触れられない距離

神崎

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ハヤシライス

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 テレビ局では収録などで怪我をする芸能人もいるし、そのスタッフとなれば擦り傷切り傷打ち身などは日常茶飯事なのだ。それに緊張で熱を出す人もいれば、嘔吐する人もいる。
 だから一人くらいは常駐する管理人がいる。
「骨はいってないと思いますよ。腫れは無いですし。でも不安なら病院を受診しますか。」
「いいえ。大丈夫です。湿布をありがとうございました。」
 両膝にテープを巻かれ、沙夜は救護室を後にした。さっきよりも格段に歩きやすくなったような気がする。そう思いながら、楽屋の方へ向かおうとしたときだった。
「泉さん。」
 声をかけられ、沙夜はそこを振り返る。そこには慎吾の姿があった。
「あぁ……どうしました。」
「足、大丈夫だったんですか。」
「なんともないです。」
 すると慎吾はすっと沙夜の方へ近づいて、耳元でいう。
「足、舐められるの好きなんですか。」
 ゾクッとした。吐息が耳にかかったから。
「近づかないでください。」
「これくらいの近距離じゃ無かったじゃ無いですか。兄と一緒に居たとき。」
 楽屋に二人きりの時だったのだろうか。あのとき翔が足を気にして、跪いたのだ。それを見ていたのだろうか。
「足を気にしていたんです。千草さんは。」
「兄は優しい人ですから。まぁ……優しすぎて馬鹿をずっと見てたんですけどね。」
 いい加減この距離から離れたい。そう思いながら、沙夜は慎吾の体を押しのける。
「近づかないと話せないんですか。」
「そんなことは無いですけどね。」
「だったら近づかないで。」
 そう言って沙夜は楽屋の方へ向かおうとした。その後を慎吾が付いてくる。
「連絡先を教えるだけで良いんですよ。日和ちゃんが駄目なら、お姉さんのモノでも良いと言っているのに。」
 すると沙夜は慎吾を見上げて言う。
「馬鹿にしているんですか。」
「馬鹿に?」
「日和に相手にされなかったから、私で我慢しておこうみたいにとれます。それで良く日和が付いてきたモノですね。日和も満足してたんですか?それで?」
「えぇ。普段はサディスティックみたいなのに、あんな風に責めるとマゾヒストにもなれるんですね。そうだ。サディスティックはマゾヒストにもなれると聞いたこともあるし。そうなんですかね。実際。」
「知らないです。」
 そのとき携帯電話が鳴った。それを沙夜は取る。相手は治だった。
「はい……今向かっています。皆さんは楽器の回収へ行ってください。はい……。」
 そして携帯電話を切ると、沙夜は慎吾を見上げて言う。
「知りたければ千草さんに聞いたらどうですか。」
「兄に?」
「お兄さんなのだから聞けるでしょう?そうなさってください。」
 その言葉に慎吾は言葉を詰まらせた。聞けるわけが無いのだ。それが出来たら、苦労してこんなに連絡先を聞こうとはしない。
 仲良しの兄弟で育っていないのだから。

