触れられない距離

神崎

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弁当

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 六人はそのまま駅の方へ向かい、沙夜だけは違う路線の電車に乗った。五人は馴染みの洋菓子店へ行くらしい。喫茶店でもカフェでもなく、洋菓子店なのだ。住宅街の中にあるその洋菓子店は評判が良い。沙夜もたまにそこで焼き菓子を買ったり生菓子を買ったりする。それは自分のためではなくアーティストの為のお土産なのだ。
 昼間の電車は割と空いている。椅子に座りながらイヤホンで「二藍」の音を聴いていた。
 夏目純のギターは、ギターの専門雑誌なんかに取り上げられるほどテクニックは一級品だ。それなのに純は、「まだまだだ」と言って自己努力を怠らない。それは他のメンバーも同じなのだが、純はさらに自作のエフェクターを作ったりピックまでこだわる。それは元々ギター専門の楽器屋に勤めていたからだろう。そういうマニアなのだ。たまに講師としてギター教室を開くこともあるのだが、それも大盛況でいつも予約でいっぱいなのだ。
 花岡一馬のベースは、存在感がある。曲によってはダブルベースを使うこともあって起用に対応しているようだ。背が高く筋肉質でさらに色黒で強面である一馬は怖がられることもあるようだが、一番素直に三倉の言うことを聞いている。それを見ていて沙夜は「もう少し自分の意見を出しても良いのではないか」とも思っていたが、それも徐々にぽつりぽつりと意見を言うことも増えた。割と遠慮をしていたのだろう。
 橋倉治のドラムはいつもパワフルだ。ライブになるとその音が大きくなり、いつも三倉から「頭に血が上るのをどうにかしろ」と言われている。いずれバスドラムを蹴って破りそうだと思っていた。それでも治ほど正確なリズムを叩ける人は居ない。それは基礎のたまものだろう。だから未だに子供向けのドラム教室の先生は辞められないのだ。
 栗山遥人のボーカルは高音、低音とバランス良く出せる。それに加えて少し演歌のようなコブシが入ることもあり、それがこの国の人に馴染みがあるのだろう。歌だけを聴くと純粋にハードロックとは言えない感じもするが、それもまた遥人の味なのだろう。特に高音の切れは良くて、海外からも絶賛されているようだ。それに加えて容姿が綺麗で首元の入れ墨がなければまだアイドルでやっていけそうな気がする。
 そして千草翔のキーボードは、とにかくテクニック重視だ。元々一人で音楽を作っていた翔は、田舎で茶畑を手伝いながら音楽を作ってサイトに投稿していたのを、三倉に目をつけられて、上京したのだという。元々は都会の方に住んでいたようだが、一緒に暮らしていても沙夜はあまり翔のことを聞いたりしない。
 そもそもバンドのメンバーの事も、同居をしている人たちも、そして会社の人たちも沙夜はあまり自分の話をしない。だが同居をしている人たちはおそらく紗菜が話して、いろいろ知られているだろうと思う。だがそれを口にする事は同居人はしないだろう。
 つかず、離れず。触れず、触れられず。
 その距離感が、四人を同居をさせているのだ。
 だが仕事となれば別。沙夜はそう思いながら、駅について席を立った。

