触れられない距離

神崎

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ロシアンティー

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 先程サンドイッチを買ったレストランが建ち並ぶエリアに一馬と沙夜が行くのを見て、五人は話を進める。おそらく沙夜には言いたくない事情が奏太にはあると思う。その理由を聞きたいと思っていたからだ。
「俺、その紫乃って人は知らないけれど、うちのマネージャーが薦めてきた本に、その紫乃って人が薦めた本があった。」
 役者としての器を高めるのに、映画を観て他の役者の演技を見ることも重要なのだが、知識の分で本を読むのもまた重要なのだろう。遥人は暇があれば本を読んでいることも多い。
「どうだった?」
 本は少し前に亡くなった作家のモノで、戦争で離ればなれになった親子が再会する話だった。どこかで読んだような使い回された内容で、テーマはずっしりした内容だった割に軽く読めるモノだと思う。純文学というジャンルになるのだろうが、それでも若い人でも読み進めることが出来るだろう。
「よく言えばわかりやすくて、悪く言えば内容が薄い。そんな感じだった。そんな本を薦めるんだなって思って、最後まで読んでみたけれど残るモノが無かった。」
 よっぽど最近の作家の本の方が内容があるように思えた。実際、遥人がこの国に来たときに暇つぶしのために持ってきた本の中に、その本はチョイスしなかったのだから。
「文芸誌にずっと居ると言っても、あまり文芸だけにどっぷり浸かっているわけじゃ無いみたいだね。よっぽど……。」
 言いかけて翔はそれを止めた。思ったのは芹を担当している藤枝という男だった。家に来ていることもあって、翔も顔見知りくらいにはなっているがここでそれを言えば芹の正体もわかってしまう。そう思って言葉を飲んだ。
「何?言いかけてやめるなよ。」
 純がそう言うと、翔は少し考えていう。
「知り合いに俺も出版社の人間っていてさ。本の虫みたいな人だ。」
「ふーん……。まぁいいや。それは。奏太。」
 治はそう言って奏太に声をかける。奏太はまだ戸惑っているようだった。
「紫乃のことだっけ。」
「そう。沙夜さんが「夜」だったことを紫乃っていう人に言う可能性があるかも知れない。」
「言わない。言う必要も無いと思う。」
「どうだろうな。お前は信用しているんだろう。その紫乃って人を。」
「……信用なのかな……。わからないけれど……。」
 子供がいると言っていた。つまり母親なのだ。そしてその目線で話をしてくれる。奏太の母親は奏太を縛り付けたい母親なのだ。自分の思い通りにしないと気が済まず、本気でプロのピアニストに仕立て上げようとした。コンテストで優勝をしても「当然」と思う母親で、笑顔すら見たことが無い。
「話をしてると子供が歩き出したとか、簡単だけど言葉を話すようになったとか、俺の母親もそう思ってたのかと思うと少し微妙な感覚になったんだ。」
「……。」
 治は既婚者で子供も二人いる。だからその気持ちはわからないでも無い。
「それに、紫乃のことも少し話を聞いたんだ。親が借金を残して蒸発したって。」
「……。」
「その返済にデリヘルに居たこともあると言っていた。大学生の頃の話だけど。」
「それ信じてる?」
 翔がそう聞くと、奏太はムキになったように翔に詰め寄る。
「そんな自分にマイナスなことを言う女が居るのかよ。」
「いるよ。同情を買わせようとしてる魂胆が見え見え。奏太って純粋だよな。」
 笑いながら遥人がそう言うと、奏太はため息を付く。
「お前らそんなに斜に構えるのか。」
「普通の人間なら信じるよ。でも紫乃さんだから信じられない。」
 翔はそう言うと、芹のことを思い出した。芹が紫乃や裕太に騙されて金を払ったことは聞いたことがある。芹自身には全く落ち度が無いことで絞り出されたのだ。それは芹が金づるだと思っているからだろう。
「奏太。もしかして……紫乃さんに金を貸したことがある?」
 その言葉に奏太は驚いて奏太を見た。何故それを知っているのかと思ったからだ。
「何でそれ……。」
「それ、返ってこないよ。」
「でも返すって……帰国したら返すって言ってたんだ。どうしても子供も事で急な金が必要だから貸してくれないかって言われて。」
「いくら?」
 翔がそう聞くと、それはあまり大した額では無かった。おそらくその気になればすぐに返せるだろう。奏太も手持ちから出せるような額だったのだ。
