夏から始まる

神崎

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 閉店した「風見鶏」で知加子は少しため息をつく。もうあまり在庫はない。一度閉めるので、香りの飛んでしまうお香はセールをしている。後は日持ちのしない天然素材の化粧水や、コーヒー豆も安くなっていた。だからだろう。あまり売れないと思っていたコーヒー豆が完売しそうだ。
「店長。エプロンの在庫ってありますかね。」
 武生はそういって倉庫から出てきた。
「エプロンはないのよ。代わりにバッグを出すわ。」
 そういって倉庫から段ボールを出して、そこから朝で出来たバッグを取り出した。それは知加子がいつも持っているものと同じモノで、紅子がそれを見て気に入ったのだ。
 だがこの間、紅子直々にその取引を断ってきた。その理由はわからない。
 その言葉に正直知加子はほっとしていた。
 このバッグ一つ、ショール一つ、あっちの国の女性が丹誠込めて作っているもので、二つと同じモノはない。工場で大量生産しているものではないのだから、あんな大きなデパートで売ってしまっては彼女らの負担が大きくなる。
 こんな店で細々と売っているのがいいのだ。大した儲けにならないが、儲けよりも知らない世界をみる方がよっぽど良い世界だと思う。
 そしていずれ武生がその隣にいればいい。
「どうしました?」
 じっと武生を見ていたからだろう。不思議そうに武生が聞くと、知加子は少し笑った。
「何でもないわ。」
 とりあえずあと五年。高校を卒業して、大学卒業する期間だ。それまでに自分が出来ることをしたい。
 そのときだった。
 入り口ドアが開いた。そして入ってきたのは五人ほどの男たち。
「小泉さんですか。」
「はい。」
「ちょっと話を聞かせてもらって良いですか。」
 そういって男たちは懐から黒い手帳と、一枚の紙を取り出した。

 仕事を終えた菊子は、着物を脱ぐ前に顔についている化粧を落とす。やはりどれほど立っても化粧は慣れないのだ。それから自分の部屋に戻って着物を脱ぐ。体の締め付けが無くなってふっと体が楽になった。
 今日はこれから「rose」へ行く。昌樹たちのバンドの練習はないが、キーボードに慣れておきたいとなるべく行けるときには行っているのだ。そして今日は麗華がくる。
 麗華はさすがに音楽教室の先生をしているだけあって、教え方が上手だ。しかしそれで身になっているのかはわからない。バンドと合わせるのはあと一回しかない。それで上手くやっていければいいのだが。
 そのときふと携帯電話の画面が見えた。そこには蓮からのメッセージが届いている。
「今日は来ない方が良い。」
 あまり時間はないのだが、迎えに来れないのかもしれない。忙しいのかわからないが、とりあえず返信をしておいた。
 そして部屋着に着替えると、リビングへやってこようとした。そのとき階下から、皐月があがってきた。
「あら。皐月さん。もう帰ってきたんですか?」
 今日、皐月は知り合いがこの街に来ているからと、飲みに出かけると言っていたのだ。だが早々に帰ってきたらしい。
「あまりにもうるさくて早々に解散ですよ。」
「うるさい?」
「何か、あれ。薬が横行しているから、手入れが入ったみたいですね。」
「手入れってことは……どこかの店に警察が?」
「えぇ。一つの店が入れば、あとの店もてんやわんやですから。」
 もちろん、この店だって夜の仕事だ。警察が風営法と言って手入れに入ることも多い。だがこの店が床を用意するのは、あくまで飲んだお客様が休憩をする場であり、逢い引きをさせるためではない。
 それでも女将が見て、この客は駄目だという客はいる。それは薬を使っている客だった。
「最近多いですからね。」
「だから……。」
「どうしたんですか?」
「蓮が今日は来ない方が良いって言ってたので。」
「だと思いますよ。あーあ。飲み足りないな。菊子さん。飲みません?」
「いいえ。飲んだことないし、結構です。」
 酒に興味がないわけではない。だが早く飲んでみて、良いことなんか無いだろう。
「……練習したいのにな。」
「あの楽譜だったら、菊子さんなら出来るでしょう?」
「音を変えるタイミングとか、ボリュームとか、ピアノよりも覚えることが多くて手一杯ですよ。」
 すると皐月は少し笑い、二人でリビングへ戻っていこうとした。そのときだった。
 再び菊子の携帯電話が鳴る。相手は武生だった。
「もしもし。どうしたの?」
 武生の声が沈んでいた。
「うん……。菊子?あのさ、今、外にいるんだ。中に入れてくれるかな。」
「良いけど。どうしたの?」
「ちょっと……ね。」
 訳が分からないまま、菊子は階下に降りる。そして裏口の玄関を開ける。するとそこには武生の姿があった。だがいつもの笑みはなく、暗くうつむいていた。
「どうしたの?武生。」
「……知加子が……捕まったよ。」
「え?」
 その言葉に一番驚いたのは、菊子だったに違いない。

 外国を飛び回り、どちらかというと発展途上国を見て回っていた知加子だったが、唯一、それと関係なくにへ毎回足を運んでいた。
 その国での知加子の役割は、橋渡し。
 国によっては合法なものだ。それを手にすると、知加子は決まってある女性にそれを手渡す。そしてその一部をまた受け取り、この国に帰ってきたら、今度はあるヤクザの組に渡すのだ。
「……それって……。」
「どうやらうちの組みたいだね。知加子はどうやら圭吾兄さんと繋がりがあったみたいだ。でも……圭吾兄さんは捕まらない。だってうちの組には薬なんかないんだから。」
 それをばらまいているのは下っ端だ。彼らは指をくわえて見てれば、金が入ってくるのだから。
「……武生……。」
 部屋の中で、ベッドに腰掛けた武生はうつむいていた。目の前で知加子が連れて行かれ、武生も簡易的な検査をされたが何の反応もなかったので、解放されたのだろう。
「……俺……何にも出来なかった。それに何も気づいてやれなかった。」
「……。」
「警察が言ってた。二、三年は出れないだろうし、しばらくは出てきても行ける国は限られるだろうって。」
「……武生。」
「俺……何にも気がついてやれなかった。あんなに側にいたのに。何も理解しようとしてなかったんだ。」
 そういって武生の頬に涙がこぼれた。
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