夏から始まる

神崎

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 やがて周りが薄暗くなり、そろそろ花火が始まる。知加子は売れ残った雑貨と、明日また補充するものをチェックし始めていた。今日はかえってパウンドケーキをまた作らないといけない。花火が終わったら、急いで帰ろう。そう思っていた。
「武生君。」
 武生はずっとホストのような接客をしていた。それに知加子は半分呆れていたが、そのおかげで売り上げは悪くない。感謝をしないといけないだろう。
「花火は見てきてもいいよ。お客さん、その間来ないし。」
「いいですよ。一人で見ても仕方ないでしょ。」
「……そう?」
 若いと花火とかが好きなのではないかという知加子の想像する男子高校生とは、武生は少しかけ離れている気がする。どうしてこんなに落ち着いているのだろう。そしてどうして男娼なんかしているのだろう。
 それからヤクザの家だということはわかっているが、それをいやがっている風でもないが、家に帰りたくないとは言っていたような気がする。
 家に何かあるのだろうか。
 いろんな疑問があるが、そのいずれも聞かなければいけないことでもないし、突っ込んで聞く話でもない。武生のプライベートなのだから。
「少ししかないけど、アイスティー飲む?」
「いいんですか?売り物でしょ?」
「売り物にならないわ。この量じゃ。」
 そういって氷を入れて、アイスティーを注ぐ。そして武生に渡した。
「時間たってるのに、美味しいですね。」
「これだけはアフリカじゃないの。インドの方の茶葉。知り合いがいてね、送ってきてくれるから。」
「インドか……。」
 海外どころか、他の土地にもそれほど行ったことはない。それなのにヤクザになれという父親の言葉が、とてもイヤだった。いっそ遠くへ行けないだろうか。
「行ってみたい?」
「面白そうなところですね。」
「でも海外って、結構大変よ。武生君みたいな子は、すぐに売られちゃうだろうし。」
「……。」
「でもいいところ。アフリカなんてさ、こんな近くで野生の象がみれるのよ。」
「すごいですね。」
「機会があれば行ってみるのもいいかもしれないわね。」
 すると武生は少し暗い顔をしていった。
「店長、九月になったら店を休むんですよね。」
「うん。一ヶ月くらいね。アフリカ行くから。」
「俺も行きたいです。」
「だめよ。学校があるでしょ?」
 知加子の左手の薬指には青いガラスの指輪がある。それは武生が夕べ、知加子にあげたものだ。そしてキスをした。ふわっと軽いものだったが、彼女を意識させるには十分だったのだ。
「学校楽しくないの?」
「学校は普通です。別にいじめられているわけじゃないし、適当に友達もいます。」
「男子高校生って、なんかあれよね。」
「あれ?」
「女の体しか興味なさそう。」
 知加子は雑貨のチェックを終えると、行き交う男子高校生を見ていた。年頃は武生と変わらない。
「……知加子さん。俺……。」
「何?」
「……。」
 余計なことを言いそうだ。だがまだ言えない。家に帰りたくない本当の理由を。
「明日のパウンドケーキ、手伝わせてもらえませんか。」
「……そりゃ、助かるけどさ。でも大丈夫?結構遅くなると思うよ。」
「いいです。」
「……武生君。前から聞きたかったんだけどさ。」
「何ですか?」
「学校じゃなくて、家がイヤなの?」
 その言葉に武生の表情が固まる。当たりだった。
「……正直な話をしていいですか?俺、これ誰にも言ったことないんですけど。」
「そんな話、あたしにしていいの?」
「いいです。店長……イヤ、知加子さんだから。」
 母のことを言った。義理の母が迫ってくること。そして無理矢理セックスをさせられていること。抵抗したいのに出来ない自分がいること。
 知加子は唖然としながら、その話を聞いていた。
「それ本当の話?」
「えぇ。」
「セックスするのって……自分の母親みたいな人でしょ?しかも……避妊してる?」
「してないです。」
「妊娠したら、誰の子供かわからないなんて笑えないわ。その……お兄さんとも何かあるんでしょ?」
「はい。」
「……。」
 そんなにいいものかね。知加子はそう思いながら、腕を組んだ。
「だからそんなに冷めてるのね。」
「驚きました?」
「驚くわよ。そりゃ……。AVとかでそういう話聞いたことあるけどさ。実際あると自分がEDになりそうだわ。」
「それがならないから、男娼しているんです。」
「……そうかもしれないわね。」
 腕組みをして、知加子は武生を見上げる。
「今夜も帰りたくないんでしょ?」
「母はたぶん今日、祭りで出て行った父の付き添いに行ってます。でも帰ってきて酔ってたら、俺のところに来ますから。」
「だから帰る時間をずらしたいんだね。そうか。わかった。武生君。」
「はい。」
「うち来る?」
「は?」
「狭いけど、あたしは手を出さないから。ほら、あたし処女だし、あたしみたいな人に性欲は湧かないでしょ?だから……。」
「湧きますよ。」
「え?」
「俺、あなたをずっと抱きたいと思ってますけど。」
 その言葉に思わず持っていたメモ帳から手が離れる。
「……うん。だったら良くないわ。他にいないの?ほら、愛子先輩とか。」
「人妻ですよ。」
「……困ったわね。」
「俺は困らないですよ。知加子さん。俺、家に行っていいんですか?」
「ちょっと待って。それは……だめよ。」
「さっきいいって言ったのに。」
「それはさっきと事情が違うでしょ?」
 知加子はメモ帳を手にすると、それを閉じた。
「今日はやっぱり帰りなさいな。ほら。寝たふりでもすればいいのよ。」
「……知加子さん。」
「ダメなのよ。武生君。このままじゃ自分が自分でなくなりそうになるから。」
 仕事しか考えてなかったし、仕事があれば良かった。なのにすべてを崩してしまいそうになる。それが怖かった。
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