそらく治なんかは率先してするのだろう。面倒見のいい男だからだ。
「二階ね。」
 沙夜はそう言って階段で上がっていく。エレベーターはない。それに割と古い建物のようだ。ひび割れた所を補修している所があちこちに見られる。その分家賃は格安なのだろう。
「治はもう一人子供が生まれたら引っ越すと言っていたね。狭いのかな。この建物。」
 駐輪場には自転車なんかもあったようだが、子供用のモノも見えた。子供が居る家庭でも住めるくらいの広さはありそうなのだが。
「上の子供さんは小学生だと言っていたわ。自分の部屋が欲しいと思う時期だろうし、出来れば借家とかアパートでも二階建てのモノとかそういう所に住みたいと言っていたわね。」
「三人居れば狭くなるよね。」
 そう言いながら階段を上がっていく。そして同じようなドアが並ぶその廊下を進み、奥から三件目のドアの前に立つ。そしてチャイムを鳴らした。
 しかし音もしない。ここには居ないのだろうか。
「部屋を間違えたかしら。」
 もう一度チャイムを鳴らすが、やはり出てこない。住所を書いたメモを見て、場所を確認するがやはりここのようなのに治は出てこない。このご時世では、玄関先に名前なんかは張り出していないのだ。それが更に不安にさせる。
「ここには居ないって事はないわよね。」
「うーん……。普通なら子供を産んだ母親は、自分の実家に帰ったりするんだろうけどね。」
 翔はそう言うと一馬は少し微妙な表情になる。一馬の奥さんは子供を産んだあと、すぐに家に帰ってきたのだ。実家には戻りたくないと言って、あの夜でも騒がしい部屋に戻り、慣れない育児と家事をこなしていた。もちろん、その時には一馬は仕事の休みを貰い奥さんと一緒にやれることはやった。結果、子育てというのは母乳をあげる以外は父親でも出来ることがわかり、決して母親だけの仕事ではないというのがわかった。おむつを替えるのも、その処理をするのも、離乳食も一馬はある程度なら作れるようになったのだ。
 産後の奥さんはしばらく体が動かなかったのだから、出来ることは精一杯したと思う。自分の子供だから、それは出来たのだ。だが治は不安だろう。自分の子供では無いのかもしれないのだから。
「無駄かもしれないが電話をしてみるか。」
 一馬はそう言って携帯電話を取り出す。すると階段を上がってきた人が、三人に近づいてきた。
「あ……。」
 声を上げて三人はそちらを見る。そこには、一人の女性がいた。くせ毛の髪を一つにまとめた細身の女性。誰だろうと思って沙夜は見ていると、その女性は三人に近づいてきて言う。
「「二藍」の方ですよね。すいません。今、兄はちょっと出掛けていて。」
「兄?」
「野本真奈美と言います。えっと治さんとは義理の妹ですね。」
「あぁ。漫画家をしているとか。」
「えぇ。そうです。あぁ。そんなことまで兄は言っているんですか。」
 いつか治が言っていた。ボーイズラブの漫画を掻いている義理の妹が居ると。沙夜はもちろん「二藍」のメンバーはそれを読んだことはないが、遥人と翔の関係を興味があるように聞いてきたという話は聞いている。
「橋倉さんと連絡が付かなくてもう少ししたら外国へ行くし、書いてもらわないといけない書類があるんですよ。」
「気にしていましたけど、ちょっと今は……とにかく中に入りますか。お茶を淹れますよ。」
 真奈美はそう言って部屋の鍵を開ける。そして三人を部屋の中に入れた。玄関先で話せるようなことでは無いのだろう。
 部屋はリビングとダイニング。そして別に部屋が二つ。おそらく一つは治夫婦の寝室で、もう一つは子供達の部屋だろう。
 リビングにはベビーベッドが置いてある。生まれてくる子供のために用意していたモノだ。その横には子供用のおもちゃ箱がある。テレビゲームは無いようだ。
 全体的にモノが多く、片付いていない部屋に見えた。だが子供が居ればそんなモノだ。一馬の家だって、子供が生まれる前はシンプルなモノだったと思うが、子供が生まれると自然とモノが増える。そして一馬の音楽に使うモノやCDや機材はスタジオに移動させた。引っ越さないし、引っ越してもK街を出たくないという奥さんを考慮した結果が、スタジオを自分でもつという結果になったのだ。そしてそこに沙夜を呼べるようになったのは、自分勝手だが良かったかもしれないと思う。
