触れられない距離

神崎

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鶏ハム

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 遥人にはメッセージを送っておいた。時間が空いたら連絡が来るだろう。そう思って翔のスタジオをあとにしようとした時だった。携帯電話が鳴る。その相手は遥人だった。
「えぇ……話を聞いたの。あなたが知っていることを教えてくれないかしら。」
 そう言って沙夜は一馬と翔が居る録音ブースから演奏ブースに入っていく。二人にはあまり聞かれるといけない話だと思ったから。どうしても先入観が先に出てしまうだろう。対等な話を聞かないといけない。
 その姿を見て、翔はため息を付く。確かに毎日のようにこのスタジオに来て、曲がどのように出来ているかなどを聞いているように感じた。だがそれは仕事のことであり、こんなに親身になるのは一馬だからかも知れないという疑惑さえ生まれてきそうだ。
「翔。悪いな。こんなことでここを利用させて貰って。仕事の手も止めさせただろう。」
「かまわないよ。もう少しで俺も帰れるし。あと残り二分くらいの曲なんだけどさ。」
「帰って沙夜の食事か。」
「そうだよ。って言っても、昼も食べたんだけどね。」
「弁当を持ってきてくれたのか?」
 沙夜がそんなことまでしたのだろうか。そう思っていたが実状は違うらしい。
「芹が持ってきてくれたんだ。」
「芹さんが……。」
 ほっとした。だが何故ほっとする自分がいるのだろう。一馬も少しずつ、自分の気持ちに違和感を持っていた。
「でも温かいご飯が恋しいよ。外国に行った時もご飯は温かかったのに。そうだ。さっきのさ……。」
 新しいアルバムは外国のプロデューサーが見てくれるらしい。と言うことはまた外国へ行かないといけないのだろう。その時は沙夜も一緒なのだ。フェスの時のように一週間ほどというわけにはいかないだろう。もっと長期に外国にいる可能性もある。
「翔。沙夜とは同居を辞めないのか。」
 その言葉に翔は意外そうに一馬を見た。
「どうして?沙夜と一緒に住んでて何か問題があるかな。」
「あると考える。」
「え?」
「さっき沙夜が言ったように、「二藍」の名前が大きくなっているならお前と一緒に住んでいることが世に出れば非難の目にさらされるのは目に見えているだろう。」
「……それは今まで上手く誤魔化していたし。」
「今まではそうだろう。しかしこれからはわからない。それに沙夜だけでは無く沙菜さんのことも考えると、非難の目はますます集中する。芹さんと一緒に違う所に住んだりすれば……。」
「それは一馬が心配する問題じゃ無い。」
 その言葉に一馬は言葉を飲んだ。確かにその通りだからだ。
「そうだったな。要らないことを言った。」
 空気が一気に冷たくなった気がする。そう思って一馬は立ち上がると椅子を片付け始めた。まだ沙夜は出てきそうに無い。
「この間……沙夜が一馬の家に泊まっただろう。」
「あぁ。でもうちのもいたし、息子もいた。何か問題があるか。」
「あまりにも頼りすぎているような気がするよ。沙夜は一馬に。」
 その言葉に一馬は首を横に振った。
「そう見えるのはお前の嫉妬だろう。」
「嫉妬?」
「芹さんにもそうやって嫉妬をしているのか。」
 その言葉に翔はむっとした。だがそれは真実なのだ。家の中では同居人として扱って欲しい。いちゃつかないで欲しいと言ったのは嫉妬からだろう。好きな女が別の男の側にいて、安心したような表情を浮かべている姿を見たくなかったからかも知れない。
「……してるよ。俺、一度キスしたんだ。凄い抵抗されたけど。」
 舌をかまれたという。だが逆を言えば舌を絡めるほど激しいキスをしたのだ。それが一馬をイラッとさせる。
「正直に言うと、個人的には沙夜は芹さんとは別れて欲しいと思っている。」
「え?」
「……沙夜が思った以上に不安定で、芹さんでは支え切れていない。翔。わかっているか?沙夜の感情の起伏がこのところずっと激しいのを。」
