触れられない距離

神崎

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 蓋を開けてみれば、ライブの客層は女性に限ったモノでは無いことはわかる。それぞれの年代が良くばらけているような気がした。
 おそらく西藤裕太がいた「Glow」が活躍したあたりからの既存のハードロックファン。バンドを始めたような学生らしい人。もちろん、姿だけを見て黄色い声援をあげている女もいたり、遥人がアイドルだった頃のファンなどもいる。その様相は様々で、沙夜はそのライブの様子を冷静に見ていた。
「はぁ……。」
 上手く集中していると思っていたのに、ミスが多い。これ以上続けばお客さんに金を返したくなる。だがおそらく客はミスをミスと感じていないだろう。遥人だけは歌詞を間違えないで歌っているだけまだましかと思っていた。
「泉さんさ。」
 沙夜が居たのはミキサーの席の横だった。せわしくミキサーを当たっていた男、新垣陸が手元に置いてあった水の入ったペットボトルを手にして口に入れると、沙夜に言う。
「どうしました。」
「確かに今日はミスがみんな多いけど、今日は仕方が無いと思って欲しいよ。」
「……。」
 遥人と治が話をしている。その会話は漫才のようで観客からは笑いも起きていた。
「俺、ここが地元でさ。ここの地元の人ってのはみんな音楽に合わせて踊るのが好きだったりするし、独特の雰囲気もあるんだ。」
「……。」
「受け入れてくれているだけでありがたいよ。それにミスだって気がぼんやりしてミスをしているんじゃ無い。気負いすぎている感じがするね。俺には。ここの人達に溶け込もうとして必死なのがわかる。そこだけ休憩中に注意してくれれば良いと思うよ。」
「溶け込もうと……。」
 音楽に合わせて踊るのが好きな人達なのだ。それがわかるように、ライブ中みんな足下が揺れている。
「昔のハードロックのライブみたいに脱がないだけましだよ。」
「ステージの人達が?」
 五人はみんなそんなキャラでは無いが、脱いだりすることがあるのだろうか。
「いいや、いいや。客がさ。向こうの国のライブでさ、女の子がいきなり脱ぐこともあるんだよ。」
「下着だけ?」
「いいや下着も取ってトップレス。」
 そこまでフランクでは無くて良かった。この国ではそんなことをしたらすぐ警察沙汰だろう。
「「二藍」には二藍の良いところがあるよ。それをみんな見に来ているんだから。」
 沙夜はその話を聞いて頷いた。そして少しのミスくらいは大目に見よう。そう思っていたときだった。

 ぽよよよーん!

 驚いて沙夜はステージの方を見る。すると翔が気まずそうに頭を下げた。どうやら操作ミスでイレギュラーの音が出てしまったらしい。しかもかなり間抜けな音だった。その音に四人が笑って翔を責める。
「お前なんて音を出すんだよ。」
「そんな音、ライブで無いだろう。どこで天然かましてんだよ。」
「ごめん。ごめん。」
 会場がどっと笑った。それを見て沙夜も一気に気が抜けた様子になる。

 ライブの中盤。一度休憩を取る。沙夜はその間、ステージ脇へやってきた。そして翔を見ると、頬を膨らませる。
「千草さん。」
「ごめんって。ちょっと触っちゃったんだよ。」
「でも良いと思う。空気が和んだ気がするから。」
 くらいステージの向こうは観客席。思い思いにみんなパンフレットを見たり、トイレへ行ったりしている。その顔はみんな笑顔だった。
「ツアーの度に思うわ。」
「え?」
 遥人がトイレから帰ってきて、沙夜はまた観客席を見る。
「その土地、その土地の楽しみ方があるなって思って。」
 それはミキサーの男が言っていた言葉だった。その男の言葉を五人に伝える。すると五人は気負っていた気持ちを落ち着かせた。
「……。」
「私たちは私たちなりの楽しませかたで良いのよ。私も少し気を張りすぎたわ。初めてライブをするところだったし、もう二度と来なくても良いっていわれるような事にならないようにしたいって、意地になってた。」
「……。」
「自由にしましょうね。」
「あぁ。」
 その時、翔がその観客席を見て表情を凍らせた。目に付く人が居たからだ。
「……志甫……。」
「え?」
 その名前に沙夜と純は焦ったようにまたその観客席を見た。翔の視線を追うと、そこには志甫の姿があったのだ。
「あ……やば……。」
 思わず純が口走った。その言葉に翔は思わず純の方を見る。
「純。来ているのを知っていたのか。」
「あ……いや。俺は知らなかったんだけど……。」
 すると沙夜は翔の手を引く。時間はあまり無い。翔にどれだけ何を言えるのか。沙夜はとにかく翔が前半のようにステージに立てることを願った。
 控え室に入ると、モニターがありステージの様子が確認出来る。そして会場のアナウンスもスピーカーから聞こえた。その声を聞きながら、沙夜は翔を壁を背にして立たせる。そして自分はその前に立つ。
「ごめん……。」
「沙夜が呼んだのか。」
「いいえ。実はさっき外に出たときに、志甫さんが居ることは知っていたの。コンビニでも見かけたし、会場の時も見かけた。でも……言えばきっと翔が……。」
「俺が動揺するって思った?」
 すると沙夜は頷いた。その言葉に、翔は少しため息を付く。
「志甫はもう過去のことだよ。そりゃ……ライブで歌っていたときに偶然見たときには、かなり動揺はした。だけど……もう過去だから。今は……沙夜しか見てない。」
 そう言われても沙夜の心には芹しか居ない。だがその事実を翔に今告げれば、もっと残酷だろう。
「……取り越し苦労だったって事?」
「あぁ。一ステージ、一ステージ、沙夜に認められるようにしようと思ってた。でも今日はミスが多かったな。」
「それはただたんに疲れているだけ?」
「かもしれない。」
「ドリンク剤でも飲んでいく?差し入れてくれていたモノがあるわ。」
 そう言って沙夜はその控え室に置いてあった小型の冷蔵庫を開く。そこにはそれぞれの飲み物なんかが置いてあった。その中に小さいアンプルがある。それを取り出すと、沙夜は翔に指しだした。すると翔はそのアンプル越しに沙夜の手を握る。
「え……。」
 そしてそのまま両手を引くと、不意にその唇にキスをした。触れたのは一瞬だったかもしれない。だが翔は少し頬を赤らめて、そのまま控え室をあとにする。
 夢にまで見た沙夜の唇だった。少し温かくて、柔らかくて、誰よりも愛しい。幸せな気持ちのままステージ脇に戻っていった。
「……。」
 アンプルを冷蔵庫にしまい、沙夜はそのまま唇に触れる。その瞬間涙が出そうになった。翔とは違い、沙夜は芹に申し訳が無い気持ちとやるせない気持ちで潰れそうだったのだ。だがそれを時間は許してくれない。
 アナウンスが流れる。後半が始まるのだ。沙夜はそのままぐっと涙を堪えて、またステージへ向かう。
 ステージは開幕を待つことも無く、観客はすでに立ち上がって手拍子をしている。その中には志甫の姿もあるはずだ。沙夜はそう思っていたが、翔はもうそれを気にしていないようだった。
「沙夜さん。最後ってタオル振るよね。」
「えぇ。橋倉さん以外は持っていてね。」
 精一杯強がった。それが一馬にもわかったのだろう。一馬は沙夜の背中をぽんと叩く。
「厳しい目で見ていてくれ。」
「え?」
「沙夜さんも集中すれば、思い出さなくて済むこともあるだろう。」
 一馬には適わない。沙夜は少し笑い、五人をステージに送り出した。
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