触れられない距離

神崎

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芋ご飯

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 吐き気がする。沙夜はそう思いながら、近くのトイレへ向かおうとした。するとリハーサル待ちでリハーサル室の前でバンドのメンバーと談笑をしていた純が沙夜に気がついて声をかける。
「泉さん。」
 思った以上に顔色が悪かったのだろう。他のメンバーも気がついて沙夜に近づいてきた。純よりも一回りほど年上のメンバーだ。
 純は体調が悪いのかと思って沙夜に近づいたが、そのメンバーの一人にはわかったらしい。
「少し、落ち着いた方が良い。吐きそう?」
「……トイレへ行きたいです。」
「間に合いそうかな。夏目君。手を引いてあげた方が良い。」
「え……。」
「良いから。」
 テレビカメラなんかもうろうろしている場だ。だからそういう行動は慎んで欲しいと言われたのだが、そのボーカルの男には沙夜の様子がただの体調不良では無いことはわかって純を促す。
 純と沙夜がトイレへ向かっている後ろ姿を見て、ボーカルの男はため息を付いた。
 亡くなったギターの男は事故に巻き込まれて死んだ。そういう風になっていたのだが、ずっと前からあんな目をしていたと思う。つまり精神疾患があったのだ。
「自殺なんかさせるつもり無かったのにな。」
 するとベースの男がボーカルの男の肩をぽんと叩く。
「何を言っても後の祭りだろう。夏目君は良いプレイヤーだ。俺もわざわざ海外から帰ってきたかいがあったと思うよ。こっちに来てくれないかな。夏目君。」
「自己評価が低すぎるよ。あいつ。」
 キーボードの男がそう言って笑う。自分がしてきたことにもっと誇りをもって言いと思っていたのだ。
 トイレから出てきた沙夜に、純はペットボトルの水を手渡した。少し離れたところにある自動販売機から買ってきたのだ。
「すいません。」
 リハーサルに入る前に口にしていた芋ご飯がほとんど出てしまったようだ。沙夜はそう思いながら水を口につける。
「何かあった?翔のリハーサルで。」
「……。」
 もうこれだけ迷惑をかけてしまったのだ。五人にはもう言っておくべきなのかもしれない。だがそれを躊躇させることがある。それは自分が作った曲での辛辣な言葉だった。
「……リハーサルが終わったら……いいえ……今日の本番のあとでも……話をします。」
「あとで良いの?」
 すると沙夜はまた水を口に含ませると、頷いた。
「夏目さんもそうなんですが……千草さんも少し精神的に弱いところがあるから。」
 すると純は少し笑って言った。
「俺には泉さんが一番弱く感じるよ。」
「そうですか?」
 強くあろうと意地を張っているように思えた。それが純の違和感に繋がる。
「いつも怒っているように強くあろうと思っている。でもそれは自分の意地なんだ。俺は自信が無いから自信が無いって言うけど、それを言えないほど泉さんは弱いと思う。」
「……。」
「意地を張るのはほどほどにしないとな。疲れるから。」
「そうですね……。」
 受け入れてもらえるだろうかと思っていた。だが少なくとも純はこんな自分を受け入れてくれる。そしてあの評価のように軽蔑されることは無いと思った。
「リハーサル。見ていかなくても良いの?」
 その言葉に沙夜は我に返った。もう翔達のリハーサルが始まっていてもおかしくない。そう思うと、ペットボトルに蓋をして寄りかかっている壁から背中を起こした。
「そうでした。行かないと。」
「あぁ。途中から俺らのリハを見るって言ってたっけ?」
「そうです。」
「ソロを期待しておいてくれよ。」
 純はそう言って少し笑った。沙夜は男や女という前の付き合いが出来ると思ったから。

