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連弾
229
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一馬は背負っているダブルベースを背負い直して、望月奏太に聞いた。
「あんた、今はどこの部署にいるんだ。」
「洋ロック。」
フロアも違えば、階も違う。わざわざここへ足を運んできたのだろう。一馬はそう思いながら、話を聞いていた。
「泉さん。そんなことは良いからさ。連絡先を教えてくれないか。あのメッセージアプリは入れてないのか。」
「入っているけど。」
「それでいいから。」
「嫌よ。用事がある時には会社の電話で良いわ。」
「お前出てることも多いんだろう。その間に連絡が来たらどうするんだよ。俺一人で決めろってのか。」
「だからまだあなたが担当になるかどうかってのはわからないんだから。他にも言語が強くて音楽に精通している人もいるでしょうし。」
「くそ……。」
すると奏太は「二藍」の二人を見る。沙夜は「二藍」が認めれば、考えてみると言っていた。「夜」に近づくには、「二藍」にも認められないといけないだろう。
「沙夜。何の話?」
不安そうに翔が聞くと、沙夜はため息を付いて説明した。
「二藍」の名前が大きくなりすぎていて、担当にサブを付けないかという話は前からあった。だがそれが現実味を帯びてきたのは、海外のフェスに呼ばれたことだろう。現地の人が担当につき、その応対に沙夜はずっと四苦八苦していたのだ。
「だから、言語に強くて音楽にも精通している人と言ったら、望月さんが洋ロックの部門から異動しないかという話があってね。」
「言語には強いの?何カ国語くらい?」
翔はそう聞くと、奏太は嬉しそうに言った。
「英語はもちろんだし、ヨーロッパの方とか……あとアジアの方の言葉もいける。」
「頼もしいな。なぁ、一馬。」
翔はこういう人だ。あまり気に入っている相手ではなくても、良いところを探そうとする。だがそれが相手を勘違いさせないだろうか。沙夜はそう思っていた時だった。一馬はぽつりと言う。
「放浪していたんだろう。」
「え?」
すると一馬は首を横に振って言った。
「洋ロックの部門にも顔を出すことがあった。その時言語に強い男がいると、あそこの部門の人からも聞いていたから。どうしてそんなに強いのかと聞いてみたら、放浪していた時期があると。あんたのことだったんだな。」
すると奏太は少し笑って言う。
「あぁ。そうだよ。」
「あんたの橋渡しは悪くなかった。ミケルはまた俺のベースで歌いたいと言ってくれていたし。」
「そりゃ良かった。」
「そのまま洋ロックの部門に居た方があんたのためだろうに。」
その言葉でわかった。一馬はあまり奏太を気に入っていないのだろう。「二藍」に関わられたくないと思っているのだ。
「いや……向こうとの連携が取れていないって聞いて……。それで……。」
「別にもいる。あんたじゃ無くても良い。」
「一馬。」
翔はそう言って一馬を止める。一馬が人を拒絶するのは珍しくないが、ここまで激しく拒絶することはあまり無い。のらりくらりといつも交わして、本当に気に入らなければ口をきかないこともある。だが今ははっきりと嫌だと言っている。
それがわかって奏太は拳を握りしめた。悔しかったのだろう。
「なんで俺が嫌なんだ。」
「放浪したと言うことは、定住しなかったと言える。沙夜さんは「二藍」の担当になってずっと心血を注いでくれているんだ。あんたにそれが出来ると思えない。それにこれは俺の感情になると思うがあんたは、うちの奥さんにもずいぶんなことを言っていたな。」
「奥さん?」
そう言われて奏太は一馬の方を改めて見る。すると思い出したように口を塞いだ。
「あんた……そうか……あの時の……。」
