触れられない距離

神崎

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水炊き

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 スーツから私服に着替えて部屋を出る。スーツは沙夜にとって仕事着なのだ。休みとなればそんなモノを着る必要は無い。まとまった休みがあるし、あとでまとめてクリーニングへ持って行こう。そのあと買い物へ行く。明日の材料を買いに行くのだ。
 リビングでお湯を沸かしていると、沙菜もやってきた。沙菜は逆に軽いメイクをしている。撮影の時はもっときっちりしたメイクをしているが、普段はそこまでバッチリとしているわけでは無い。バッチリメイクをしているときは大体男を引っかけに行くときだ。今朝まで撮影をしていたのだから、今日はセックスをする気は無いのだろう。
「お茶、飲む?」
「うん。」
 いつも通りの弁当を作っている。翔は今日、出版社の方へ行ってインタビューをされている。石森愛がいるあの出版社だし、音楽雑誌なのだ。変なことを聞いたりはしないだろう。
 芹も弁当を持って行ったと言うことは、帰りは夕方くらいになるのだろう。夕食がいらないとは言っていなかったから。
「ドライカレーだね。」
「ささっと出来て良いわ。これ。冷めても美味しいし。」
 沙菜は弁当箱を開けて嬉しそうにそれを見ている。ご飯の上にドライカレーがあり、あとはサラダや卵焼きなどが入っている。
「美味しい。」
「良かったわ。」
 タマネギのみじん切り、合い挽き肉、ひよこ豆などを炒めて、塩こしょうをする。タマネギから出る水分もあるが、それでも少し水を足して、大体火が通ったら刻んだルーを入れてしっとりするくらいまで炒めるのだ。これだけで美味しいのだから、お手軽なモノだと思う。
「昨日って、打ち上げをしなかったの?」
「軽く打ち上げはしたけどね。メンバーもスタッフをねぎらうのに食事とお酒だけは口にしていたわ。」
 それでもその場にいたスタッフも、そしてメンバーも疲れのピークはとっくに超していたのだ。だからそこまで飲んだりもしなかったし、帰る時間もそこまで遅くは無かった。
「みんな三十代なんだっけ。」
「そうね。橋倉さんなんか、十二時を過ぎたら眠くなるって言ってたわ。」
 南の島へ行ったときに居酒屋へ行ったのは治なりに頑張っていたのだろう。昨日はツアーの最終日だったこともあったし、この町からはあまり離れていない場所だったのだ。だから昨夜は奥さんが迎えに来ていた。沙夜は何度か会ったことがあるが、体格の良い女性で何より明るくはっきりものを言う人だと思う。だから沙夜も奥さんには心を許しているのだ。
「だから明日鍋をするの?」
「そうみたい。前からそういうのをしたいと言っていたから。」
「本当に仲が良いよね。「JACK-O'-LANTERN」とは全然違うみたい。」
「あぁ。紗理那さんの?そう言えばあなたと同じアイドルグループだったわね。」
「うん。人気があったよ。握手会とかしたらばーって列が出来ててさ。それでも彩夏には適わなくてさ。」
 高校生の時、沙菜はアイドルグループの一人だった。地下のライブハウスで歌ったり踊ったりしていたのだが、沙菜はそこまで人気がある方では無かった。キャバクラ嬢が、アイドルをしているように見えたから。
 アイドルというのは可愛いだけでは売れない。ダンス、歌などの実力もあり、その姿も全て売り物なのだ。それでも全てが完璧では売れない。つまりほんの少しの隙が人気になる。沙菜がいたアイドルグループの中で不動のセンター、つまり一番人気は彩夏という女の子だった。沙夜もそのステージを見たことがあるが、確かに他のメンバーとは一線を置くくらいのオーラがある気がした。それなのにトークになると少し天然ぼけが入っている。それがわざとなのかどうなのかはわからないが、そういうところが人気があると言うことなのだろう。
 沙菜はそういう点では、隙だらけだ。握手会での沙菜の列は、彩夏とは雲泥の差で並んだと思ったら、胸の谷間が見えそうだとかパンチラが見えそうだとかそんなところだったのだから、他のメンバーから反感を買うのも頷ける。
