触れられない距離

神崎

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弁当

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 外は雨が降っている。そう思いながら、泉沙夜はオフィスの窓から外を見る。そして自分のデスクから資料を纏めそれをバッグに入れた。そのついでに保冷バックも持つ。その様子を隣のデスクの男が少し笑いながら見ていた。
「いつも自作の弁当なんだね。」
 沙夜の容姿は白ブラウスに黒いパンツスーツ。それに長く黒い髪を一つにくくり、極めつけは黒縁の眼鏡。動くことも多いこの仕事は、それが一番良いのかもしれない。そうなってくると仕事しかしていないように見えるが、毎日自作の弁当を持ってきている沙夜が意外に見えたのだろう。
「えぇ。食べれないものも多いし。」
「今度俺にも作ってきてよ。」
 その言葉に沙夜は少し怪訝そうな顔をした。明らかに嫌がっているようだ。
「自分の分と同居人の分で手一杯でして。」
「同居人がいるって言ってたか。妹と住んでいるそうだね。」
「えぇ。」
「妹さんも弁当を?」
「えぇ。」
 沙夜がこの部署にやってきて時間が結構たっているが、あまり饒舌ではない沙夜にこの男、植村朔太郎はやきもきしていたのだ。
 レコード会社「Music Factory」。扱う音楽は演歌からクラシック、ポップス、アイドルなどジャンルは多岐にわたる。そしてこの部署は新設されたハードロックの部署。その中で沙夜は、一,二を争う人気のバンド「二藍」の担当をしている。
 ハードロックなんて今時ではないと言われながらも、世に出る前から徐々に露出を多くしていざデビューしてしまえばその人気は止まるところを知らない。一過性の人気だという意見もあったが、その人気はまだ健在なのだ。
 正直沙夜も一過性のモノだと思っていた。「二藍」は正直、ビジュアル的なところで売っているところもあるし、他に顔が良いだけのバンドが出てくればその人気は陰りが出る。それにメンバーが結婚などをすればさらに人気は落ちるだろうと思っていた。だがメンバーが結婚しようと子供が出来ようと「二藍」の人気は落ちなかった。
 電車に乗り込んだ沙夜はその耳にイヤホンをつける。新しい曲のサンプルを聞いているのだ。この曲はCMに使われる。だから割とキャッチーで耳に馴染むような音になっていた。誰でも口ずさめるような曲というのがクライアントの要望らしく、こういう角度の曲も悪くないと思いながら、沙夜は流れる景色を見ていた。
 だがプロデューサーである女性の意見はどうなのだろう。それにこのシングルCDのカップリングの曲は曲は出来上がっているのに歌詞が出来ていない。
 そう思って沙夜は携帯電話を取り出すと、メッセージを送った。そして電車が駅についてその電車を降りていく。