 リハーサルの様子をディレクターは見て、頷いていた。これは話題になるかもしれないと思ったからだ。
 最初は望月旭のDJプレイから始まり、そこから翔が加わって新しい音が生み出される。新鮮で活気がある音楽だと思った。
「数字が取れるぞ。これは。」
 息巻いてディレクターがリハーサル室をあとにした。だがスタッフの中には首をかしげる人もいる。
「最初のあの曲って少し地味じゃ無いですか。」
「いいや。あれくらいシンプルな方が良い。それから音を重ねていくんだから。」
「そんなモノですかね。」
 それは沙夜も同意見だったかもしれない。翔と旭が演奏しているのはとても派手な音だと思う。なのに最初がシンプルすぎる。それでは視聴者はチャンネルを変えないだろうか。
 そう思いながら沙夜はそのリハーサル室をあとにした。そろそろ純たちのリハーサルが始まるからだ。その時音を消していた携帯電話が震える。手にしてみると、そこには芹の名前があった。
 芹は昨日が締め切りだった歌詞を、今日仕上げたらしい。歌詞が遅れるのは日常でそれを注意していたのだ。だが最近は渡摩季の仕事が遅いことは周知されている。もう諦められているのだ。それでも芹が全く捨てられないのは世の中に受け入れられているからで、その窓口は沙夜では無いといけない。まだ沙夜も芹も必要とされているのだ。ため息を付いて沙夜はそれに返信をする。そしてその歌詞が出来たと、担当にメッセージで伝えた。
 そして携帯電話をしまおうとしたとき、また携帯電話がメッセージを告げる。
「天草裕太とは会っただろうか。」
 どうして裕太の事を知っているのだろうか。それにどうして天草裕太を気にしているのかわからない。だが素直に沙夜はメッセージを送る。翔と一緒に居たときに、一度声をかけられたと。するとすぐにメッセージの返信が来た。
「近くに居る。少し出てきてくれないか。」
 その言葉に沙夜は少し戸惑った。どうしているのだろう。外に出ることをあれだけ嫌がっていたのに。それだけ天草裕太を警戒しているのだろうか。確かに気に入らない相手ではあるが、芹に何の関係があるのだろう。
「どうして外にいるの?」
 そうメッセージを送ると、芹はまた返信してきた。
「天草裕太がトラブルを起こすのは目に見えているから。」
 よく知っているようなメッセージだった。知り合いなのだろうか。
 沙夜はそう思いながら、純たちが居るスタジオへ足を向ける。
 ドアを開けると、セッティングをスタッフ達がしていてバンドメンバーは打ち合わせをしているようだ。そして沙夜の姿を見ると、ボーカルの男が沙夜に駆け寄ってきた。
「泉さん。大丈夫?」
「ご心配をおかけしました。」
「妊娠中?」
「では無いんですけどね。」
「つわりなんかじゃ無くて良かったよ。」
 冗談のように言ってくる。それが沙夜にとって嬉しかったのだ。沙夜も少し笑顔になった。
「うちの夏目はいかがですか。」
「良いね。あぁ、年明けに、俺、ソロアルバムを出す予定なんだけどね。」
「はぁ……。」
「一曲ゲストで来てくれないだろうかという話をしているんだ。どうかな。マネージャーさん。」
「そうですね……。同じ会社ですし、問題は無いと思います。」
 マネージャーでは無いと何度も言っているのだが、もう否定するのも面倒になってきた。
「泉さん。翔のところはどう?」
 純が聞いてくると、沙夜は少し暗い顔をした。だがそれは一瞬。すぐに笑顔になって言う。
「とても良いと思います。派手ですよ。DJプレイから始まりますしね。」
「望月旭の時間って十分くらい余裕があるんだろう。良いなぁ。」
「わざわざ外国から来てるのに六分って、時間少なすぎだよな。」
 そういう愚痴をスタッフの前で言わない方が良いのだが。沙夜はそう思いながら、バンドのメンバーを見ていた。
 だがリハーサルが始まるとさすがだと思う。純も気合いを入れて演奏をしているようだが、バンドのメンバーにはまだ余裕があるのだ。
 また気負いすぎている。沙夜はそう思いながら、また携帯電話のメッセージをチェックしていた。
 相手は芹だった。リハーサルが終わったら来て欲しいというメッセージに沙夜は少し不思議に思っていた。色んな事が重なり、沙夜は強がっていたがどこか心が弱っている。そんなとき、芹に会いたいと思った。毎日顔を合わせているのに。
 その感情を何というのか、沙夜にはまだわからなかった。
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