触れられない距離

神崎

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七輪の焼き肉

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 石森愛によれば、ある程度のライターになるとゴーストライターの依頼というのは来るモノだという。どうしてもスランプになったり、書けないという人気作家の代わりを書くのだ。
 ある程度のモノ語りの設定、道筋なんかは決まっている。それからライターが本文を書き作家の元に送られて修正されて納品されるのだ。
 作家の世界とはそんなモノなのだろうか。芹はそう思いながら、そのメッセージの主である遠藤紫乃という女性と待ち合わせをした。
 ゴーストライターというのは作家の担当が依頼するモノで、会社でおおっぴらに出来ることでは無い。だから会社近くのカフェで待ち合わせをしたのだ。
 紫乃は色気の塊のような女性だった。グレーのスーツを着ていたようだが、口元のほくろや長い髪をまとめていた後れ毛も、ブラウスの奥にある豊かな胸もおそらく男ならばその奥を想像させるような女で、それは芹も例外では無かったように思える。
 だが仕事は厳しいモノで、報酬が良ければそれだけ求められるモノはクオリティを求められる。それに芹にとっては手探りのモノだったし、アドバイスをいつも紫乃に求めていた。普段であれば愛に聞いたりしていたのだろうが、芹自身もいつからか紫乃に会うのを心待ちにしていたように思える。
「多分、結構早い段階で紫乃が好きだったんだろうな。」
 初恋に無いにしろ、恋をするとそんなモノなのだろう。だがその思い出はあまり良い思い出とは言えないと言える。芹の表情が苦々しかったから。
「それまでに好きな人っていたんでしょう?」
「居たよ。でも……言い寄られるのって苦手で。」
「贅沢ね。」
「俺さ……好きだなって思ったヤツはいつも彼氏がいたりしてさ。奪うのとかは嫌だったし、その歳くらいまでは女を知らなかったんだ。」
 いつも目を覆うほどの髪なので気がつかなかったが、その下の顔立ちは悪くない。女の一人でも居ない方が不自然なほどだ。
「童貞だったって事?」
「うん。」
「別に良いんじゃ無いの?三十まで童貞だって人も居るし、好きな人も出来ないって人も居るんだから。」
 ある程度の事情があって、異性が苦手な人も居る。だが強烈に好きになったりすれば、その感情は忘れられる。一馬の奥さんがそのタイプだった。そして今日会った忍もそのタイプなのだろう。
「ぼんやり生きてきたわけじゃ無いんだけど……そんなことよりも文章を書くのが好きだったから。」
「うん……。」
 おそらく芹はとても感受性が豊かなのだ。その感じたことを文章にすることで、満足していた。だからそれは歌詞にも表れている。
「それよりもきっと紫乃に夢中だったんだと想う。会いたいために必死に書いてた。出来が良いと凄い褒めてくれて……もうそうなると金じゃ無いよな。」
 次第に仕事以外の理由で会うことが多くなった。飲みに行ったり、遊びに行ったりしたのだ。それはデートのようだったと思う。だが芹の思いを口にすることは無かった。なんせ、大学生なのだ。収入といえばライターの仕事とゴーストライターの仕事。普通の大学生よりも稼ぐのかも知れないが、紫乃は社会人でそもそものステージが違う。
 そして就職活動に入り、芹はダメ元で出版社を受けた。それは大手の出版社で、芹が好きな作家がいるところ。そして紫乃が務めている出版社だった。
 芹のいた大学ではそんなところを受ける人は居ない。レベルが高すぎるのだ。受けたいという人だって相当多く、それに受かる人は一握りだろう。そう思っていたのに、芹はそこに採用されたのだ。それは少し話題になった。
「……その出版社ってどこ?」
「○○出版。」
 確かに大手だ。音楽雑誌に掲載するからと言って、「二藍」の五人だけでは無く、ギターの専門誌、キーボードの専門誌などで、純や翔が呼ばれることもあるような所。音楽雑誌というのは結構あるが、一つの楽器に特化した雑誌となると数は少ない。売れる見込みが無ければ発刊しても意味が無いのだ。
「でも裏を返せば、○○出版がゴーストを雇っていたとも言えるわね。」