思い出して分が悪いと改めて思った。だがここで折れてしまっては、「夜」に二度と近づけない気がする。そう思って奏太は一馬に向かって頭を下げた。
「悪かった。本当に……俺が馬鹿だったと思う。」
そんな行動に出ると思っていなかった沙夜は、驚いて奏太を見る。しかし一馬は冷たく言った。
「謝る相手が違う。俺ではなく奥さんに謝ってくれ。」
「俺は……。」
「「二藍」の担当になりたいから謝るのでは無く、本当に悪いことをしたと思うんだったらさっさとそうしてくれ。本心で自分が悪いと思っているならな。」
「奥さん……ってのは、今は?」
「洋菓子店は変わっていない。ただあの洋菓子店自体もお前を受け入れるかわからないがな。」
その会話に翔と沙夜は顔を見合わせる。そこまで一馬が言うのも珍しいと思ったからだ。
一馬があそこまで徹底して人を嫌うことがあっただろうか。嫌いだと思っても表に出さないのが一馬だと思っていたが、それは違うのだろうか。沙夜はそう思いながら、退社時間になり荷物をまとめていた。
結局海外との受け渡しはまた慣れないながらも沙夜がすることになった。せめて英語であれば何とかなると、その旨を西藤裕太の口から伝えてもらい、明日には答えが出ると思う。
しかしそれでこの話が止まってしまってはいけないのだ。もしかしたら他の国のフェスからも声がかかるかもしれない。それはおそらく「二藍」のメンバーにも望むところだろう。
「お疲れ様でした。」
ほとんどもうオフィスに人はいない。そう思いながらも沙夜はいつも声をかけてオフィスを出る。そしてそのままエレベーターホールへ行き、他の人がしているようにそのエレベーターで一階へ降りる。
そしてエントランスに付くと、会社を出ようとした。そして考えるのは今日の食事のこと。冷蔵庫に何があったかと考えていたのだ。
その時、会社の出入り口から望月奏太がやってくるのを見た。そう思って沙夜は目をそらす。だが奏太は、沙夜に近づいてきた。
「よう。」
「どこかへ行っていたの?」
「あぁ。ちょっとな。花岡一馬の奥さんの所。でもあの店長に追い出されてさ。」
行動の早さに沙夜は驚いて奏太を見た。
「……俺がどれだけ浅はかに声を上げてたのかわかったよ。お前らが拒絶するのもわかる気がする。」
「それがわかって良かったわね。」
「……俺……でも「二藍」のことは諦めきれない。やっと「夜」に近づけると思ってたんだから。追いつけると思ってたんだから。」
「望月さん。ちょっと神格化してないかしら。」
「神格化?」
「「夜」に憧れを持ちすぎよ。そこまで思われたら、「夜」だって表に出にくくなるわ。一歩引いてしまうような。」
「そうかな。」
「……えぇ。もし私だったらそう思う。」
だがそこまで思われるのは悪い気はしない。本当にこの男がそこまで「夜」を思ってくれているのだろうと思い始めていた。
それでもその一歩が踏み出せない。もしこの男が表だけいい顔をしているだけだったら。この必死さも全て嘘だったら。そう思うと自分が「夜」であることを言えない。全て裏切られた苦しさを、沙夜は知っているのだから。
「あのさ……やっぱり連絡先を教えておいてくれないか。」
「どうして?」
すると奏太は少し戸惑ったように言う。
「担当になるかどうかは置いておいても、あんたとは連絡を付けていたい。個人的に気になることもあるから。」
「気になる?」
「例えば大学時代に出たコンテストで、どうしてあんなアレンジの曲を弾いたのかとか。」
「……つまらなかったからよ。」
「つまらなかった?」
「譜面どおりに弾くのがつまらなかったから。あなたはそういう感情はなかったの?」
「俺、ピアノを弾いていた時にはどうして弾いているのかって疑問を持つのも許されなかったから。」
「……。」
「お前、これからどっかいくのか?」
「帰るだけだけど。」
「飲みに行かないか。」
「いいえ。用事があるの。」
「だったら駅まで一緒に行くか。ちょっと待ってろ。」
