触れられない距離

神崎

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栗きんとん

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 山の中腹に社がある。そこには多くの人が詰めかけていて、ロープウェイでやってきた人なんかもその社に詰めかけていた。
 沙夜は一馬と一緒にそこ社に並び、賽銭箱に金を投げる。そして手を合わせた。一馬は何を願っているのかわからない。沙夜だって昨日のことが無ければ「二藍」のことなんかを願うつもりだった。だが今となっては何を願って良いのかわからない。
 ただ一年無事に過ごせれば良い。そう思っていた。
 手を下ろすと、その場を避けた。少し離れたところではおみくじやお守りを売っているところがある。厄年なんかの人は厄払いをするための受付もあるようだ。
「甘酒を売ってるわね。」
「飲むか。」
 素直にその売り場へ行くと、二つ分の甘酒を買った。
「甘酒って凄く栄養があると言うわね。」
「飲む点滴って言われているらしい。ん……これは少しアルコールが入っているな。」
「匂い?」
「酒粕で作られているな。酒粕はアルコールが少し残っているから。だから子供は飲めないんだな。」
 二人とも酒には強い。アルコールはあまり気にならないだろう。それにこれから車などを運転するわけでは無いのだから。
「いつか、奥様が甘酒を差し入れしてくれたわね。あれとは違うみたい。」
「アルバム制作の時だな。あの時は店もゆっくりしていたようだし、余裕があったんだろう。確か、あれは麹で作ったと言っていた。酒粕はどうしてもアルコールが残っているから。」
 翔は音楽制作にかかると、食事や睡眠がおろそかになることがある。だから甘酒だけでも飲んでくれれば良いと思っていたのだ。
「気がつく女性ね。」
「あぁ。俺にはもったいないくらいだ。」
 それなのに言い過ぎてしまったと、一馬はまだ反省していたのだ。だが一馬の実家には足繁く通っていて、自分の実家には寄り付きもしないというのはあまり良くないと一馬は思っていた。子供が生まれているのだから、その孫を可愛がらない祖父母がいるだろうか。
「事情があると言っていたわね。奥様の方に。」
「あぁ。妻は昔事件に巻き込まれた被害者だったんだ。だが周りはそう言わない。被害者のふりをしていたんじゃ無いかと噂されたこともあって……。」
 それを鵜呑みにしたのが母親だった。本来なら母親が一番になって妻をかばわなければいけなかったのだろうに、母親は妻を責めることしかしなかったらしい。それから母親、それからそんなことに無関心な父親には関わりたくなかったらしい。
 結婚式をする予定では無かった。だが一馬の強い希望で式だけはした。その場に両親を呼びたくないと妻は言っていたが、さすがにそれは無いと言って一馬が妻の両親を式場に呼んだのだ。
 だが両親は綺麗なウェディングドレスを着た妻に、張りぼてだと言い放ち、どうせすぐに離婚すると言った。一人の男に縛られるような女では無いと思い込んでいたから。
「……だから式に参列しなかったのね。」
「妻が追い出したんだ。孫が生まれても顔を見せに帰ろうともしない。俺はそのままで良いのかってずっと思っていたんだがな……。あいつも強情なところがある。」
 普段はほとんど妻と喧嘩することは無い。だが妻の両親に関わることではいつも言い合いをしているのだ。
「難しいわね。そういう問題。」
「沙夜さんも実家には帰りたがらないだろう。」
 すると沙夜は甘酒に口を付けて、一馬に言う。
「面倒なのよ。実家に帰るとお見合いをさせようって必死だから。」
「お見合い?」
 沙菜はおそらく結婚は期待していないし、結婚をしたとしてもすぐに別れたりするだろう。それだったら沙夜に希望を持って結婚して、子供を作って欲しいと願っているのだ。
「どっかの企業の部長とか、専務とか、将来有望で私は働かなくても良いような人。家に閉じこもって家事をしろって言うような。」
「無理だな。あんたは家に閉じこもっているタイプでは無いだろう。」
 翔よりも、芹よりも、一馬の方が沙夜をわかっているような気がした。やはり一馬といると気が楽になる。
 一馬はあまり饒舌な方では無いし、沙夜も必要以上は話をしたくないタイプだ。しかし、一馬に相談なりをすれば的確なアドバイスが返ってくる。それが頼りになると言うことだろう。
「そうね。仕事をしているのが一番楽だわ。それから料理とね。」
「料理しか能が無いって思うなと言っていたのにな。」
 その言葉に沙夜はばつが悪そうに一馬を見上げる。
「それはごめんって。八つ当たりをついしてしまって。」
 冗談で言っただけだ。一馬だって本気で言っているわけでは無い。
「良い。その代わり。」
「ん?」
「俺も愚痴は言いたいときがある。聞いてくれないか。」
「もちろんよ。奥さんのこと?」