「でも奏太は割と金にシビアだと思ってたのに、あっさり貸すんだな。」
「……信用していたから。」
 その言葉に治が思わず口を挟む。
「世界を回ったって言ってたけれど、人の何を見てきたんだ。お前だって騙されたり金だけ奪われてとんずらされたこともあるんだろう。」
「……今度は大丈夫だと思ってた。」
 悪いのは騙して金を巻き上げようとした紫乃が一番悪いのだろう。だがそれをあっさり信用する奏太がとてもお人好しに見える。
「それでやっぱり騙されてたってわけだ。」
「でもまだ騙されたって決まってるわけじゃ無いだろう。」
「いや。賭けても良いね。」
 翔がそう言うと遥人も頷いて言う。
「俺、今度のスタジオで全員分のお茶をかけても良いな。」
「ははっ。だったら俺はケーキかな。」
「賭になら無いじゃ無いか。」
 翔がそう言うと、ずっと黙っていた純が口を開く。
「俺、その紫乃って人知らないけどさ。女が嫌なのそういう所なんだよな。」
「え?」
 純は昔、○イプされたことを思い出していた。あの新聞の営業所の休憩室で押し倒され、あれよあれよという間に事をされたのだ。新聞の営業所はインクや新聞紙の臭いで充満していたはずなのに、香水の匂いがそれを打ち消して気持ちが悪かった。
 それなのにそれが表沙汰になったとき、女の方が純からレイ○されたと泣きついたのだ。だがそれは嘘だとすぐにわかったのは、女はそういう何も知らないような男を捕まえてセックスを繰り返していたのだから。
「女は嘘をつく。表向きにはいい顔をしていながらも、平気で悪口を言うし、自分のしたことを隠すのに他の女と口裏を合わせるじゃん。」
「お前も大分屈折した考えを持ってるよな。」
 遥人がそう言うが、純の周りにはそういう女しか居なかったのだ。その際足るモノは母親だったのだから、仕方が無い。
「俺、沙夜さんには嘘をつかれたことも無いし、付いたとしてもそれは傷つけないための嘘だと思う。沙夜さんって人は自分よりも他人を大事にする人なんだ。だから信用出来る人だと思う。恋人の次くらいに。性別なんか関係なく、沙夜さんが好きだと思うよ。」
 そう言って純は笑う。本当はそういう関係でずっといたい。それをこの男に壊されたくなかった。
「純は最初の時とは雲泥の差だよな。」
 治がそう言うと、遥人も頷く。
「え?そうかな。」
「俺らの担当は最初男でさ。一馬の色々をしていたヤツがそのまま担当になってたけど、その男が本社に転勤になって沙夜さんが来たとき、女だからハードロックなんかわからないだろうって言っていたのにな。」
「俺、そんなことを言ったっけ?」
 覚えていないが、そんなことを言ったのだろう。
「そうしたら沙夜さんは「ハードロックは今まで興味が無かったけれど、聴いてみたらクラシックによく似ている。俄然興味が出てきた。」って言って純がそれで文句を言ってたよ。」
「あー……なんか思い出した。」
「お前だってクラシックはほとんどわからないじゃん。」
 翔がそう言うと、純は少し笑う。その通りだったからだ。そこから沙夜に薦められてクラシックも聴くようになった。それが純の作る音楽にも少しずつ影響が出てきている。
「純は、沙夜が身を引くって言ったらどうする?」
 翔はそう聞くと、純は口を尖らせて言う。
「でも、身を引くって言っても沙夜さんはそんなことを出来ないと思うけど。」
「そう?結構頑固だよ。沙夜は。」
「でも今まで奏太が口を出して、それを我慢して聞いていたけれど我慢の限界があったから逃げ出したわけだし。」
「……。」
「こればかりは奏太が何だろうと、自分の意思じゃ無いかな。やりたいか、やりたくないかって言う。奏太は沙夜さんよりもその紫乃っていう女の方を信じるんだろう。」
「いや。そうじゃない。」
「誤魔化さなくても良いって。人妻だっけ?別に良いんじゃ無い?旦那さんにばれなきゃ。」
 もう半分諦めていたのだろう。純がそういうと、奏太はそれを否定する。
「人妻だけは違うんだって。」
「ふーん。」
「……俺だって沙夜を失いたくないんだ。」
「でも紫乃さんも失いたくないんだろう?」
「それは……。」
「良いって。そんな無理しなくても。あとは沙夜さんの意思に任せよう。一馬が説得してくれてるかな。」
「一馬に付き合ったら、沙夜さん太るぞ。」
「少しは太った方が良いよ。沙夜は。痩せすぎてるし。」
 翔はそういって少し笑う。だが本音は一馬に任せたくは無かった。沙夜が一馬の元へ行きそうだったから。
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