「その彩夏さんって人は今は何をしているの?」
「子どもが出来たからすぐに結婚したわ。でもすぐ別れたって。今は派遣で事務をしているって言ってたし。」
「事務?」
「ほら子供がいるからアイドルなんかは出来ないし、何よりそういう仕事をしていると子供との時間が取れないからって。だったら定時で帰れるそういう仕事の方が良いらしいわ。」
 案外しっかりしている子なんだな。だとしたら舞台上の天然ぼけは、おそらくわざとなのだろう。したたかな女だ。
「子どもが出来たから結婚したのに、すぐ別れるのね。」
「旦那が浮気してたから。結婚前から付き合っていた女がいたみたいでさ。」
「見抜けなかったってわけ?」
「みたいだよ。」
 男というのはそんなモノなのだろうか。沙夜は弁当のドライカレーをすくって少し黙り込んだ。すると沙菜が声を上げる。
「そんなの一部だからね。」
「え?」
「芹は二股なんかしないでしょ。」
 芹のことを考えていたのを見抜かれて、沙夜は少し言葉に詰まった。だがスプーンを置いて沙菜に言う。
「どうかな。あなたとも簡単にキスをしていたわけだし。」
「それは……ごめんって。」
 すると沙夜は少し笑って言う。
「無理矢理していたのはわかるわ。芹がそんなに器用じゃ無いってことも知ってる。だからそれを責める気は無いわ。」
 すると沙菜はその言葉に胸をなで下ろした。
「だったら何かあったの?」
 その言葉に沙夜は少しため息を付いて言う。
「職場の人が結婚をするって言っていてね。」
「へぇ。呼ばれたの?」
「同じ部署だし、時間の都合を合わせて呼ばれるかもしれないわね。」
「同じ部署の人同士が結婚するの?わぁ、何か、家に帰っても職場でも顔を合わせるなんてキツいわ。」
「そう?私は今そういう状況だけど。」
 翔とは場合によっては一日中一緒に居ることもある。なのに帰ってからも顔を合わせているのだ。それが辛いと思ったことは無い。大体、この家の中では仕事の話はしないのだから。
「姉さんは辛いと思ったことは無いの?」
「無いわね。むしろ家の中では「この姿を世に晒してやりたい」って思うわ。」
「ははっ。そうね。世の中で翔のイメージが王子っての。凄い笑える。」
 使いやすいからと言って着ているトレーナーはもう何年ものなのだろう。その上に羽織っている上着だって、もう毛玉が沢山付いているのだ。いい加減捨てれば良いのにと思う。
「式っていつ?」
「夏初めって言ってたわ。ずいぶん急いでするのねって思ったけど。」
「それはあれだよ。授かり婚。」
「あぁ、授かり婚。」
 つまりあの女性のお腹には新しい命が宿っているのだ。だからお腹が目立つ前に結婚式を挙げたいと思っているのだろう。計画を立てていつも行動している朔太郎だったが、その辺はざるだったのだろう。
 それでもあの女性を愛しているならそれでいいと思う。
「姉さんは?」
「ん?」
「芹と結婚する気?」
「わからないわ。」
 お茶を飲んで、沙夜は少しため息を付く。
「芹はその気じゃ無い?」
「現実的に見て難しいと思うの。大体、結婚ってなると家同士のことも含まれるのよ。うちの母親が芹を受け入れると思う?」
「あぁ……それは無理かもねぇ。」
 女は家で夫を支えるのが美徳だと思っている。その割には自分は夫を放っておいて、二人をモデルにさせて飛び回っていたのだが。
「それに……芹のこともねぇ。」
「芹に問題があるの?」
「芹には問題は無いのよ。問題なのは芹の家だから。」
「芹って、下町の方の出身でしょ?そんなに難しいの?」
 芹は沙菜に対しては良く話をしているようだ。それが沙夜を少しいらつかせる。
「まぁ……色々あるのよ。」
「実家に帰ってないって言ってたもんね。結婚となれば挨拶くらいはするのが普通だけど、それも出来そうに無いね。」
「だから無理だと言ってるの。」
 それに天草裕太のこともある。おそらく芹と沙夜が結婚するとか、付き合っていると知れば、きっと何かしらの手を打ってくるだろう。つまり、それは金に絡むことなのだ。
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