 真奈美がテーブルに着いたタイミングを見て、沙夜は真奈美に持ってきた包みを差し出す。
「本当は本人に渡したかったんですけど、こちらはお祝いで。」
 真奈美はそれを受け取ると、少し笑った。こうしてみると治の奥さんに似ているように思える。だが治の奥さんの方が大分体格が良い。
「すいません。気を遣わせてしまって。」
「それで……橋倉さんは?」
 すると真奈美は少し表情を暗くして言う。
「治さんの息子さんとか娘さんのことは知っていますか。」
「え?」
 翔だけが不思議そうに聞く。だが一馬と沙夜は事情を知っている。こんな形で治の事情を知らせてしまうのは気が引けるが、仕方ないだろう。
「あらかたのことは。」
「あらかたって……何かあったの?」
 翔はそう聞くと、沙夜は少し戸惑いながら真奈美の方を見る。すると真奈美は頷いた。「二藍」のメンバーだから、治が他に知ったと言ってもきっと何も言わないと思う。
「橋倉さんの上に二人の子供さんは、橋倉さんの子供では無いの。」
「え?……それって本当に?」
 すると一馬はちらっと壁のコルクボードに貼られている二人の写真を見て、それを取り外した。そして翔の前に置く。
「治にはあまり似ていないだろう。」
 一馬も知っていることだったのか。そう思うと複雑だが、今はそんなことでやきもきしている場合では無い。そう思いながらその写真を見る。おそらく幼稚園の行事で芋掘りをしたのだろう。その時の写真だが、確かに治にはあまり似ていない。治はアフロヘアのようにチリチリの髪型をしているがそれは天然のくせ毛で、「二藍」の中でもそれはトレードマークのような感じになっている。それに肌が若干色黒で、純粋なこちらの国の人という感じに見えない。
 だがこの写真に写っている子供は色が白く、髪もストレートに見えて若干茶色がかっている。黒々している治の髪質とは正反対に見えた。
「うーん。でもほら、子供ってある程度大きくなったら髪質なんかは変わるよ。俺だって小さい頃はストレートだったし。」
 翔は若干の癖がある。だからパーマなんかを当てる必要は無く自然なセットが出来るようだ。その分、寝癖が付きやすいが。
「うちの実家に来たときにも親は気を遣って言わなかったそうですけど、治さんの実家に行ったときにはお母さんがストレートに言ったんですよね。そうしたら相当治さんが怒ってしまって。」
「普段怒らない人が怒ると怖いよな。」
 翔はちらっと沙夜を見ると、沙夜は頬を膨らませて言う。
「何よ。私がいつも怒っているみたいに。」
「翔はそうは言っていない。だが沸点は低い。沙夜はもう少し冷静になるべきだろう。」
 一馬もそう言うと、沙夜はため息を付いた。誰のために怒っているのかと思ったのだ。
「二人目の子供が出来たときに思いきって治さんはDNA鑑定をしたみたいなんです。そしたら、治さんの子供である確率はゼロだと。」
 その言葉に翔は言葉を失った。つまり本当に治は自分の子供では無い子供を育てていたのだ。戸籍では確かに子供かもしれない。しかし血の繋がりは無かったのだ。
「でも、どうして行きなり調べようと思ったんだろうな。それに血が繋がっていようといるまいと、治なら父親の役目をすると思うけど。」
 すると真奈美は首を横に振った。
「それは作られた治さんのイメージです。育児雑誌なんかにも連載をしているようですから、良い父親で良い夫であるというイメージがそうさせていると思いますけど。」
「本当はそこまで心が広いわけじゃ無い。治だって聖人じゃ無いと言うことだ。」
 一馬は少しその顔を見たことがある。南の島でのホテルで言われたことや、仲違いをしていたときのこと。案外気が強い男だと思っていた。
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