触れられない距離

神崎

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ブイヤベース

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 ケーキを食べて、純と奏太はそのまま翔の家を出て行った。もうすっかり日は暮れているが、まだまだ電車はあるのだ。
 純は翔の家を出たことを、英二にメッセージを送った。すると英二の方もイベントがもう終わったらしく、落ち着いている状況だという。イベントが終わったからと言って、のんびり打ち上げなどをバンドがしていればやはり帰るのは遅くなるだろう。
 そう思いながら駅へ向かっていた。明日は純が早く起きないといけない。おそらく英二とは話をしないまま出て行くことになるだろう。
 一緒に住めば二人の時間が多くなるのかと思っていたが、やはり時間のすれ違いは大きい。
 純はため息を付き、そのまま足を進めようとした。その時だった。
「夏目さんさ。」
 奏太は不敵に笑いながら言う。
「何?」
「その嘘ゲイ辞めたら?そっちの方が楽になれるんじゃ無いの?」
 その言葉に純はむっとしたように奏太に言う。
「俺が嘘ゲイだって言うのか。」
「そうだろ?あんた、昔から男が好きなわけじゃ無くて、女に襲われたから女が嫌いになっただけだろう。」
「……。」
 それは否定出来ない。純は言葉に詰まった。
「ゲイってのを振りかざして、泉さんに近づこうとしているのか。」
「は?俺、沙夜さんに何かしようなんて思ったことも無いけど。」
「……そうじゃないと思うんだけどな。」
 すると純は背中のギターを背負い直して、奏太に言う。
「あんたも沙夜さんには近づかない方が良い。」
「俺が?」
「確かに沙夜さんは「草壁」って名乗っている人と付き合っている。けどわかるだろう。翔だって沙夜さんのことが好きで。」
 すると奏太の拳がぎゅっと握られた。
「その態度が俺に誤解を生んだんだよ。」
「え?」
「俺、最初は千草さんと付き合っているのかと思ってた。」
「……違うよ。」
「そうだよな。わかってる。「草壁」ってヤツだろ。男なのか。女なのか。」
「それは言えない。」
「担当になるってのに、それも教えてくれないのか。」
「担当だから何もかも知っているってわけじゃ無い。「草壁」の正体だって、俺らも最近知ったんだから。」
「って事は……泉さんとその「草壁」ってヤツが付き合い始めたのはあまり時間がたってないのか?」
「さぁ……。いつ付き合い始めたかなんて事は俺は知らない。一馬だったら知ってるかもしれないけど。」
「花岡さん?」
「付き合い始めればわかるけど、一馬は割と人生を悟りきったような言い方をすることがある。リーダーは治だけど、沙夜さんは一馬にプライベートのことを相談することが多いらしい。。」
「信頼出来る相手って事か。」
「あぁ。そうだと思う。」
 そこまで一馬が信用出来るのだろうか。大した人生経験も無いくせに偉そうなことをいう男が沙夜にとって一番信頼出来るのだろうか。
 しかしこれからは自分に頼ってもらわないと困るのだ。だから一馬に必要以上に相談するのを辞めてもらわないと困るだろう。
「花岡さんってそこまで信用出来るのか。」
「出来るよ。俺もパートナーのことは、一番最初に一馬に言ったんだ。ゲイなんて気持ち悪いと言われないだろうって思ったから。」
「あいつ……そこまで……。」
「え?」
 奏太はそう言って首を横に振る。いらないことを言って、「二藍」をギクシャクさせたくなかったからだ。
「今は文書で釈明してるし、それを信じるけどさ。そもそも何で花岡さんが前のバンドを壊したっていう噂が立ったのか、お前はわかる?」
 すると純は少し考えて言う。
「天草裕太って知ってるか。」
「あぁ。「Harem」っていうバンドの……。そう言えば、その天草裕太は花岡さんが入っていたジャズバンドの同じメンバーじゃ無かったか。」
「うん。そのバンドのメンバーが一馬の噂を流したって言われてる。」
「え?」
「一馬が気にくわなかったからって。あぁ……そうだ。望月さんさ。「二藍」の担当になるんだったらきっと沙夜さんから後々言われると思うけど、一馬の組んでいたバンドの元メンバーは近づけさせないで欲しい。例えば、コラボがしたいとか言われても断って欲しいんだ。対談とかも駄目だし、音楽番組なんかで一緒になるときには我慢するけど。」
「まぁ、そんな噂を立てられていたら良い気分はしないよな。わかった。でもさ。」
「何?」
「多分そんな手を打たなくても、「Harem」は自分で自滅すると思うけど。」
 そんなバンドをいくつも見てきた。奏太はそう思いながら駅の方へまた足を踏み出した。

