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居酒屋
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スタジオの中で音を合わせている。ツアーのためのリハーサルのためだった。新しいアルバムの中の曲と、昔の曲の中でも認知度が高い曲を演奏するのだ。客の中には「二藍」のファンだから会場に来ているわけでは無い人も多い。恋人が好きだからとか、友達が好きだからとか、親が付いてくるとか、そんな場合も考えられるのだから。そんな人は、気に入ればCDやソフトを買うこともある。限定だがサインを入れるモノはあっという間に無くなるのだ。
そうさせるためにみんながスタジオに集まって、また演奏をしている。その録音を機器ながらお互いの演奏を口に出すのだ。一馬が最初にそれを初め、言われっぱなしが気に入らないのか徐々にみんなが口を出していた。
「ここのベースはもう少し押さえた方が良いな。」
「ここの部分のキーボードの音を変えてみた方が良い。」
メモを取りながら五人は次はこうしよう、あぁしようと手探りながらも試行錯誤をしていた。その時だった。スタジオのドアが開く。
「お疲れ様です。どうですか。調子は。」
沙夜の姿があった。そしてその後ろには西藤裕太の姿がある。部長の登場に、五人は驚いたように裕太を見ていた。
「あぁ。西藤部長。」
すると裕太は少し笑って五人に言う。
「ツアーのチケットがソールドアウトしてね。仕上がりを見たいと思ってたんだけど、録音はしてある?」
「今から修正してもう一度録音しようかと。」
「全部?」
「あー。いや。気になる曲があって。」
治がそう言ってバンドスコアを取り出すと裕太に見せた。その時、一馬がちらっと沙夜の方を見る。沙夜はいつもどおりだと思った。正月にはあぁだこうだと悩んでいたようだが今はすっきりした顔をしている。だがその沙夜を見る翔の視線は、まだ沙夜を諦めていないように思えた。
「複雑だな。」
一馬がぽつりと言うと遥人が振り返る。
「どうしたんだ。」
「あぁ。何でも無い。この曲が複雑になったなと思って。」
「ベースラインは変わらないんだから、良いんじゃ無いのか。」
遥人は何も考えていないのだろう。四人の同居生活が暗雲がかかっていたこと。そして沙夜は芹を選んだこと。そんなことを遥人は何も知らないのだ。
「明日もリハーサルを?」
裕太がそう聞くと、沙夜は首を横に振った。
「いいえ。明日は個々の活動をするようになってますね。」
遥人はテレビ番組とインターネット番組の録画。純は春に向かう外国のアーティストとの打ち合わせと楽器のメーカーとの打ち合わせ。治は雑誌のインタビュー。一馬は他のアーティストの演奏の録音。翔はソロアルバムのジャケット撮影をするのだ。
「泉さんは会社に居るの?」
「昼からは居ますね。午前中は渡先生の所へ行こうかと。」
その言葉に裕太は少し笑う。
ここのところ、インターネットの世界では渡摩季のことも囁かれている。フリーで活動している渡摩季だったが、その担当は出版社では無くレコード会社の人間である沙夜なのだ。だから沙夜は五人と関係があるだけでは無く渡摩季とも親密な関係では無いかと言われているのだ。親密とはつまり、恋人では無いかと言うこと。
名前からして女性だろうと思っていた。雑誌のインタビューなどに載ることもあるが、顔写真を載せないので女性同士のカップルだと思われているらしい。どこまで幅広く恋愛対象があると思われているのだろう。だが裕太も渡摩季には会ったことは無い。歌詞からするにひどい恋愛をしてきた女性なのだろう。風俗嬢とかそんな所かもしれない。
「泉さん。その時、俺も同席して良いかな。」
