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想う人
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十六時になっても結局大将と女将は帰ってこなかった。その間、厨房は孝と皐月が中心になって動いている。
店の中は、古株の仲居の女性と菊子が動いていた。
そしてしばらくすると、大将と女将が帰ってきた。
「人が多くて困ったわ。」
女将はそう言って喪服のまま、予約表をみる。
「あら。柿本様が見えるのすっかり忘れてたわ。アレルギーがあるのよね。」
女将はそうつぶやいて厨房へ向かう。するとも嘘子にはいい香りが漂っていた。
「あら。大将はまだ来ていませんか。」
「えぇ。」
「今日柿本様が見えるのをすっかり忘れていたんです。アレルギーがあって卵は……。」
すると皐月が口を出した。
「えぇ。伺ってます。なので、柿本様のお部屋には、茶碗蒸しではなく葛蒸しにしました。」
「あ……あら。そう。」
「それから、田中様も生のタマネギがだめだと聞いてるので、ここは温サラダでいきます。」
「そうだったわ。すっかり忘れてた。皐月さんが気がついてくれたんですか?」
「いいえ。昼間に鰯の仕込みをしてたら、菊子さんから聞きました。」
ふと見ると予約表に鉛筆で書き込まれている。大将の字ではなく、皐月の癖のある字だ。
「菊子ちゃんも使えるようになったんですね。すっかり女将さんの代わりをしているようだ。」
孝は感心したようにいうと、女将は少し笑っていった。
「そうですね。最近は私が抜けているところもカバーしてくれて、助かりますよ。」
「そうなると、高校を卒業したあとが気になりますねぇ。学校へ行きたいって言っていたけど、そのあとはどっかの店で修行をさせるんですか?」
孝の問いに、女将は首を傾げる。
「どうでしょうねぇ。」
蓮と出会う前だったら、女将は菊子の相手は皐月がいいかもしれないと思っていた。見た目と違って仕事に関しては真面目な男だ。女癖が気にならないとは言わないし、割と軽いところもあるがそれはそれで菊子を大切にしそうだと思う。
だが肝心の菊子は皐月に全く興味を示さなかった。そして菊子が引かれたのは、音楽をしているという蓮。血は争えない。
「女将さん。」
菊子が厨房をのぞく。
「はい。どうしました。」
「カウンター席でいいので予約をしたいというお客様から電話が入ってます。」
「お部屋は余ってるから、お部屋でも結構ですよと言ってください。それでもカウンター席が良ければ、ご予約をとっておきますとお伝えください。何名様ですか?」
「二名様です。一見様のようです。」
「わかりました。ではそのようにお伝えください。」
菊子に迫っているのは蓮だけではない。そして皐月だけでもない。棗という男もいるのだ。棗にだけは渡したくなかった。大将がなんと言ってもそれだけは譲りたくない。
菊子は仕事を追えて、着物のまま洗面台へやってきた。仕事を終えるとすぐに菊子は化粧を落とす。やはり苦手なのだろう。すると風呂場から、皐月が出てきた。
「あら。お風呂当番でしたっけ。」
「はい。菊子さんは、今日練習へいくなら追い炊きしておいてくださいね。」
「はい。そうします。」
化粧をしてもそこまで変わらない。口紅をしているところだけはわかるが、化粧を落としたてだとその唇も赤い。
夕べその唇に触れた。何度も触れたが、その口内までは征服できなかった。さすがにそこまですると起きてしまうと思ったからだ。
「それにしてもスカバンドか。こっちでみれるとは思ってなかったですよ。」
「珍しいものなのですか?」
「えぇ。元々この国では、あまり馴染みがないジャンルですしね。どうしても学校の部活で吹奏楽をしていたとかって言うと、大学に入って吹奏楽をするって人もいるけど、結局ジャズに転んだり、もっと突き詰めたい人はクラシックの世界へいくこともありますから。」
そういった人は何人も見てきた。
「あまり音楽は聴かなかったので、わからなかったですね。」
「……そうだ。今度、CD貸しましょうか。俺が好きなスカバンドあるんで。」