 シャワーから上がり、純はソファーに座るとギターを手にした。アコースティックギターは確かにあまり慣れていなくて、今日はあたふたしていたかもしれない。それが子供達に伝わってしまっただろうか。そう思いながら純はそのギターを弾く。
 その時ふと思い出したことがある。
 昔、まだ純が中学生ほどの頃。アル中の父親と、不倫を繰り返す母親にはほとんど収入が無かったので、純は小さい頃から働くことにガツガツしていた。
 中学生になってやっと新聞配達をするようになり、手に入れたお金で妹に駄菓子なんかを買ったりしていたのだが、それが父親にばれてその働いたお金のほとんどを取られたのだ。給料明細を見せるように強要され、自分の手元に残ったのは僅かだったと思う。
 そんなときに、新聞配達の同僚の男が純に要らなくなったギターを譲ってくれたのだ。部活もしていない、ただ働いている純に何か楽しみを持たせたかったからだろう。しかし持って帰れば、父親に売ってこいと言われるに決まっている。そしてその売った金も父親の元へ行くだろうというと、その男は営業所にギターを置いていて良いと言ってくれた。
 そして純にギターを教えてくれた。それが嬉しかった。あのギターは捨てられない。部品が無くて壊れてしまってもどうしようも無いのだが、あの男が譲ってくれたそのギターが純の運命を変えたのだから。
 純が中学を出て高校へは行かず、アルバイトをしながらギターを弾き、バンドをいくつか掛け持った。呼ばれればすぐに行って、ギターを弾き、夜中までアルバイトをしていた。
 それから何年もたって、英二に会ったのだ。
 英二は本当に出来た男だと思う。不安定な収入の純を支えてくれたし、間違ったことをしたらやんわりと正してくれる。気も長く、料理も出来なかった純に一から教えてくれていた。
 少しギターを最初に渡してくれた男に似ていると思った。そしてそれは言葉の少ない一馬にも似ていると思う。
 ギターを弾き終わると、そのギターを置こうとした。その時声をかけられる。
「良い曲だったな。」
 それは英二だった。もうそんな時間だったのかと、純は時計を見る。だがイベントがあって打ち上げをした割には、早い時間だった。
「早くない?」
「バンドが急に解散発表したからな。お通夜みたいな雰囲気で、打ち上げどころじゃ無かったし。」
 英二はそう言って荷物を床に置くと、純の隣に座る。
「オリジナルの曲?」
「二度は弾けないヤツ。思うままに弾いてただけ。」
「純もソロアルバムが出せそうだけどな。」
「翔みたいに?」
「俺、一番に買うよ。「二藍」の曲でも翔君が作っているモノもあるけれど、やっぱり俺は純が作っているモノが一番良い。」
 すると純は少し笑って、ギターを脇に置いた。
「そう言ってくれるとありがたいよ。一人でも聴いている人が居れば、また弾こうって気になるから。」
 すると英二は純の頭をポンポンと叩くと、少し笑う。
「俺が一番のファンだからな。覚えておけよ。」
 すると純は少し笑う。そして英二のその手に手を重ねる。すると英二は驚いたように純を見た。だが純の頬が少し赤くなっている。
 純は潔癖だと思った。だから無理にこういうことをしないのかと思っていたが、それは違ったのかもしれない。そう思って英二はその手をぎゅっと握る。
「悪い……俺、これくらいしか出来なくて。」
「気にするなよ。無理にしなくても良いから。それにしても何かあったのか?いつもだったらこんなこと……。」
「昔を思い出しただけ。」
 あんな話をしたからだろうか。とにかく人恋しいと思った。
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