触れられない距離

神崎

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ポテトコロッケ

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 そろそろシャツ一枚では厳しくなってきたかと、翔はパーカーを羽織っていた。それにジーパンと合わせて出版社の編集者とカフェで待ち合わせをしている。
「あ。あれさぁ。」
 町に出れば、そう言われることも多くなってきた。モデルの仕事のおかげで、遥人の次くらいに顔が割れているように思えた。モデルの仕事も少し控えないといけないな。翔はそう思いながら、カフェの中に入っていく。
 一番奥の席。そこに顔なじみの編集者がいる。若い女性で、翔よりは少し年は下。だが気の強そうな顔立ちをしていて、この世界では割と名の売れた編集者だ。あまり物怖じをしないからだろう。
「千草さん。」
 今日は男性も連れてきたらしい。こちらはその女性よりも更に年下に見える。借りてきたようなビジネススーツを着ていた。
「お疲れ様です。」
「今日はお時間を取ってもらってありがとうございました。あぁ、こちらはですね。私の後任になる、藤澤と言います。」
「藤澤清吾と言います。」
 そう言って藤澤清吾は名刺を取り出した。それを翔は受け取るが、少し違和感を持った。
「後任?」
「あ、あたし、退職するんですよ。」
「退職?」
「結婚するからですね。」
「おめでとうございます。」
 翔はそう言うと、女性は少し笑った。
「でも結婚するから退職を?」
「あー。結婚相手が海外の人なんですよ。それでついて行こうと思って。あ、あちらでも編集をするつもりなんです。」
「頼もしいですね。あちらのデジタル音楽の事情とか教えてくださいよ。」
「任せてください。」
 さっぱりした女性だ。だから気に入られるのだろう。きっと向こうでもいい編集者になるはずだ。
「で、この藤澤なんですけど、あたしの部下になりまして、でも歳は一つ下です。入社は遅かったんですけど、それまではテレビゲームなんかの音楽を作ってまして。」
「へぇ……。」
 最近はテレビゲームよりはスマートフォンのゲームアプリの方が売れている気がする。そしてそういうところになると、電子音楽が主流になるのだろう。容量を考えても生音よりはそっちの方が良い。
 芹は良くゲームなんかをしているようだが、翔は全くしない。それよりは本や映画を見たいと思う。
「「二藍」さんの音楽はデジタルが主流ですか。」
 清吾がそう聞くと、翔は少し首を横に振る。
「いいえ。時と場合に寄ります。音楽によってはオーケストラを使うこともありますし、和楽器を使うこともあります。」
「あぁ。新曲ですよね。琴でしたっけ。」
「えぇ。」
 耳は確かな男だ。曲が出来上がったときに、少しスパイスを入れた方が良いと翔が言い出して、琴の音を入れてみたのだ。テレビなどで生で披露をするときは琴を持ってくる訳にはいかないので、あらかじめ録音しておいたモノを使っているのでその音楽に琴を使っていることは普通の人はわからないだろう。
「ハードロックだから、これという概念が無い感じがしますね。俺、そういう音楽が好きで。」
 とらわれていない音楽が好きと言うことだろう。「二藍」の音楽はハードロック特有の高い声のシャウトやギターの早弾きなんかも確かに入れることもあるが、セオリーというモノにとらわれていない。それがハードロックなんてと思っているリスナーの心を掴んだのかもしれない。
 そしてこの男はそれがわかっているのだろう。わりかし話の通じる男が後任になって良かったと思っていた。
 それを沙夜にも伝えないといけない。帰って伝えよう。今日は沙夜は休みのはずだ。どこか気ままにぶらりとどこかへ行っている。その隣には誰もいないだろう。その一つ一つを聞きたい。沙夜のことが全て知りたいから。

 その頃、沙夜は食材を手にして帰ってきたようだ。玄関の鍵のドアが開く音を聞いて、芹は部屋を出る。予想通り、沙夜はバッグとビニール袋を手にして戻ってきた。
「ただいま。」
「どうしたんだよ。早くねぇ?」
「ちょっと良いものを手に入れたから、早く帰ってきたの。今日は翔も沙菜も遅くなるって言ってたし、二人で良いものを食べましょうか。」
 上機嫌だ。こんな沙夜を久しぶりに見る。そして気になるのはビニール袋の中身だろう。
「何を手に入れたんだよ。」
「ジャガイモ。」
「ジャガイモ?」
「今日はコロッケにしようかと思って。その前にやりたいことがあるのよ。お昼まだでしょう?」
「あぁ。そうだけど。」
 今日は翔は、付き合いで昼は外食だと言っていた。沙菜も今日は現場で食事が出るのだという。めったに現場の食事に手をつけるタイプでは無いが、今日は現場の監督の知り合いのレストランのシェフがバイキング形式の食事を用意してくれると上機嫌だった。
 二人ともたまには外の食事を楽しめば良いと思う。だがこれより美味しいモノがあるかというと、それは無理だろう。
「お弁当が今日入らないって言っていたけれど、何を食べるつもりだったの?」
「適当に。たまにはインスタント麺も良いなと思ってた。」
「あぁ。そうね。でもそっちよりも美味しいかもしれないわね。」
 沙夜はエプロンを身に付けるとビニール袋の中のジャガイモを取り出す。大きなジャガイモがゴロゴロと出てきた。まだ泥が付いていて、取れたてなのだろう。
「芹。その上にある圧力鍋を取ってくれる?」
 シンクの上にある棚に、圧力鍋がある。芹は脚立を取り出すと、その圧力鍋を手にしてシンクに置いた。
「これ、あまり使わないな。」
「そうね。でもこれから使うことも多くなるわね。」
「何で?」
「早く作れるのよ。おでんもカレーも。牛すじのハヤシライスを作りたいな。」
「良いな。でもたまにはカレーが良い。辛くしてくれよ。」
「辛いものは沙菜が食べれないのよ。」
「体はしっかり大人なのに子供っぽいよな。その辺が。」
 一言多い。そう思いながら、沙夜はそのジャガイモの泥を水で落とす。そして大きすぎるモノは半分に切って圧力鍋に入れた。
「水とかは?」
「野菜が持っている水分が水分になるの。」
「ふーん。」
 ジャガイモを次々に入れていくのを見て、芹は少し驚いた。
「そんなに食うかよ。四人だぞ。何日分だよ。」
「作っておいて余ったら冷凍するのよ。これから少しそういうことも増えるだろうし。」
「あぁ。アルバムだっけ。明日から?」
「レコーディングだから、私が付いていることは無いんだけどね。」
 沙夜の心の中に奈々子の言葉が響く。「二藍」の音楽に口を出して欲しいと。自分にそんな資格があるのだろうか。あれだけ否定されたのだ。自分が口を出して「二藍」の人気が落ちてしまったら自分の責任だ。そう思うと口を出すのも、少し抵抗がある。
 今、時代に乗っている状況なのだ。それを沙夜の手で駄目にしたくなかった。
 そう思いながら蓋を閉めて、ピンを調整する。そして火をつけた。
「これで圧がかかるのか。」
「えぇ。しばらくしてね。」
「電子レンジでいけそうな気がするけどな。」
 すると沙夜は首を横に振る。
「この量を電子レンジで温めればどれだけ時間がかかると思う?これなら一気に蒸し上がるんだから。さてと。何をつけて食べる?塩がおすすめよ。」
「塩も良いけどバターが良いな。」
「一気にジャンクの匂いがするわ。」
 沙夜はそう言って少し笑う。先ほどまでの気持ちを払拭させるように。
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