「あぁ。それから仕事のこととかな。」
 妻とは音楽のことで相談をすることもあるが、あくまで妻は素人なのだ。やはり音楽のことで気になることがあれば、相談するのは「二藍」のメンツだったり沙夜の方が安心出来る。尚且つ、妻と沙夜は似ているところがある。女心がわからない、鈍い一馬にはちょうど良いのかもしれない。
「私も聞いて欲しいことがあるの。」
「そうだろうと思った。」
 沙夜の目が腫れているのは、夕べ泣いていたからだろう。夕べはフェスに出たあと、会社の駐車場で解散した。そのあと、沙夜と翔は望月旭がするイベントに顔を出したはずだ。その場で何かあったのだろうか。
 まさか翔が手を出したというのだろうか。確かに自分がけしかけたところもある。だが翔の性格上、簡単にホテルに連れて行ったりとかはしないと思う。「二藍」のことや同居をしていることを考えれば、沙夜が関わらなくなりなおかつ家を出て行くのが一番翔にとって恐怖なのだろうから。
「年末に、休みを取らされてね。」
「あぁ。なんかそんなことを言っていたな。」
 映画を観る予定だった。だが映画は観ずに、やってきたのは小さな町の港だった。そこに一緒にやってきたのは芹だったのだ。
「芹さん?」
 天草裕太のよく似ている弟だ。だがその顔を見られたくないらしく、ボサボサの髪で顔を隠しているように見える。
 裕太は元々前のバンドでも人気がある方だった。細い体にセンスがある服を着ていて、いつも種類の違う帽子をかぶっていたと思う。それに顔立ちも悪くなくて、バンドが解散して一時期は男性用のファッション雑誌なんかで見ることもあったのだ。今の翔のように。
「気持ちが通じ合った気がしたの。お互いが求めていて……。」
 幸せだった。セックスに恐怖しか無かったのに、芹はあくまで優しく抱いてくれた。お互いが求め合っていた気がする。時間を忘れるくらいだったからだ。
「寝たのか……。」
 翔への気持ちは無かったのだろう。翔にとっては残念だったかもしれないが、それでも沙夜がそれで幸せであればそれでいいと思う。
「でも夕べ……。」
 クラブイベントから帰ってきたときに見た光景に絶望した。
 芹が沙菜とキスをしていたのだ。翔と帰ってきて沙夜はそのまま部屋に閉じこもってしまったのだ。
「……。」
 何が芹をそうさせたのか、沙菜が何を思ったのかわからない。
「ごめんね。正月早々こんな話を……。」
「しろと言ったのは俺だ。聞くと言ったのも俺。気にするな。」
 一馬は飲み終わった甘酒のカップを握りつぶした。所詮、天草裕太の弟か。そう思ったからだ。
「沙夜さん。やはり芹さんは所詮そこまでの男だったのかもしれない。」
「そこまで?」
「天草裕太の弟なんだろう。」
「……どうしてそれを?」
「去年。初めて会ったときに言われた。俺が裕太とバンドを昔組んでいたから、親しいのだろうと思っていたらしい。だが今は裕太と連絡を取り合うことも無い。」
 結婚したときに携帯の番号を変えた。元のメンバーとはもう繋がりを持ちたくなかったから。繋がりを持たないといけない人達に連絡先を教えるのは面倒だったが、それでもそっちのメンツと関わるよりましだ。
「天草さんのことは芹から聞いてた。ひどい話だったわ。」
「……俺も妻も裕太にはめられそうになったことがあってな。その弟だと言うことだし……あまり言いたくは無いが。」
「芹がそういう人間だったのかもしれないと?」
「あぁ。人間はわからないものだ。表面上ニコニコしていても心の中はドロドロしているかもしれない。」
「そんなこと……。」
「実際そうだ。俺はそういう人間ばかり見てきて……。」
「芹がそんな人だと思えない。」
 その言葉に、一馬は少し笑った。
「やはり……どんなにひどい仕打ちをされても、沙夜さんは芹さんをずっと思っているようだ。」
「……。」
 わざとひどいことを言ったのか。またこの男にやられた気がする。
「そのカップを捨ててこよう。それからそろそろ帰ろうか。」
 一馬はそう言って沙夜の持っている空のカップを手にして、ゴミ箱に捨てた。そして立ち尽くしている沙夜の肩に触れる。
「家には帰らないんだろう。」
「えぇ。どちらにしても今日は、家に翔の両親が見えているの。」
「どこかへ行くのか?」
「毎年行く温泉宿があるの。そこに泊まるわ。」
「温泉?」
「良い所なの。昔は湯治をするようなところみたいだったけれど、今は寂れているわ。でも静かなの。奥様と来てみたら良いわ。」
「あいつは家族風呂くらいしか入らないけどな。」
「シーズンでは無ければ貸し切り状態のようなところよ。」
「そうか。そこの連絡先を教えてくれないか。今年こそは、もう一人くらい子供が欲しいし。」
「……一馬さん。」
 沙夜は口を尖らせると、一馬は少し笑った。そして山を下山していく。
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