「え?聴きたい。何てバンドですか?」
「昔の外国のバンドですよ。」
そういって皐月は携帯電話を取り出した。その手元を見ていると、やはりのぞき込むように菊子が近づいてくる。
「この人たちは知らないですね。」
「一枚くらいCDがあったかもしれないから、後で部屋にもって行きます。」
「いいんですか?ありがとうございます。」
そういって菊子はお礼を言って部屋に戻る。そして皐月もあと五分ほどで湯船がたまると大将に言って、部屋に戻った。そして棚にあった数枚のCDのうち一枚を手に取る。
そして部屋を出ると、菊子の部屋をノックした。
「はい。」
もう着替えていて、着物ではなかった。皐月は心の中で舌打ちをしながら、CDを差し出した。
「一枚だけならありました。あとはトランクルームにあると思うけど。」
「そんなに一気には聴けないから、大丈夫です。ありがとうございます。」
「蓮さんは来るんですか?」
「今、連絡をしてたんです。」
手には携帯電話が握られている。おそらくそういうことなのだ。蓮がこなければ、他の人が来るだろう。だがそれはあくまで「blue rose」だからだ。他のバンドのヘルプなのだから、そのバンドのメンバーに菊子の送迎を頼むというのは筋違いだろう。
「あ……。」
電話が鳴った。どうやらメッセージのようだ。
「前のバンドの時間が押してるみたいですね。それに蓮も出ているから、いけないかもしれないって……百合さんが。」
蓮と連絡が取れなかったので、百合に連絡をしてみたのだ。
「でも練習はあるんでしょう?」
「本番前、最後の合わせです。」
「だったら行かないといけませんよ。俺、送りますから。」
「……いいんですか?」
昨日は送ってくれと頼んだらとても不機嫌になったのに、どうして今日は自ら送ると言い出したのだろう。
不思議には思ったが、このまま外には出れない。素直にその言葉に甘えることにした。
「本番前って俺もあるから。」
「十月でしたっけ。」
「えぇ。少し離れてるけど、海辺のイベントです。」
「楽しみ。」
笑う菊子。それは演奏も楽しみなのかもしれないが、隣に蓮がいることでさらに楽しみなのだろう。
どんな想像をしているのだろうか。
店の中は、古株の仲居の女性と菊子が動いていた。
そしてしばらくすると、大将と女将が帰ってきた。
「人が多くて困ったわ。」
女将はそう言って喪服のまま、予約表をみる。
「あら。柿本様が見えるのすっかり忘れてたわ。アレルギーがあるのよね。」
女将はそうつぶやいて厨房へ向かう。するとも嘘子にはいい香りが漂っていた。
「あら。大将はまだ来ていませんか。」
「えぇ。」
「今日柿本様が見えるのをすっかり忘れていたんです。アレルギーがあって卵は……。」
すると皐月が口を出した。
「えぇ。伺ってます。なので、柿本様のお部屋には、茶碗蒸しではなく葛蒸しにしました。」
「あ……あら。そう。」
「それから、田中様も生のタマネギがだめだと聞いてるので、ここは温サラダでいきます。」
「そうだったわ。すっかり忘れてた。皐月さんが気がついてくれたんですか?」
「いいえ。昼間に鰯の仕込みをしてたら、菊子さんから聞きました。」
ふと見ると予約表に鉛筆で書き込まれている。大将の字ではなく、皐月の癖のある字だ。
「菊子ちゃんも使えるようになったんですね。すっかり女将さんの代わりをしているようだ。」
孝は感心したようにいうと、女将は少し笑っていった。
「そうですね。最近は私が抜けているところもカバーしてくれて、助かりますよ。」
「そうなると、高校を卒業したあとが気になりますねぇ。学校へ行きたいって言っていたけど、そのあとはどっかの店で修行をさせるんですか?」
孝の問いに、女将は首を傾げる。
「どうでしょうねぇ。」
蓮と出会う前だったら、女将は菊子の相手は皐月がいいかもしれないと思っていた。見た目と違って仕事に関しては真面目な男だ。女癖が気にならないとは言わないし、割と軽いところもあるがそれはそれで菊子を大切にしそうだと思う。
だが肝心の菊子は皐月に全く興味を示さなかった。そして菊子が引かれたのは、音楽をしているという蓮。血は争えない。
「女将さん。」
