触れられない距離

神崎

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芋ご飯

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 純とともにリハーサル室を沙夜はあとにする。あとは「二藍」のリハーサルがあるのだ。だが「二藍」のリハーサルは、本番が始まってからになる。衣装も個々の衣装のままするのだ。それが終わってやっと「二藍」の衣装を着て、スタジオへ向かう。
 つまりその間だけ少し時間があるのだ。
 楽屋の前に立つと、沙夜は純に言う。
「三十分くらいは好きに出来ますが、トイレ以外は出ない方が良いです。お弁当があると思うのでそれを食べても良いですし、芋ご飯のおにぎりを食べても良いと思います。お茶もあると思いますから。」
「泉さんは?」
 ギターを背負い直して純はそう聞くと、沙夜は携帯電話を取り出す。
「会社へ報告をしないといけないんです。それから……少し用事があるので、外に出ます。」
「外?」
「えぇ。」
 詳しくは言わない。だがそれだけを言うと、沙夜はエレベーターホールの方へ向かっていった。その様子に純は首をかしげる。
 沙夜は何を置いても「二藍」を優先してきた。自分のことをおざなりにしても、「二藍」が売れるためにはと努力してきたと思う。
 なのにそれを置いてまで外に何の用事があるのだろう。そう思いながら、純は楽屋の中に入っていく。するとそこには治と一馬、遥人の姿がある。翔はまだ戻っていない。
「リハーサル終わったか?」
「あぁ。緊張したよ。」
 治は上着を脱いで、紙袋に入っていた芋ご飯のおにぎりを取り出した。すると一馬が口を挟む。
「治。食い過ぎだ。弁当もこのあと食うんだろう?」
「芋ご飯は別腹。」
 呆れたように一馬はお茶を口にする。一馬も大食漢ではあるが、治のように無でっぽうに食べたりはしないのだ。
「泉さんはまだ翔のところにいるのか?」
 すると純は首をかしげていった。
「用事があるって言ってた。三十分くらいしたらコメントを撮りに来るから、それまでには戻るって言ってたけど。」
「用事?」
 遥人はそう言って首をかしげた。遥人も少し違和感を持ったのだろう。
「泉さん。何か体調が悪そうだったけど。」
 ギターをスタンドにおいて、純はそう言うと治は首をかしげた。
「そう?俺の時は普通そうに見えたけど。遥人の時は?」
「……普通だったな。」
 口添えをしてくれた。沙夜のおかげであのステージはどうにかなりそうだと思う。沙夜のおかげだった。
「一馬のリハーサルには来なかったんだろう?」
「あぁ。身内だけでリハーサルをしたいと加藤さんが。」
 元気そうに見えた。だが一馬は知っている。
 加藤啓介は、去年の年末にある恒例のライブをしなかった。それは啓介が病魔に冒されていたからだ。
 表向きには喉にポリープが出来たからという話になっている。だがポリープなどでは無く、それは悪性の腫瘍だったのだ。もう歌えないとわかった若い妻は、啓介の介護などしたくないと若い男と出て行った。一人きりでの入院生活になると思っていたその時、啓介に手を差し伸べたのが一度目の結婚で妻になった女だった。
 そしてその妻と結婚をして、血の繋がらない息子と一緒にステージに立つ。それはもう最後かもしれない。
 一馬は全部知っていた。だからこの話に乗ったのだ。啓介とまた同じステージに立ちたいと思ったのは、自分が迷っていたときに手を差し伸べてくれた恩も有るから。
 音楽だけでは無く人生としての先輩になると思っていた。
 その時、翔が楽屋に戻ってきた。手にはタブレット型のパソコンが握られている。まだ音が安定していないらしいのだ。
「困ったなぁ……こだわるのも良いけど完成しないな。」
