触れられない距離

神崎

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弁当

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 そのまま駅へ向かい電車に乗り込んだ。夕方になりかけている。会社に帰って雑務をこなしたら退勤の時間だ。担当している「二藍」のメンバーの中では唯一、栗山遥人だけが自分のスケジュールを管理するのが不可能になってきて、芸能事務所からのマネージャーが付いているが他のメンバーはそこまで芸能人のようなことはしていない。翔は、最近そういう仕事が増えてきたがまだ自分で管理が出来ると言ってマネージャーをつけようとしない。本人が出来ると言っているのだから特に問題は無い。必要であればヘルプサインを出すのだから。
「ねぇ。今月のあの雑誌買った?」
「もちろん。かっこいいよね。千草翔。」
「栗山遥人よりも爽やかだし、真面目そうだよね。」
 近くに座っている女子高生がそんな会話をしている。やんちゃに見える遥人はどちらかというとちょっと突っ張ったような女性や人妻なんかが好むようだが、翔はどちらかというと女子高生なんかに人気があるようだ。アイドルを見ている気分になるのだろうか。
 雑誌の宙づりの広告を見る。そこには女性誌と隣は週刊誌の広告が吊り下げられていた。女性誌の特集は、アーティストらしい。その中で翔の写真は大きく取り上げられている。
 キーボードを颯爽と弾いている姿は、まるで王子様のようなイメージなのだろう。そんな人では無いのに。沙夜はそう思いながら、翔の家の中での姿を想像する。
 もうすぐ暑くなるのだろう。そうなれば翔は膝上のズボンとシャツ一枚で家の中をうろうろしていることもある。空調は効いているが、部屋の中はパソコンなどの機械で熱がこもるらしい。その姿にいつも沙菜が「誘ってるのか」と言っていたのを思い出す。もちろん翔にはそんな気は無い。
 その広告の隣には週刊誌。週刊誌と言ってもぴんからきりまであり、政治家の汚職や世界情勢に切り込んだモノもあれば、エロ本ギリギリのモノもある。今吊り下げられているのは、その中間あたりだろうか。特集は政治のこと。そしてその隣にはグラビア女優の水着姿があった。そして袋とじもあるらしい。その袋とじには沙菜の姿があった。
 エロ本ではないのでおそらく絡みは無いのだろうが、修正をかけられた胸の先や性器なんかを男たちは見て想像するのだ。
 今日もそういう撮影があると言っていた。背が高いのにスレンダーというわけでは無い。胸が相当大きい女だ。双子である沙夜でもそこまで大きくは無い。内心、そこまで大きくなくて良かったと思う。肩が凝りそうだし、何より男たちの視線を集めそうだと思う。そんなことで不用意な集め方をしたくない。そう思いながら、沙夜は席を立った。
 会社への最寄り駅に着いたのだ。