このまま帰ってやろうかと思う。だが少しだけ、奏太が変わった気がした。沙夜はそう思いながら、携帯電話で連絡を入れる。
「あんた、今はどこの部署にいるんだ。」
「洋ロック。」
フロアも違えば、階も違う。わざわざここへ足を運んできたのだろう。一馬はそう思いながら、話を聞いていた。
「泉さん。そんなことは良いからさ。連絡先を教えてくれないか。あのメッセージアプリは入れてないのか。」
「入っているけど。」
「それでいいから。」
「嫌よ。用事がある時には会社の電話で良いわ。」
「お前出てることも多いんだろう。その間に連絡が来たらどうするんだよ。俺一人で決めろってのか。」
「だからまだあなたが担当になるかどうかってのはわからないんだから。他にも言語が強くて音楽に精通している人もいるでしょうし。」
「くそ……。」
すると奏太は「二藍」の二人を見る。沙夜は「二藍」が認めれば、考えてみると言っていた。「夜」に近づくには、「二藍」にも認められないといけないだろう。
「沙夜。何の話?」
不安そうに翔が聞くと、沙夜はため息を付いて説明した。
「二藍」の名前が大きくなりすぎていて、担当にサブを付けないかという話は前からあった。だがそれが現実味を帯びてきたのは、海外のフェスに呼ばれたことだろう。現地の人が担当につき、その応対に沙夜はずっと四苦八苦していたのだ。
「だから、言語に強くて音楽にも精通している人と言ったら、望月さんが洋ロックの部門から異動しないかという話があってね。」
「言語には強いの?何カ国語くらい?」
翔はそう聞くと、奏太は嬉しそうに言った。
「英語はもちろんだし、ヨーロッパの方とか……あとアジアの方の言葉もいける。」
「頼もしいな。なぁ、一馬。」
翔はこういう人だ。あまり気に入っている相手ではなくても、良いところを探そうとする。だがそれが相手を勘違いさせないだろうか。沙夜はそう思っていた時だった。一馬はぽつりと言う。
「放浪していたんだろう。」
「え?」
すると一馬は首を横に振って言った。
「洋ロックの部門にも顔を出すことがあった。その時言語に強い男がいると、あそこの部門の人からも聞いていたから。どうしてそんなに強いのかと聞いてみたら、放浪していた時期があると。あんたのことだったんだな。」
すると奏太は少し笑って言う。
「あぁ。そうだよ。」
「あんたの橋渡しは悪くなかった。ミケルはまた俺のベースで歌いたいと言ってくれていたし。」
「そりゃ良かった。」
「そのまま洋ロックの部門に居た方があんたのためだろうに。」
その言葉でわかった。一馬はあまり奏太を気に入っていないのだろう。「二藍」に関わられたくないと思っているのだ。
「いや……向こうとの連携が取れていないって聞いて……。それで……。」
「別にもいる。あんたじゃ無くても良い。」
「一馬。」
翔はそう言って一馬を止める。一馬が人を拒絶するのは珍しくないが、ここまで激しく拒絶することはあまり無い。のらりくらりといつも交わして、本当に気に入らなければ口をきかないこともある。だが今ははっきりと嫌だと言っている。
それがわかって奏太は拳を握りしめた。悔しかったのだろう。
「なんで俺が嫌なんだ。」
「放浪したと言うことは、定住しなかったと言える。沙夜さんは「二藍」の担当になってずっと心血を注いでくれているんだ。あんたにそれが出来ると思えない。それにこれは俺の感情になると思うがあんたは、うちの奥さんにもずいぶんなことを言っていたな。」
「奥さん?」
そう言われて奏太は一馬の方を改めて見る。すると思い出したように口を塞いだ。
「あんた……そうか……あの時の……。」
思い出して分が悪いと改めて思った。だがここで折れてしまっては、「夜」に二度と近づけない気がする。そう思って奏太は一馬に向かって頭を下げた。
「悪かった。本当に……俺が馬鹿だったと思う。」
そんな行動に出ると思っていなかった沙夜は、驚いて奏太を見る。しかし一馬は冷たく言った。