その言葉に驚いたのは沙夜だけでは無く、翔も同じだった。まさか芹と会いたいと思っているのだろうか。
「それはちょっと……渡先生は難しい人ですから。」
「でも俺、上司だよね。」
それを言われると弱い。今まで上司に芹に会わせなかったのも問題なのだ。顔の見えないアーティストというのも作家にもそういう人は居る事は居る。沙夜だって「夜」として今度の翔のアルバムにはクレジットされるのだ。がっつりと関わってしまったのだから仕方が無い。だが芹は事情が違う。
どこで天草裕太に会うかわからないのだから。
「……そうですね。少し渡先生と相談をしてみます。」
「どんな女性なのかは気になっていたんだ。少し楽しみだよ。まさか手首に傷があるような女性じゃ無いよね。それとか病院へ通っているとか。」
「そんな人ではありませんね。」
世の中で囁かれている渡摩季の印象は、幽霊のようだと思う。だが実際は手首に傷では無く、肩に入れ墨がある。病院は嫌いだし、田舎では山羊に懐かれるような男だとは誰も想像していないだろう。
沙夜は家に帰ると食事の用意を始めた。手を洗い、ゴボウを冷蔵庫から取り出す。良く泥を洗い流し、ピーラーで皮を剥く。良く洗えば皮ごといけるかもしれないがどうしても泥が気になるのだ。そのゴボウをささがきにして、水にさらす。それからにんじんも同じ事をしていた。
その時、リビングのドアが開いた。
「ただいま。」
そこには芹が居た。芹は髪を切って、ニット帽もかぶらなくなった。そして耳元にはピアスがある。歳よりも若く見られそうだ。
「お帰り。珍しいわね。外に出ていたなんて。」
「たまにはな。ほら。これ。」
芹はそう言って手に持っていた袋を沙夜に手渡す。
「これ?」
中には紙袋が入っていた。それを手にしてわかる。
「コーヒー豆?」
「花岡ってヤツの奥さんだっけ?その洋菓子店でコーヒー飲んでさ。凄い美味かったの。それでコーヒー豆のテイクアウトもしていたから。」
「あぁ。行って来たの?」
「石森さんが連れて行ってくれた。」
愛とはここのところ良く会っているらしい。それだけ芹の需要が高くなっているのかもしれないが、正直少し複雑だと思う。既婚者だが、髪を切って別人のようになってしまった芹は、愛にどう写るのか。愛は相手にしていないように見えるし、芹の事情もわかってくれている。手を出すとは思えないが、そこは男女の仲なのだ。
「不安そうな顔をするなよ。」
その表情が読み取れたのだろう。芹は意地悪そうに台所の中へ入ってきた。
「何が?」
「沙夜ってすぐ表情がわかる。何もねぇよ。今度、お前とも行こうぜ。」
「そうね。」
まだ沙菜も帰ってこない。翔だってもう少し時間がかかるだろう。そう思って、沙夜は包丁を握る手を止める。そして芹の方を振り向いた。
芹も徐々に顔を近づけていくと、沙夜の唇にキスをした。軽く重なっただけだった。それが何よりも嬉しい。
「そこに行ったあとさ。」
「何?」
「二人っきりになれる所に行くか。」
その言葉に沙夜は少し笑った。
「時間があったらしたくなるのね。」
「普段生殺しなんだから、このときくらいはな。お前はしたくないの?」
「うるさい。」
可愛くない言葉が出てくる。本当だったら沙夜だって芹を求めているのに、沙夜はどうしても素直になれないのだ。
「あぁ、そうだった。芹。明日の朝、ここに来る予定にしていたんだけどね。」
「都合が悪くなった?」
「いいえ。あの……西藤部長があなたに会いたいと。」
すると芹は少しため息を付いた。だがふと目を輝かせて言う。
「西藤部長って……そう言えば元「Glow」のギタリストだっけ。」
「そうよ。」
「「Glow」は好きなんだよ。興味あるなぁ。」
芹が人に会いたいと言い出したのは初めてに見える。沙夜は少し驚いたように芹を見ていた。
