触れられない距離

神崎

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鯵のなめろう

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 生わかめをさっと茹でて、同じく茹でたオクラを刻んだモノと一緒にポン酢で和える。これだけで立派な一品になるのだ。鍋では豚汁が出来る鍋が煮たたっている。里芋、白菜、にんじん、大根、こんにゃくなど豚以外の具材も多いのが、沙夜の豚汁なのだ。
 そして貰ってきたた鰺は三匹。切り身ではなくて頭もしっかり付いている。その目に濁りが無いのは新鮮な証拠で、触れればプリッとした感触が手に伝わってくる。
 普段の万能包丁では無く、アジ切り包丁というやつだ。万能包丁に比べるとその刀身は短いがその分厚い。沙夜はそれを少し研いだ。アジ切り包丁は片刃で片刃を研いだら返りを軽く研ぐだけ。指で触れると、どれだけ研げているかわかる。
「よく指を切らないよな。」
 わかめとオクラをポン酢で和えていた芹は、その様子を少しいぶかしげな目で見ている。
「横に引けば切れるのよ。触るだけだったら指は切れない。」
「そんなもんかね。」
 砥石をしまい、鰺を前にする。そして鱗を取るとその顔の横に包丁を当てて、力を入れる。少し血がまな板に付いた後、鰺は首と胴が離れた。思わず芹は自分の首に手を持ってくる。自分の首が落とされるような気がしたのだ。
「何?」
「嫌……何か……ためらいとか無いんだなって思って。」
「命を頂くのよ。」
 沙夜はそう言ってまた次の鰺の首を落とす。ゴキャっと言う音がしたのは、骨ごと切っているからだろう。
「命?」
「魚だって海を悠々と泳いでいるところをいきなり捕まえられて、命を落とすのよ。魚だけじゃ無いけどね。」
「……。」
「肉だって家畜として育てられたモノを殺されるの。野菜だってそうじゃない。でも人間は食べなければ生きていられないんだから。その一つ一つの命を頂くのよ。命を犠牲にして。」
 鰺の首を切り落とされると、その首を新聞紙の上に置いた。そして胴体の部分の原に包丁を当てて切り目を入れる。そして内臓を取り出すのだ。そこまで来ると鰺は血まみれになる。
 そこまですれば一度水道の水を出し、お腹の部分や血を洗い流す。お腹の部分に水を当てて取り切れなかった血だまりや内臓を洗い流すのだ。ついでにまな板も少し洗った。
「魚を人間に変えると食欲が無くなりそうだな。」
「そんなことを考えているの?やっぱり作詞家さんね。今度のテーマは食をテーマにでもする?子供向けの番組の作詞を頼まれているんでしょう?」
「あぁ。でもテーマは決まってて、食事のことじゃないな。なんか……帰ってきたら手洗いうがいをしようみたいなテーマ。」
「教育番組なのね。」
 音楽大学を沙夜は出ている。そのときは寮に入っていて、隣の部屋の女の子は声楽をしていた。コンテストに出て優勝をし、ヨーロッパの方に留学をしている。プロデビューでもするのだろうか。
 沙夜はプロになろうとは思っていなかった。動画をあげた時点であまり人気も出なかったから、自分にはプロで活躍は出来ないと早いうちから就職活動をしていたおかげでこんな大きな会社に入ることが出来たし、音楽をしていたから「二藍」の音についても口を出すことが出来る。それだけは感謝していた。
「そこって骨?」
 尻尾から胴体にかけて包丁を入れる。ぜいごと言われる部分だ。トゲ状の鱗になっていてここがあると堅い。唐揚げなんかにするときには気にならないが、今日は刺身に近いなめろうなのだ。取っておく必要がある。
「鱗。食べると邪魔になるから。」
 そこを切っていてもガリガリと音がする。その手さばきはいつもしているような感じに思えた。
「沙夜って親にご飯の作り方とか習ってたの?」
 その言葉に沙夜は首を横に振った。
「親は料理が下手なのよ。モデルをしていたこともあったし、夜遅く帰ってくるついでにお弁当とか惣菜とか買ってきて子供に食べさせるような親。」
 母親はモデルとか役者にさせようと必死だったのかもしれない。沙夜がモデルを辞めてピアノをしたいといったのも、ピアニストにでもなってまたキレイキレイともてはやされ、その親だというネームバリューが欲しかったのだろう。