「謝る相手が違う。俺ではなく奥さんに謝ってくれ。」
「俺は……。」
「「二藍」の担当になりたいから謝るのでは無く、本当に悪いことをしたと思うんだったらさっさとそうしてくれ。本心で自分が悪いと思っているならな。」
「奥さん……ってのは、今は?」
「洋菓子店は変わっていない。ただあの洋菓子店自体もお前を受け入れるかわからないがな。」
その会話に翔と沙夜は顔を見合わせる。そこまで一馬が言うのも珍しいと思ったからだ。
一馬があそこまで徹底して人を嫌うことがあっただろうか。嫌いだと思っても表に出さないのが一馬だと思っていたが、それは違うのだろうか。沙夜はそう思いながら、退社時間になり荷物をまとめていた。
結局海外との受け渡しはまた慣れないながらも沙夜がすることになった。せめて英語であれば何とかなると、その旨を西藤裕太の口から伝えてもらい、明日には答えが出ると思う。
しかしそれでこの話が止まってしまってはいけないのだ。もしかしたら他の国のフェスからも声がかかるかもしれない。それはおそらく「二藍」のメンバーにも望むところだろう。
「お疲れ様でした。」
ほとんどもうオフィスに人はいない。そう思いながらも沙夜はいつも声をかけてオフィスを出る。そしてそのままエレベーターホールへ行き、他の人がしているようにそのエレベーターで一階へ降りる。
そしてエントランスに付くと、会社を出ようとした。そして考えるのは今日の食事のこと。冷蔵庫に何があったかと考えていたのだ。
その時、会社の出入り口から望月奏太がやってくるのを見た。そう思って沙夜は目をそらす。だが奏太は、沙夜に近づいてきた。
「よう。」
「どこかへ行っていたの?」
「あぁ。ちょっとな。花岡一馬の奥さんの所。でもあの店長に追い出されてさ。」
行動の早さに沙夜は驚いて奏太を見た。
「……俺がどれだけ浅はかに声を上げてたのかわかったよ。お前らが拒絶するのもわかる気がする。」
「それがわかって良かったわね。」
「……俺……でも「二藍」のことは諦めきれない。やっと「夜」に近づけると思ってたんだから。追いつけると思ってたんだから。」
「望月さん。ちょっと神格化してないかしら。」
「神格化?」
「「夜」に憧れを持ちすぎよ。そこまで思われたら、「夜」だって表に出にくくなるわ。一歩引いてしまうような。」
「そうかな。」
「……えぇ。もし私だったらそう思う。」
だがそこまで思われるのは悪い気はしない。本当にこの男がそこまで「夜」を思ってくれているのだろうと思い始めていた。
それでもその一歩が踏み出せない。もしこの男が表だけいい顔をしているだけだったら。この必死さも全て嘘だったら。そう思うと自分が「夜」であることを言えない。全て裏切られた苦しさを、沙夜は知っているのだから。
「あのさ……やっぱり連絡先を教えておいてくれないか。」
「どうして?」
すると奏太は少し戸惑ったように言う。
「担当になるかどうかは置いておいても、あんたとは連絡を付けていたい。個人的に気になることもあるから。」
「気になる?」
「例えば大学時代に出たコンテストで、どうしてあんなアレンジの曲を弾いたのかとか。」
「……つまらなかったからよ。」
「つまらなかった?」
「譜面どおりに弾くのがつまらなかったから。あなたはそういう感情はなかったの?」
「俺、ピアノを弾いていた時にはどうして弾いているのかって疑問を持つのも許されなかったから。」
「……。」
「お前、これからどっかいくのか?」
「帰るだけだけど。」
「飲みに行かないか。」
「いいえ。用事があるの。」
「だったら駅まで一緒に行くか。ちょっと待ってろ。」
このまま帰ってやろうかと思う。だが少しだけ、奏太が変わった気がした。沙夜はそう思いながら、携帯電話で連絡を入れる。
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