 翔はそう呟いてタブレットをテーブルに置く。こうなれば誰も声をかけられない。四人はそういうときの翔に声をかけない。集中しているからだ。
 だがすぐにタブレットの画面を閉じて、翔はため息を付く。そうなれば話しかけてもいい。
「翔。大丈夫か?」
 すると翔は治の方を見て少し笑った。
「こだわりすぎるなぁ。こんなモノなのかな。普通のアーティストって。」
「最初はDJなんだろう?望月旭さんの。」
「そうなんだけどなぁ。」
 旭は頑として、最初の曲はあのピアノの曲にしたいと言って聞かない。あれは流されたくなかった。沙夜の気持ちを考えると、辞めさせたいと思う。だが周りのスタッフもVJも乗り気なのだ。どこの誰が作ったかわからないその曲を、本気でテレビで流そうと思っているのだろうか。
「……あれ?泉さんは?」
 すると純が肩をすくめて言う。
「三十分したら帰ってくるって言ってた。」
「珍しいな。そんなことを言うと思ってなかったのに。」
「んー……って言うかさ。翔。」
 純は向かいの椅子に座り、翔に向かって言う。
「泉さん。何かあったのか?」
「え?」
「お前のところのリハーサル室を出て、凄い顔色が悪くてさ。トイレに行かせたけど、吐いたんだと思う。」
「……。」
 やはりそうだったのか。ますますあの曲を使いたくない。なのに、もう止められないと思う。
「……沙夜の口から言うから俺の口からは言えない。」
「モヤモヤするんだよ。こんな気持ちのままステージに上がれるかよ。なぁ。少しでもヒントがもらえないか。」
 クイズじゃ無いんだから。翔はそう思いながら、タブレットをまた立ち上げる。そして周りを見渡すと、その中に入っている曲を流した。
「……え?」
 それは翔がずっと聴いている曲だった。寝る前、移動中、気分を変えたいとき。どんな場面でも寄り添ってくれる曲だ。ピアノの独奏の曲で、深い海のそこに居るような感覚になる。
「これって……誰の曲?」
 シンプルな曲だった。その気になればおそらくバイエルを卒業したようなそんな子供だったら弾けるかもしれない。だがそれ以上に、曲の構成やメロディの美しさに四人は心を惹かれた。
「沙夜が昔作った曲。」
「泉さんが?」
 短い曲だ。二分ほどしか無い。だが四人の心が揺れるような曲だった。
「……沙夜が学生の時に作った曲だった。素人が自作の曲を投稿出来るようなサイトがあるだろう?」
「あぁ。それで翔も広がったんだっけ。」
 翔は運が良かった。人気が出て、視聴回数もお気に入りもダウンロードだって相当されたと思う。だが沙夜のモノは人気が出なかった。
「そんなに悪い曲じゃ無いと思うけどなぁ。」
 治がそう言うと一馬は首を横に振った。
「いいや。悪い曲どころか、相当センスがある曲だ。これでどうして人気が出なかったのか。」
 翔は首を横に振ってその曲を消す。そしてため息を付いて言った。
「悪いけど……こういうサイトで名曲だっていう曲はゴロゴロある。どうして評価をされないんだろうっていうモノはね。俺は評価されて、ここに居るんだ。運が良かったんだ。けど沙夜は……違う。」
 評価されないその曲に、沙夜はちょうどアカウントを取って一年後。そのアカウントを削除したのだ。
「だからか。」
 遥人は納得したようにいった。その言葉に翔がいぶかしげに遥人を見上げた。
「何が?」
「俺らのステージは成立するかなって思ってたんだよ。だけど……泉さんが口添えをしてくれたから、形になった。あの人、プロデューサーでもやっていけるよ。」
 その言葉に一馬も頷いた。
「そうかもしれない。ちょこちょこ言ってくるその言葉は的をいつも獲ているからな。」
「だけど……沙夜はもう音楽に関わらない。あくまで裏方でいたいんだ。」
 そうでは無いと、沙夜が耐えられない。沙夜がまた怒りを通り越してしまうところなど見たくなかった。
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