「自分で覚えてやったのか?」
「そうね。図書館なんかで勉強をしたり、近所のおばさんに習ったりしてね。」
 初めて作った卵焼きを、父親が喜んで食べていたのを思い出す。お世辞にも出来が良いとは思えなかったが、父親は良い嫁になると言ってくれたのだ。
 母はあまり料理が得意では無い。それが良い嫁をもらえなかったように母は捉えたのだろう。それから沙夜に対しては、どことなく嫉妬のような感情があった。だから高校を出て親元を離れるときほっとしたのを覚えている。
 包丁を背中の部分に当てる。骨に沿って包丁を入れていくのだ。そして背中の部分が切れ終わったら今度は腹の部分に包丁を当てる。背骨に沿って包丁を入れていき、それを尻尾にまで入れたら身の部分が離れるのだ。
「里芋煮えたみたいだ。」
 芹の言葉に沙夜は鰺を三枚おろしにしながら声をかける。
「味噌を溶いて一煮立ちしたら火を止めてくれる?」
「出汁って入ってたっけ。」
「えぇ。出汁で炊いているのよ。」
 出汁と言っても昆布やいりこから取るモノでは無く、顆粒だしや白だしを使うこともあるのだ。手を抜くところは抜きたい。
「違う。直接入れるんじゃ無いの。味噌こしでゴリゴリしながら入れるの。」
「味噌こしってどれ?」
「下の戸棚。お玉とかも入っているところよ。」
 芹はあまり料理は出来ないらしい。料理に関しては翔の方がまだ出来る方だ。だが芹よりも沙菜は料理に関しては絶望的で、どうしたらこうなったという代物が出来る。おそらく沙夜と住んでなければ、沙菜は買ってきたものなんかばかりを口にするのだろう。
 まぁ、最近の買ってくるものというのも、選べば栄養バランスが偏ることも無いだろう。
「これ?」
「そう。それに味噌を入れて、すりこぎで溶くのよ。」
「沙夜のところっていつも合わせ味噌だったの?」
「そうでも無いわ。ただそれが安かったから。でも味はおかしくないでしょう?」
「詳しい味の変化なんかわかんねぇよ。」
 三枚おろしが終わると、あばらの骨をそぎ取り今度は皮を剥ぐ。そして小骨を取るためにピンセットが大きくなったような道具を出す。中骨を取るのだ。たたいてしまえば骨なんかは気にならないだろうが、芹は骨があるとうるさいのだから仕方が無い。
 そのとき、家の玄関ドアが開いた。そしてリビングのドアが開く。そこには翔と紗菜の姿があった。
「ただいまぁ。」
「お帰り。もう少しで出来るわよ。芹。テーブル拭いて。」
「あいよ。」
 沙夜と芹が並んでキッチンにいる。その姿は少し新婚夫婦のようで、翔は少しむっとしたようだ。だがそれを表情に出さない。気がついたのは沙菜くらいで、その様子に沙菜も複雑だった。
「ずいぶん新鮮な鰺だったんだね。」
 荷物をソファーに置いた翔が、キッチンに来て沙夜が小骨を取っているのを見ていた。だが沙夜はその体をよける。
「邪魔よ。さっさと部屋着にでも着替えてきたら?」
「あぁ。ごめん。ごめん。」
 こんなにあらか様に態度で示しているのに、沙夜は全く気にしていない。それがさらに沙菜をいらつかせる。
 あらかたの骨を取り除き、出来上がった身を包丁で細かく刻んでいく。これがこの料理をなめろうと言わずにたたきという土地もある所以だった。
 細かく刻んだ鰺に、ショウガを擦ったモノ、味噌、大葉を刻んだもの、青ネギなどの薬味を加えてさらに刻んでいく。どちらかというとこれは、もう刻んでいると言うよりも混ぜていると言った感じに見えた。
 そして部屋着に着替えてきた翔は豚汁を器に注ぐ。具だくさんで、美味しそうだ。そして沙菜も箸なんかをテーブルに置いている。
 なめろうが出来て、皿に盛る。そしてそのそばにミョウガの輪切りを添えた。
「美味しそうだね。わかめも鰺と一緒に?」
「えぇ。鰺を貰ったら、ついでにつけてくれたの。生わかめだったし、塩抜きしているからちょうど良いと思って。」
 翔はそう言って少し笑う。野菜が多いそのメニューは、翔の好みでもあった。
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