 楽器を片付けた後、司会者、スタッフなどに挨拶へ行く。評価は悪くなかったらしいが、やはりトークではあまり参加していなかったことが気になったらしい。中心に話していたのは遥人で、他のメンバーはほとんど話していない。SNSなどを見ればその評価は露骨だからだ。
「せっかくテレビなんだからもう少し話をしても良いと思いましたね。俺も。」
 遥人のマネージャーはこの後の遥人の仕事のために事務所が所有するバンを用意していた。ついでにと他のメンバーも乗せていたのだ。楽器は他の車に乗せられているが、キーボードやドラムなどのモノに限られていて、ベースやギターはそのままバンの中にある。
 沙夜はそのマネージャーの言葉に首をかしげる。
「音楽だけを聴きたいって方はいらっしゃらないんですかね。」
「だったらテレビなんかに出なくても良いじゃ無いですか。そうしているバンドもいるし。」
 すると遥人は少し笑って言う。
「俺、そういう方向性だったら良かったけど。」
「栗山さんはそういうわけにいかないですよ。」
 姿も音楽の一つなのだ。だから映画にも出るし、CMなんかに出ることもあるのだ。
「あ、会社でみんな降ろして良いんですか。」
 沙夜は会社でまだ事務作業が残っている。他のメンバーもまだ仕事の呼ばれている人もいるのだ。
「はい。ありがとうございました。」
 会社の駐車場に車を止めると、スタッフ達が車を止めていて楽器をおろしている。それを見て治は手伝おうと思っていたのだ。
「純と一馬は仕事だっけ。」
 純はこのままライブハウスへ行く。明日ある歌手のライブのリハーサルがあるのだ。一馬は練習スタジオへ行く。遥人もラジオの出演がある。それぞれまだ仕事が残っているのだ。
「じゃあ、お疲れ。」
 遥人はそのままその車に乗ったまま行ってしまった。治はそのまま楽器をおろしているスタッフのところへ行こうとする。
「俺も行くよ。」
 翔もそのまま治と一緒に会社へ向かった。
「じゃあ、お疲れ様。」
「リハーサルと練習頑張ってください。」
「あぁ。」
 一馬と純はそう言って駐車場を離れた。沙夜も会社の方へ向かう。その後ろ姿を見て、純はため息を付いた。
「俺さ。」
「ん?」
 純は一馬を見上げて言う。
「女は趣味じゃ無いんだよ。なんか……臭くってさ。」
 純がゲイの趣味になったのは、中学生の頃にバイト先の先輩にいきなりレイ○されるように襲われたのがきっかけだった。香水の匂いと化粧品の匂いが嫌になると思っていた。だがそういった匂いの無い女と付き合ったこともあったが、嫌なのはその人工的な臭いでは無くそもそも女という存在が苦手なのだと二十歳くらいの時に感じたのだ。それから付き合うのは男だった。だからといって男と寝ることは無い。セックスをしなくても良いと思っているからだ。
「俺もそんな感じだったな。でも……奥さんが変えてくれた。」
「一馬の奥さんっていい女だよな。」
「手を出すなよ。」
「わかってるよ。手を出したりしたらお前に殺されるわ。」
 冗談を言い合いながら、夜の道を歩いて行く。もう酔っ払ったサラリーマンなんかが行き交っていた。
「泉さんってあまり男だ女だって感じなくてさ。付き合いやすいと思うんだ。たまに食事を食べに一緒にみんなで行くけど、音楽のことしか聞かないしそもそも感覚も鋭いと思う。」
「あぁ。」
 だが男が五人のバンドの中に女が一人。三倉奈々子がいなくなればそうなるのだ。
「だから……離れて欲しくないって俺も思ってる。」
「……会社が決めることだ。泉さんも言われれば離れざる得ない。俺らがデビューしてしばらくからの付き合いになるから離れがたいのもわからないでも無いが、泉さんのことを考えれば引き留められないだろう。」
「いつまでも一つのバンドの担当で居られないってことかもしれないけどさ……でも、さっき言ったような理由で離れるのは本意じゃ無いだろ。」
 表向きには一人の担当者がいつまでも同じバンドの売り込みをするわけにはいかない。バンドが軌道に乗れば他のモノが担当して、別のもっと芽が出そうなバンドをまた担当して欲しいというのが会社の思惑なのだ。
 だが沙夜がそれだけを理由に「二藍」を離れるわけでは無い。それは沙夜が「二藍」の五人全員と関係があると言う噂だった。
 そんなことは無い。誰一人沙夜とそんな関係になっていない。そう声を上げたいのに、噂は一人歩きをする。そこで会社は、「二藍」の担当を男に変えるという決断をしようとしていたのだ。
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