 デスクにあるパソコンをシャットダウンした。そして沙夜は伸びをすると、もう帰ろうとしていた朔太郎が声をかける。
「相変わらず早いね。」
「仕事ですか?そうですね。打ち込みだけは他の人よりは早いですね。私、ここに居れるときもあまりないから。あぁ、植村さん。これを。」
 そう言って沙夜は、プリントアウトした紙を朔太郎に手渡す。
「渡先生から歌詞が送られてきました。」
「ありがとう。助かったよ。」
 そう言って朔太郎はその歌詞に目を通す。朔太郎の担当しているのは、沙夜が担当している「二藍」よりは売り上げは貢献できていないバンドだが、それでも一部のマニアックなバンドファンからは一定の評価がある。だがバンドの方向性としてこれでいいのかと朔太郎は思っていた。
 ビジュアル系と言われているバンドで、演奏よりも姿の方が重視しているのだ。だから歌詞も曲も作れない。そんな時間があったら肌のコンディションを整えたいのだという。
「あぁ。良いね。さすが渡先生だ。タイトルはフランス語かな。」
「その通りです。修正は二,三日中にお願いします。」
「そうするよ。メンバーと話を明日してみる。」
 そのとき朔太郎に他の同僚が声をかける。
「植村さん。そろそろ行きましょうよ。」
「あぁ。そうだったね。予約しているんだっけ。」
 そう言ってちらっと沙夜を見る。沙夜ももう終わりらしく、荷物を纏めていた。
「泉さんも行かない?」
「え?」
 沙夜はそう言って植村を見上げる。
「そこに美味しい居酒屋が出来たんだ。クーポンをもらって、生が一杯無料らしいんだよ。」
 だが沙夜の表情は変わらない。そして首を横に振る。
「いいえ。皆さんでどうぞ。」
「いつも泉さんは行かないよね。何かあるの?」
 同僚がそう聞くと、沙夜はぽつりと言う。
「同居人は食事を用意しないと食べないという人も居るので。」
 その言葉に思わず顔を見合わせた。まるで子供やペットのようだと思ったが、同居していると言うことはいい大人なのだろう。そこまで面倒を見ないといけないのだろうか。
「子供じゃ無いんだし、無ければ買ってでも飯くらい食べるだろう?」
 すると沙夜はまた首を横に振った。
「同居をしているということは、家事は分担しないといけないんです。私の役割がたまたま食事だったというだけで、後は持ちつ持たれつですから。負担をお互いかけないためにはそういうことも必要です。」
 朔太郎はその言葉に少し頷いた。大学の時、朔太郎は寮生活だった。食事は寮母が用意してくれたが、みんなが使うトイレや風呂場は当番制で掃除をしていたのだ。最初は面倒だと思ったが、そうでは無ければ汚いままだ。かといって一人に任せていると負担になり、それは不満につながる。そうなれば寮生活は苦痛以外の何物でも無い。沙夜の家もそんな感じなのだろう。
「急には無理ってことだよね。二,三日前くらいから言っておけば飲みに行ける?」
 朔太郎はそう言うと、沙夜は少し頷いた。
「食事は用意できないこともあります。そういうときは用意をして行きますから。」
「だよね。ライブなんかがあったらそんな真似は出来ないか。だったら今度は絶対行こうか。」
「だな。ほら泉さんってざるだから、飲み応えあるし。」
「酒豪みたいに言わないでくださいよ。」
「ははっ。」
 人を寄せ付けないわけでは無い。時に冗談を言うこともある。沙夜はそういう人なのだ。
 そして四人でオフィスを出てエレベーターホールへ向かう。定時の時間なので、そこは人が多かった。エレベーターも三台あるが、せわしなく行き来している。順番を待つように沙夜はその前に居ると、後ろから声をかけられた。
「泉さん。」
 振り向くとそこには翔の姿があった。
「千草さん。こちらに用事が?」
「あぁ。広告代理店と車のメーカーから話が来てね。」
「ついにCMですか?」
 それは沙夜も望んでいるところだった。バンド以外の活動は大いに歓迎する。それが「二藍」の名前をまた大きくさせてくれるからだ。
「あー。じゃなくて、CMの曲を作って欲しいって言われて。」
「歌手は?」
「歌は入れないらしい。ほら、なんかこう近未来みたいなイメージだから、シンセサイザーで……。」
 翔と沙夜がエレベーターを待っている間、仕事の話をしている。その後ろ姿はまるでカップルのようだと朔太郎は思っていた。
「なんかあれっすね。アーティストの担当ってより……。」
「しっ!」
 同僚が気を遣って黙らせた。隣に居る朔太郎の表情がわずかに険しくなったからだ。この職場では誰でも知っていることだ。朔太郎がずっと沙夜を狙っていること。
 無理も無いと思う。
 わざと地味にしているようで、極めつけはあの黒縁の眼鏡がさらに地味さに拍車をかけている。だがその眼鏡の奥の素顔はかなり美人だ。それに背は高くて、足も細く長い。胸だって他の人よりも大分大きいように見える。
 沙夜の妹がAV女優である日和というのは誰でも知っていることだ。だからその双子の姉である沙夜も見た目は悪くない上に、おそらく淫乱なのだ。だから一度くらいは味見をしたいと思っているのに、沙夜は男に見向きもしない。沙菜もサディスティックな女王様のイメージが強い。だからこそ誘いたい。そう思っているのは朔太郎だけでは無いのだ。
 だからこそ、翔みたいな男に惹かれるのは本意では無かった。
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