「会って良いの?」
「でもここはまずいだろ。別のところにしようぜ。んー……。あっちだって有名人だしなぁ。」
「わかったわ。お店でだったら会うと言っておく。」
沙夜はそう言って携帯電話を取りだした。何があるかわからないので、ずっとポケットに入れておいたのだ。
そうさせるためにみんながスタジオに集まって、また演奏をしている。その録音を機器ながらお互いの演奏を口に出すのだ。一馬が最初にそれを初め、言われっぱなしが気に入らないのか徐々にみんなが口を出していた。
「ここのベースはもう少し押さえた方が良いな。」
「ここの部分のキーボードの音を変えてみた方が良い。」
メモを取りながら五人は次はこうしよう、あぁしようと手探りながらも試行錯誤をしていた。その時だった。スタジオのドアが開く。
「お疲れ様です。どうですか。調子は。」
沙夜の姿があった。そしてその後ろには西藤裕太の姿がある。部長の登場に、五人は驚いたように裕太を見ていた。
「あぁ。西藤部長。」
すると裕太は少し笑って五人に言う。
「ツアーのチケットがソールドアウトしてね。仕上がりを見たいと思ってたんだけど、録音はしてある?」
「今から修正してもう一度録音しようかと。」
「全部?」
「あー。いや。気になる曲があって。」
治がそう言ってバンドスコアを取り出すと裕太に見せた。その時、一馬がちらっと沙夜の方を見る。沙夜はいつもどおりだと思った。正月にはあぁだこうだと悩んでいたようだが今はすっきりした顔をしている。だがその沙夜を見る翔の視線は、まだ沙夜を諦めていないように思えた。
「複雑だな。」
一馬がぽつりと言うと遥人が振り返る。
「どうしたんだ。」
「あぁ。何でも無い。この曲が複雑になったなと思って。」
「ベースラインは変わらないんだから、良いんじゃ無いのか。」
遥人は何も考えていないのだろう。四人の同居生活が暗雲がかかっていたこと。そして沙夜は芹を選んだこと。そんなことを遥人は何も知らないのだ。
「明日もリハーサルを?」
裕太がそう聞くと、沙夜は首を横に振った。
「いいえ。明日は個々の活動をするようになってますね。」
遥人はテレビ番組とインターネット番組の録画。純は春に向かう外国のアーティストとの打ち合わせと楽器のメーカーとの打ち合わせ。治は雑誌のインタビュー。一馬は他のアーティストの演奏の録音。翔はソロアルバムのジャケット撮影をするのだ。
「泉さんは会社に居るの?」
「昼からは居ますね。午前中は渡先生の所へ行こうかと。」
その言葉に裕太は少し笑う。
ここのところ、インターネットの世界では渡摩季のことも囁かれている。フリーで活動している渡摩季だったが、その担当は出版社では無くレコード会社の人間である沙夜なのだ。だから沙夜は五人と関係があるだけでは無く渡摩季とも親密な関係では無いかと言われているのだ。親密とはつまり、恋人では無いかと言うこと。
名前からして女性だろうと思っていた。雑誌のインタビューなどに載ることもあるが、顔写真を載せないので女性同士のカップルだと思われているらしい。どこまで幅広く恋愛対象があると思われているのだろう。だが裕太も渡摩季には会ったことは無い。歌詞からするにひどい恋愛をしてきた女性なのだろう。風俗嬢とかそんな所かもしれない。
「泉さん。その時、俺も同席して良いかな。」
その言葉に驚いたのは沙夜だけでは無く、翔も同じだった。まさか芹と会いたいと思っているのだろうか。
「それはちょっと……渡先生は難しい人ですから。」
「でも俺、上司だよね。」
それを言われると弱い。今まで上司に芹に会わせなかったのも問題なのだ。顔の見えないアーティストというのも作家にもそういう人は居る事は居る。沙夜だって「夜」として今度の翔のアルバムにはクレジットされるのだ。がっつりと関わってしまったのだから仕方が無い。だが芹は事情が違う。