「俺、ずっとここにいて……。」
「居たと言っても二,三日だろう。二,三日の話じゃ無い。あちらの外国へ行っていた時にも思っていたことだ。」
「奏太が原因じゃ無いのか。」
「それも一つと言っただけで、他にも抱え込んでいることもあるのだろう。」
 すると翔は首を横に振って一馬に言う。
「一馬は沙夜が安定していないから芹と別れて欲しいと思っているのかも知れない。だけど、俺には違うようにしか見えないな。」
「違う?」
「うん。一馬の感情から別れて欲しいと思ってるんじゃ無いかって。つまり……俺と同じ感情で。」
 それは沙夜に恋愛感情があるからだと言っているのだろう。そう思って一馬は首を横に振った。
「それは無い。俺は妻しか見ていないんだから。」
「口だけだ。」
 翔の言葉に一馬の表情が僅かに変わった。
「俺が妻を裏切っていると思っているのか。」
「それは無いのかもしれない。わからないけれど……俺だってそういう事もあった。恋人が居ても魅力的な人がいて、心を惹かれそうだなと思ったし。」
「馬鹿らしい。そんなに俺が色恋に器用じゃ無いのはわかっているだろう。」
 一馬が焦れば焦るほど滑稽だ。
「俺だってそんなに器用じゃ無いのはわかっているだろう。素直になったら?」
「なっても何も変わらない。妻を手に入れるのに俺がどれだけ苦労をしたかお前にはわからないだろうな。」
「話は聞いたことがあるよ。奥さんには恋人が居た時に手を出したって。」
「……。」
「今も同じ状況じゃ無いか。芹がいてその芹から沙夜を奪おうとしているんだ。」
「馬鹿馬鹿しい。」
 その時だった。沙夜が演奏ブースから出てきた。そして二人が言い合いをしているのを見て少し驚いたような表情をしている。
「どうしたの?喧嘩?」
「いいや。何でも無いよ。」
 翔はいつも通りに顔だった。一馬の方が感情を抑えきれない。イライラして手を前に組んでいる。
「思った以上に込み入った話になったわ。」
 沙夜はそう言って演奏ブースのドアを閉める。そして一馬の方を見上げて言った。
「今回の話は無かったことにしましょう。」
「良いのか?」
 一馬はそう言うと、沙夜は頷いた。
「あの事務所自体に派閥争いがあるみたい。栗山さんもそれに巻き込まれたくなくて、あの事務所を出たのが理由の一つみたいなのよ。まぁ……他にも色々あるみたいだけど。それがもう少ししたら表面化して大きなニュースになるかも知れないと。だからそれに巻き込まれないようにするんだったら、あの事務所とは今からはあまり関わらない方が良いかもしれないと。」
「遥人だからわかることだな。」
 翔はそういって椅子に深く腰掛けるとため息を付いた。
「あとは部長と話をして決めるけれど、今度のフェスは断りを入れるわ。夏目さんはどうするかしらね。」
「あいつは目の保養と言ってあぁいうフェスは、積極的に出たい感じだったが。」
「目の保養ね……。」
 同じようなことを言っていた人がいる。一馬はそれを思い出して、少し笑った。
「悪かったな。翔。仕事の邪魔をして。」
「良いよ。沙夜。食事は残しておいてくれないか。」
「わかったわ。みんなが集まるくらいには、帰れないかも知れないのね。」
「頑張って帰ろうとは思うけどね。」
 一馬と一緒に帰るつもりなのだろう。沙夜もバッグを持とうとしていた。
「あの……沙夜。」
 声をかけると沙夜は振り返る。
「どうしたの?」
 いぶかしげな顔をして一馬がその後ろで見ている。その目を見ると何も言えなくなった。
「いや……何でも無いよ。またあとで。」
「えぇ。今日は翔の好きなモノを用意するわ。楽しみに帰ってきてね。」
「あぁ。何だろう。俺、好き嫌いはあまり無い方なんだけどな。」
「前に作って、これが好きだって言っていたモノよ。あまり大した料理じゃ無いのに、お手軽な人ね。」
 沙夜はそう言って、少し笑っていた。先程までの殺伐とした空気が、沙夜の笑いで無くなってしまった気がする。
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