菊子が厨房をのぞく。
「はい。どうしました。」
「カウンター席でいいので予約をしたいというお客様から電話が入ってます。」
「お部屋は余ってるから、お部屋でも結構ですよと言ってください。それでもカウンター席が良ければ、ご予約をとっておきますとお伝えください。何名様ですか?」
「二名様です。一見様のようです。」
「わかりました。ではそのようにお伝えください。」
菊子に迫っているのは蓮だけではない。そして皐月だけでもない。棗という男もいるのだ。棗にだけは渡したくなかった。大将がなんと言ってもそれだけは譲りたくない。
菊子は仕事を追えて、着物のまま洗面台へやってきた。仕事を終えるとすぐに菊子は化粧を落とす。やはり苦手なのだろう。すると風呂場から、皐月が出てきた。
「あら。お風呂当番でしたっけ。」
「はい。菊子さんは、今日練習へいくなら追い炊きしておいてくださいね。」
「はい。そうします。」
化粧をしてもそこまで変わらない。口紅をしているところだけはわかるが、化粧を落としたてだとその唇も赤い。
夕べその唇に触れた。何度も触れたが、その口内までは征服できなかった。さすがにそこまですると起きてしまうと思ったからだ。
「それにしてもスカバンドか。こっちでみれるとは思ってなかったですよ。」
「珍しいものなのですか?」
「えぇ。元々この国では、あまり馴染みがないジャンルですしね。どうしても学校の部活で吹奏楽をしていたとかって言うと、大学に入って吹奏楽をするって人もいるけど、結局ジャズに転んだり、もっと突き詰めたい人はクラシックの世界へいくこともありますから。」
そういった人は何人も見てきた。
「あまり音楽は聴かなかったので、わからなかったですね。」
「……そうだ。今度、CD貸しましょうか。俺が好きなスカバンドあるんで。」
「え?聴きたい。何てバンドですか?」
「昔の外国のバンドですよ。」
そういって皐月は携帯電話を取り出した。その手元を見ていると、やはりのぞき込むように菊子が近づいてくる。
「この人たちは知らないですね。」
「一枚くらいCDがあったかもしれないから、後で部屋にもって行きます。」
「いいんですか?ありがとうございます。」
そういって菊子はお礼を言って部屋に戻る。そして皐月もあと五分ほどで湯船がたまると大将に言って、部屋に戻った。そして棚にあった数枚のCDのうち一枚を手に取る。
そして部屋を出ると、菊子の部屋をノックした。
「はい。」
もう着替えていて、着物ではなかった。皐月は心の中で舌打ちをしながら、CDを差し出した。
「一枚だけならありました。あとはトランクルームにあると思うけど。」
「そんなに一気には聴けないから、大丈夫です。ありがとうございます。」
「蓮さんは来るんですか?」
「今、連絡をしてたんです。」
手には携帯電話が握られている。おそらくそういうことなのだ。蓮がこなければ、他の人が来るだろう。だがそれはあくまで「blue rose」だからだ。他のバンドのヘルプなのだから、そのバンドのメンバーに菊子の送迎を頼むというのは筋違いだろう。
「あ……。」
電話が鳴った。どうやらメッセージのようだ。
「前のバンドの時間が押してるみたいですね。それに蓮も出ているから、いけないかもしれないって……百合さんが。」
蓮と連絡が取れなかったので、百合に連絡をしてみたのだ。
「でも練習はあるんでしょう?」
「本番前、最後の合わせです。」
「だったら行かないといけませんよ。俺、送りますから。」
「……いいんですか?」
昨日は送ってくれと頼んだらとても不機嫌になったのに、どうして今日は自ら送ると言い出したのだろう。
不思議には思ったが、このまま外には出れない。素直にその言葉に甘えることにした。
「本番前って俺もあるから。」
「十月でしたっけ。」
「えぇ。少し離れてるけど、海辺のイベントです。」
「楽しみ。」
笑う菊子。それは演奏も楽しみなのかもしれないが、隣に蓮がいることでさらに楽しみなのだろう。
どんな想像をしているのだろうか。
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