どこで天草裕太に会うかわからないのだから。
「……そうですね。少し渡先生と相談をしてみます。」
「どんな女性なのかは気になっていたんだ。少し楽しみだよ。まさか手首に傷があるような女性じゃ無いよね。それとか病院へ通っているとか。」
「そんな人ではありませんね。」
世の中で囁かれている渡摩季の印象は、幽霊のようだと思う。だが実際は手首に傷では無く、肩に入れ墨がある。病院は嫌いだし、田舎では山羊に懐かれるような男だとは誰も想像していないだろう。
沙夜は家に帰ると食事の用意を始めた。手を洗い、ゴボウを冷蔵庫から取り出す。良く泥を洗い流し、ピーラーで皮を剥く。良く洗えば皮ごといけるかもしれないがどうしても泥が気になるのだ。そのゴボウをささがきにして、水にさらす。それからにんじんも同じ事をしていた。
その時、リビングのドアが開いた。
「ただいま。」
そこには芹が居た。芹は髪を切って、ニット帽もかぶらなくなった。そして耳元にはピアスがある。歳よりも若く見られそうだ。
「お帰り。珍しいわね。外に出ていたなんて。」
「たまにはな。ほら。これ。」
芹はそう言って手に持っていた袋を沙夜に手渡す。
「これ?」
中には紙袋が入っていた。それを手にしてわかる。
「コーヒー豆?」
「花岡ってヤツの奥さんだっけ?その洋菓子店でコーヒー飲んでさ。凄い美味かったの。それでコーヒー豆のテイクアウトもしていたから。」
「あぁ。行って来たの?」
「石森さんが連れて行ってくれた。」
愛とはここのところ良く会っているらしい。それだけ芹の需要が高くなっているのかもしれないが、正直少し複雑だと思う。既婚者だが、髪を切って別人のようになってしまった芹は、愛にどう写るのか。愛は相手にしていないように見えるし、芹の事情もわかってくれている。手を出すとは思えないが、そこは男女の仲なのだ。
「不安そうな顔をするなよ。」
その表情が読み取れたのだろう。芹は意地悪そうに台所の中へ入ってきた。
「何が?」
「沙夜ってすぐ表情がわかる。何もねぇよ。今度、お前とも行こうぜ。」
「そうね。」
まだ沙菜も帰ってこない。翔だってもう少し時間がかかるだろう。そう思って、沙夜は包丁を握る手を止める。そして芹の方を振り向いた。
芹も徐々に顔を近づけていくと、沙夜の唇にキスをした。軽く重なっただけだった。それが何よりも嬉しい。
「そこに行ったあとさ。」
「何?」
「二人っきりになれる所に行くか。」
その言葉に沙夜は少し笑った。
「時間があったらしたくなるのね。」
「普段生殺しなんだから、このときくらいはな。お前はしたくないの?」
「うるさい。」
可愛くない言葉が出てくる。本当だったら沙夜だって芹を求めているのに、沙夜はどうしても素直になれないのだ。
「あぁ、そうだった。芹。明日の朝、ここに来る予定にしていたんだけどね。」
「都合が悪くなった?」
「いいえ。あの……西藤部長があなたに会いたいと。」
すると芹は少しため息を付いた。だがふと目を輝かせて言う。
「西藤部長って……そう言えば元「Glow」のギタリストだっけ。」
「そうよ。」
「「Glow」は好きなんだよ。興味あるなぁ。」
芹が人に会いたいと言い出したのは初めてに見える。沙夜は少し驚いたように芹を見ていた。
「会って良いの?」
「でもここはまずいだろ。別のところにしようぜ。んー……。あっちだって有名人だしなぁ。」
「わかったわ。お店でだったら会うと言っておく。」
沙夜はそう言って携帯電話を取りだした。何があるかわからないので、ずっとポケットに入れておいたのだ。
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