「それは引っかかったよ。でもそれは向こうさんも思ってたことかも知れない。」
 つまり芹はゴーストをしていた。その実情を知っていたから、口封じのために雇ったとも言える。落ちれば暴露する可能性もあったからだ。
「暴露なんかしないけどな。俺……そんなことを話しても仕方ないし。一時の金で他人から……特に紫乃からは何も言われたくなかったし。」
 就職が決まって、卒論も仕上げ、あとは卒業を待つだけだった。
 ライターをすることもゴーストライターをすることも無くなったと、石森と紫乃に挨拶をした。その時紫乃は、お祝いをしたいと言って芹を食事に誘う。その帰りに、芹はやっと紫乃と対等になれたかも知れないと思って、紫乃に告白をしたのだ。
 すると紫乃はゆっくり頷いたのだという。
「恋人同士に?」
「そう思ってた。だから折りかけたタクシーにまた乗って……。」
 ホテルへ行って初めて芹は男になった。その時が初めてだったが、上手く紫乃のがリードしてくれたと思う。
「幸せだったのね。」
「その時はな。けど違和感はあった。」
 紫乃はあの時「次は官能小説が書けるわ」と言ったのだ。もうゴーストはしないと思っていたのにどうしてそんなことを言うのだろうと思っていたのだ。
 卒業して就職する間、何度か紫乃に会い何度かセックスをした。そして就職してもそれは変わらないと思っていた。
 だが紫乃は「職場では隠しておきましょうね。新入社員と何かあると言われたら、私の立場が悪くなるし。」と言った。つまり他人を装ってくれと言うことだろう。
「……まぁそうね。」
 沙夜の職場でも職場恋愛をしている人は居る。だが表立って付き合っているとは言わない。変に気を遣われるのも嫌だからだろう。鈍い人なんかは、結婚するまで気がつかない人も居るのだ。
 芹の仕事は、出版社と言っても編集だけでは無く最初のうちは校閲になる。文字をひたすら追う仕事だった。目がチカチカして、赤ペンで修正を加えていく。まるで自分が機械になったようだと思う。
 それでも外で会う紫乃の姿に、癒やしを求めていたのだ。
 だがそれも全て崩れた。
「紫乃が結婚するって聞いた。」
「え?二股をかけられていたって事?」
 二股だけならまだ良かった。もっと絶望に芹は突き落とされたのだから。
 紫乃と連絡が取れなくなり、会社でも会うことが無くなったその日。母からの連絡が来たのだ。
「兄さんが結婚相手を連れてくるから、早く帰って来いって事だった。」
 前から結婚したい相手が居たと聞いている。だが借金の問題もあって、それを完済するまで結婚を遅らせると言っていたのだ。おそらく借金の返済のめどが付いたのだろう。相当無理して仕事をしていたのだ。
 無碍に金は無いと言ってほとんど兄に金を渡すことは無かったが、結婚となれば別問題だ。諸手を挙げてお祝いをしてやろうと芹は家にまっすぐ帰ってきた。
 玄関を開けて、居間にはいる。すると食事の匂いがした。母が食事を作っていたのだ。そして居間にいたのは、兄である裕太と紫乃だった。
「え?」
「兄さんの嫁になる女と俺は付き合っていたと思ってたんだよ。」
 わざとらしく紫乃は「初めまして。遠藤紫乃です」と挨拶をした。その色気に父親の目尻も下がっていて、妹すら羨望のまなざしで見ていた。
「……おめでとうとしか言えなかった。俺、その日何食ったかとか、何を話したかとか覚えてなくて。味も何も無かったと思う。」
「……。」
 二股をかけられていただけならまだしも、その相手は兄だった。その事実を認めたくなかった。
 だがその別の日。芹は裕太に呼び出され、紫乃のことを問いただされたのだ。そこでも話を作り替えられていたという事実に絶望した。
「作り替えられた?」
「俺が、紫乃をレイ○してモノにしたって。」
 同意だったことも作り替えられ、裕太は怒り心頭のまま芹に金銭の要求をしたのだ。それに芹は応じた。
「蓄えはあったし、それを渡してもう二度と紫乃に個人的に会わないって言うのを約束したんだ。」
「雲行きが怪しいわね。」
 紅茶のカップを持つ手が震えている。苦しい過去だったから。
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