 音楽スタジオはレコード会社の持ち物である建物の一つにあった。そこから出てきた沙夜は少しため息をつく。
 「二藍」は五人組のバンドだが、その音楽をプロデュースする女性が六人目のメンバーのような立ち位置になる。曲を作っているのは五人に委ねられているが、それをアレンジするのはその女性の手にかかるのだ。
 元々一世を風靡したガールズバンドのメンバーだった三倉奈々子。今は「二藍」だけではなく、いろんなバンドやアイドルまで多岐にわたって曲をプロデュースしている。仕事量が多いので手を抜くかと思いきや、その目は相当厳しい。
「だめ。ギターが遅い。ボーカルは音を外さないで。ベースはドラムをよく聴いて。ドラムのハイハットはもう少し強めに。キーボードも機材に頼りすぎないで。」
 人気があるだけに落ちたと言われたくないというのがわかる。それには沙夜も納得していた。
 そして練習が終わった後、三倉から沙夜に言われる。
「泉さん。カップリングの曲の歌詞はまだ出来ないのかしら。」
「あと二,三日中には。」
「締め切りは来ているのよ。人気がある作詞家だからって時間を守ってくれないと困るわ。」
「はい。その通りですね。渡先生にはそのように伝えておきます。」
「頼んだわよ。」
 「二藍」のメンバーは作詞が出来る人がいない。なので歌詞だけは外部に委託している。その外部というのが作詞家である渡摩季。レコード会社の枠を超えて、演歌からポップス、はたまた「二藍」のようなハードロックのバンドの歌詞まで手がける。そしてその歌詞は、内容の薄い軽い歌詞もあるが、摩季が本領発揮する歌詞は失恋ソング。捨てられたり、別れたり、未練がある女の曲を作るとその歌詞だけに涙をする人も多い。
 さっさと連絡をしないといけないな。沙夜はそう思いながら、建物から出るのに傘をさそうとした。そのとき後ろから声がかかる。
「泉さん。」
 振り向くと、そこには「二藍」のドラムの担当である橋倉治がいた。アフロヘアとひげずらで少しぽっちゃりした体格が人が良さそうに見える。
「橋倉さん。」
「今からみんなで飯って思ったんだけど、外は雨が降ってるから中で食うかって言ってんだ。泉さんも食べない?」
 保冷バッグが橋倉の目についたのだろう。沙夜は少し笑うと、その後の予定を考えた。確かに液の待合室なんかでぼそぼそと食べるよりは、そっちの方が落ち着いて食べれるかもしれない。
「良いんですか?」
「良いよ。今日はほら、このスタジオは俺らだけしか使ってないみたいだし。」
「もったいないですね。」
「あ、でも昼からなんかの撮影があるって言ってたな。週刊誌かなんかの。」
「へぇ。」
 泉はそう言ってさしかけた傘をまた纏める。そして橋倉に着いていくように再び建物の中に入っていった。
 一階にもスタジオはあるが、その横には休憩をするカフェスペースがある。といってもバリスタなんかがいるわけではなく、自動販売機があったり空調が効いているだけだ。片隅には喫煙所があるが、そこには誰もいない。
 テーブルが数個あり、そこの一つに先ほどダメ出しをされていた「二藍」のメンバーがいる。
 ドラム担当の橋倉治。ギター担当の夏目純。ボーカル担当の栗山遥人。ベース担当の花岡一馬。そしてキーボード担当は沙夜が同居している千草翔だった。
「お、間に合ったんだ。」
 純はそう言って少し笑う。金髪で軽そうなイメージがある純だが、割と人に気を遣うタイプらしい。沙夜も一緒に食事をしないかと言い出したのは純からだったのだから。
「今、出て行こうとしてた。保冷バッグ持ってたから絶対弁当を持ってるんだろうと思ってたし。」
「三倉さんは?」
「三倉さんは別の仕事があるって出て行ったよ。飯すら移動しながらだろ?」
「売れっ子だもんな。」
 遥人はそう言って買ってきているコンビニの弁当を取り出した。コンビニ弁当なのは遥人と純だ。後の三人は自作の弁当らしく保冷バックを取り出していた。
「コンビニ飽きるよな。」
 そう言って遥人は忌々しそうに弁当の揚げ物を箸でつまみ上げる。
「あぁ。でも俺はともかく遥人は女でも作れば作ってくれるんじゃないの?」
 純はそう言って少し笑うと、遥人は首を横に振った。
「マネージャーから言われたよ。女の影を作るなって。ほら、今度映画に出てくれって言われてるし。」
「三十過ぎて独身ってのも逆に俺みたいにゲイって疑われるぞ。」
「純は真実だっけ。」
「まぁな。」
 自分たちの性癖まで隠すことなく話している。このバンドのメンバーたちはそこまで気を許せるらしい。沙夜はそう思いながら保冷バッグの中の弁当を取り出した。そして水筒のお茶も取り出す。
「一馬の弁当は彩り良いよな。俺の見てよ。茶色っぽくない?」
 治はそう言って一馬に弁当を見せる。一馬の弁当はいつも彩りがよく、そして大きい。その様子を見て、一馬は少し笑って言う。
「茶色いモノは大体美味いから。」
「そっかなぁ。ワンパターンなんだよな。あいつの飯。」
「奥さんの愚痴は言わない方が良い。作ってくれるだけありがたいから。」
 一馬はそう言ってご飯を口に入れる。そしてちらっと翔と沙夜の弁当を見た。配置は違うが、入っているおかずは同じように見える。
「あぁ。そうか。」
 一馬は納得して二人に言う。
「同居しているんだって言ってたな。」
 その言葉に翔は少し笑うが、沙夜は慌てたように一馬に言う。
「他にも居ますから。男二人と女二人の……。」
「わかってるから。大丈夫。そんなに弁解しなくても。外に漏らすようなこともしないから。」
「頼みますよ。」
 その言葉に沙夜は安心しておかずをつまむ。だが翔は笑いながらも心の中で思う。誤解はされないで欲しいと。
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