触れられない距離

神崎

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栗きんとん

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 水に浸して切ったサツマイモの灰汁を抜く。そしてそれを一度下茹でをしたあとに、取りだして皮を剥いていくのだ。少し厚めに剥いた方が美味しい。
 そしてそのあとにまたサツマイモを湯がく。今度はクチナシの実を潰したモノも一緒に入れるのだ。すると色が黄色くなって栗きんとんらしい色味になる。
「色つけくらいならいらないけどね。」
 忍はそう言いながら、餅を焼いていく。そろそろ昼時だからだ。餅と具沢山の汁をあわせて雑煮にする。それが昼ご飯になるのだ。
「夜は贅沢をしたいと思ってね。ほら。」
 冷蔵庫を見せると、そこにはぶりの切り身があった。
「お刺身?良いの?そんな贅沢。」
「お正月くらいしかぶりなんか食べないもの。それにこれね。辰雄さんが仲良くしている漁師の人からのお裾分けなの。」
 訳ありの男だった。そしてその奥さんもまた訳ありの人だが、子供同士も仲が良いこともあり付き合いをしている。悪い人では無い。だが将来を考えると不安だ。
「どうしたの?何か考え事?」
 沙夜はそう言うと、忍はその表情を一変させて冷蔵庫を閉める。そして自分の左手首をさすった。
「沙夜さんは音大を出たんでしょう?」
「うん。そうだけど……。」
 あまり良い思い出があるような所では無い。しかも音楽大学というのは普通の大学と違って金がかかる。その割にはプロになれるような人は本当に少ない。沙夜はあぶれてしまった方だろう。それを母親にグチグチ言われるのが本当に嫌だった。
「言ったことがあるかしら。あたしも音楽をしていたの。高校生の時にね。」
 芸術高校で忍はずっとバイオリンをしていたのだ。高校生の頃から、その腕を見込まれてアマチュアでもオーケストラのエキストラに呼ばれたこともある。いわば将来は有望だったのだ。
「そうだったの?」
「でもまぁ……病気になって、腕の自由がきかなくなったの。それで高校も辞めたんだけどね。」
 きっかけは楽譜の音符が二重になって見える所だっただろうか。五線譜が二重にも三重にも見え、目が悪くなったのかと思ったのだが実際は違った。
 脳の中に小さな腫瘍があったのだ。それがわからずに忍はずっと眼鏡で乗り切っていたのだ。乱視だと自分に思いながら。
 そしてある日、左腕の自由がきかなくなった。それから病院を回り、やっと病気が判明した。手術を繰り返し、それでも後遺症は残る。だから忍は未だに左手が不自由で、細かい作業が出来ない。バイオリニストなど夢のまた夢だろう。
 その時、辰雄が作った卵と鶏肉を合わせた親子丼を食べた。そこからは必死だったと思う。何とかその美味しい鶏を作っている所へ行き、直談判して弟子になった。そこまでしても養鶏をしたかった。だからここに来たのだが、いつの間にか師匠と思っていた辰雄と心を通わせるようになり、夫婦になった。そして自分のお腹の中には、また新しい命が芽生えている。
「おめでとう。」
「ありがとう。って言ってもやっと安定期に入ったばかりだから、諸手を挙げてお祝いは出来ないけれど。」
「生まれてからお祝い?」
「そうね。多分ここで生むことになると思うけど。昭人の時もそうだったし。」
「え?病院は?」
「ちょっと離れてるのよね。ここから大きな病院ってなると、丘の上まで行かないといけなくて。それよりもそこ向こうの家の、お婆さんは昔産婆さんをしていたの。だからそっちの方が安心だわ。」
 定期的な検査には病院へ行く。だがそれよりもそのお婆さんの方が為になると思っていた。つわりがひどかったときは、無理して食べなくても良いとか、食べれるときには食べた方が良いモノなどの食事面でのアドバイス。辛いときには手を抜くことも必要で、だが動きすぎないのも悪いなどとおそらく病院ではあまり聞かないようなことも教えてくれた。
 だから昭人を生んだときのように、次の子供を生むときもこの人にお願いしようと思っていたのだ。
「そっか……。」
「沙夜さんは?」
 その言葉に沙夜の頬が赤くなる。そして首を横に振った。先程は誤魔化されたが、明らかに芹とは何かあったのだろう。
「いくつだっけ。」
「二十六になったわ。」
「三十くらいまでに子供を作りたいと思わない?」
 すると沙夜は首を横に振った。
「母親のもくろみどおりになりそうで嫌だわ。」
「あぁ、何か自分の子供やらを芸能人にさせたいって言う親?子供の人権なんか考えないのね。」
 だが母親になってわかった。忍の母親もまた沙夜の母親のように将来はバイオリニストにさせたいと思っていたのだろう。だが病気になってわかった。
 楽器が出来なくても良い。歩けなくても、手が不自由でもかまわない。ただ生きていて欲しいと願うのが母親なのだから。
 そして忍もまた昭人が同じような目に遭えば、忍もまたそう思うだろう。
「私も沙菜も出来損ないだって言われるの。」
「沙菜?」
「双子の妹。今は男の人が観るような女優になっているわ。」
 自分の体だけが自分の武器なのだ。そんな女優になっている。母親の思惑とはかけ離れているのだ。
「そっか……でも、ずいぶんそのお母さんってエゴイストなのね。自分の思い通りに子供がなるわけが無いのに。」
「……もしかしたら自分もそうなるんじゃ無いかって思うの。」
「沙夜さん……。」
「不安よ。だから……親にもなりたくない。」
 母親が嫌だからとかそんな理由だけでは無く、本当に怖いのは自分自身だったのかもしれない。
「だったら芹君といるのは一番落ち着くんじゃ無いの?」
「そうかも知れない。」
 セックスはしなくても抱き合うだけでゆっくり眠れた。ただ他人の心臓の音がこんなに落ち着くと思っていなかったから。
「それにしても熱いわね。熱々。」
「やだ。からかわないで。」
 鍋の中の芋に串を刺す。するとすっと串が通った。湯がけているのだ。火を止めてざるに打ち上げると、熱いうちに裏ごしをする。この作業が忍には難しかったのだ。
 沙夜がいないときにはおそらく辰雄がやってあげたのだろう。
「同居している人には言ったの?」
 その言葉に沙夜の手が止まる。だがすぐにまた手を動かした。
「いいえ。まだ。でも帰って言おうと思ってて。」
 その表情は浮かれているように見えない。諸手を挙げてお祝いをするような関係では無いのだ。同居している男女。年頃が一緒であれば、恋愛感情が絡むのは当然だろう。その中で先陣を切ったのが、沙夜達なのだ。
「……言えないの?」
 その言葉に沙夜の手が止まる。そして少し頷いた。
「でも言わないといけない。そうじゃないと……けじめがつかないから。」
「けじめねぇ。」
 真面目な女なのだ。だからはっきりとした関係を望み、はっきりと言おうと思っているのだろう。
「忍さんは反対されなかったの?」
「凄いされた。母親からは特に。」
 離婚歴がある。ホストだった。その上今は田舎に引きこもって養鶏場をしている。それだけで何かあって田舎に引きこもったことは明らかだ。そしてそれを心配する親の見解もわからないでも無い。
 それでも辰雄は説得した。もし養鶏で食べれなくても路頭に迷うことはさせない。自分は食べれなくても良い。忍だけは困らせるようなことはさせないと、言い切ったのだ。
「強いわね。」
 芹はそんなことをおそらく言わない。まだ裕太から逃げている状態なのだから。
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