 駅から徒歩十分。近くには商店街があり肉屋、魚屋、八百屋、米屋、酒屋などが揃っていて沙夜はいつもそこで買い物をしている。そして少し足を伸ばすと大型のスーパーがある。どうしてもないときはそこで買い物をしたり、調味料などはそこで済ませる事もある。その他日用品を買うドラッグストアやホームセンターもあり、割と不自由はしない土地柄だ。
 近くには団地もあるので、この辺はベッドタウンと言う事になるのだろう。その片隅に平屋がある。古い平屋で、元々は翔の両親が住んでいたのだという。その両親は今、海外生活をしている。暑い国でコーヒー豆を作りながら余生を過ごすのだと言っていた。
 だから家主は翔になるのだろう。沙夜も沙菜もそして芹も翔に家賃を払いながら住んでいるのだ。
 その家の前に立ち、沙夜はそのドアの鍵を開けようとした。すると鍵がかかっていない事に気がついて、ため息をつく。玄関ドアを開けて、廊下を挟んで正面の部屋が翔の部屋。そして玄関の左隣にはトイレがありその向こう側に芹の部屋がある。
 沙夜は靴を脱ぐと家に上がり、芹の部屋の前で声をかけた。
「芹。」
 すると中からくぐもった声がする。その様子に沙夜は嫌な予感がした。ドアを開けると、敷きっぱなしの布団の上で体を丸まらせて寝息を立ててる芹が居る。朝に見かけた灰色のスウェットの上下を着ていて、テーフルには起動させているがずいぶん触っていない画面らしくスクリーンショットが動いていた。そしてその横には空の弁当箱が置かれている。
 その様子に沙夜は怒りを通り越して唖然としている。
「芹。」
「……あー。沙夜?」
 芹はゆっくりと起き上がると、ふわっとあくびをした。そして眠そうな目をして沙夜を見上げる。
「おはよ。」
「何時だと思ってんのよ。おはようって。それに一度起きたじゃない。朝会ったわよ。」
「そうだっけ。」
「余裕よね。売れっ子の作詞家さんは。」
 嫌みのつもりで言った。だが芹には全く届いていない。芹はそのままパソコンをまた動かして、メッセージをチェックしていた。
「弁当食べたら眠くなってきてさ。ん……良かった。あの歌詞採用されたわ。」
 これでも沙夜が言うように、芹は売れっ子の作詞家だった。いろんな方面から作詞のオファーが来ていて、演歌の歌詞から「二藍」のようにハードロックの歌詞まで書いている。
 この間出版した詩集だって、異例の売れ行きらしい。
 渡摩季というペンネームから、女性だと思う人も多いようだが実はこんなにボサボサでだらしない男がまさか心が切なくなるようなそんな歌詞を紡ぎ出すとは、世の中の誰も思わないだろう。
「うちの歌詞はどうなったの?」
「夕方までには送るよ。」
「締め切りが過ぎてるのよ。三倉さんから催促が来たし。」
「そっか。締め切りねぇ。そんなのあったなぁ。」
 そう言って机の上にある卓上カレンダーを見る。そこには締め切りのスケジュールが書いてあるが、毎日のように締め切りが来るらしく、ハードなスケジュールなのだろう。
 少し仕事を断っても良いのに。沙夜はそう思いながら、散らばっている資料を集める。中にはエロ本の類いもあるようだが、全く沙夜は気にしていない。
「スタジオで紗菜に会ったわ。」
「沙菜かぁ。あの二人を見てるとガンガン歌詞が出てくるわ。」
「二人?」
「翔と沙菜。沙菜がめっちゃ翔を狙ってる感じがあるのに、翔は全く気にしてないみたいだから。超一方通行でたぎる。」
「……あぁいうタイプが好きなのよね。沙菜は。」
 沙夜はそう言って持っていたエロ本のページをめくる。するとそこには紗菜の姿もあった。明らかに翔のことが好きなのに、その本の中の沙菜は胸やモザイク越しの性器をさらけ出し、男にそこを舐められている。そしてその表情は恍惚としているようだ。
 そんなことをしているのに好きな男には手を出せない、中身は純情な乙女なのだろう。
「お前はどうなの?」
「は?」
 エロ本を閉じて、沙夜は芹に聞く。
「あぁいうの好きじゃないの?」
「別に。どうでも良いわ。」
「男がいた話聞いたことねぇな。どうなの?」
「……関係ないでしょ?ネタのために自分のことを話したりはしないわ。」
 すると芹は口元だけで笑い、またパソコンの画面に目を向ける。
「布団は上げるわよ。」
「えー?何で?」
「うるさい。敷いてたら寝るでしょう?だからあげるの。」
「ここ畳だから別に寝れるし。」
「いい加減夜型を変えたら?いい歳なんだし。」
「あまりあんたらと歳は変わんねぇよ。」
 布団を上げて、沙夜はその背中を見ていた。パソコンの画面を見ている芹の姿は、猫背で細身。だがその顔を覆うような髪の下には、翔にも劣らないほどの美貌がある。わざとそれを出さないようにしているのかはわからない。
 ちゃんとすれば芹だってモテないはずはないのに。
「三倉さんには夕方送ると言っておくわ。よろしくね。」
「んー。わかった。あぁ、沙夜。」
「何?」
 出て行こうとした沙夜に芹は少し笑って言う。
「今日、肉が食べたい。弁当魚だったじゃん。肉。とんかつとか食べたい。」
「とんかつね。わかった。」
 揚げ物を作ると、沙菜がうるさい。だから沙菜の分はカツではなく、焼いたモノにしようかと思いながら沙夜は、部屋を出て行く。
 そして外に出ると、また雨が降っていた。
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