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親
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「指をくわえられた?」
百合も真紀も可笑しそうに笑っていた。蓮は食事のオーダーが入りキッチンに戻っている。だから女性……イヤ、正確には男だが三人で菊子の話を聞いていたのだ。
「そんだけ?」
「だってさぁ……そんなん慣れてる人なら気にしないかもしれないけどさ、こっちは慣れてないのよ。だいたい男、女で縛り付ける感覚も嫌い。人間なのに。」
「……でも人間だからこそ、惹かれ合うのよ。だって生物は、交配して子孫を残そうとするわ。その中でも恋をするのは人間とかちょっと知能が高い動物しかいないのよ。自然なことね。」
百合はそういって少し笑う。
「でもそんなことを自然に出来る男の子って……ちょっと慣れすぎてるわね。」
「そうね。男娼でもしている男の子みたい。」
その言葉に知加子はドキリとした。
そのとき店の入り口があいた。もうあまり客はいないようだが、バーだけで酒を飲むお客だろうか、と知加子がそちらを見る。
「蓮。終わった?」
その客は二人連れで、カップルのようにも見えるが夫婦にも見える。奥のキッチンにいる蓮に声をかけるのは、百合もその光景が自然のようで、咎めもしない。しばらくしてキッチンの奥から蓮が出てきた。
「あーもう少し。」
「玲二が菊子ちゃんを連れてくるってさ。」
「あぁ。頼んでおいたんだ。あのクソみたいな見習い板前に任せてられなくてな。」
その言葉に二人は笑いあった。
「蓮。でもこれからどうするんだよ。」
「何が?」
「夏休みの間だけだろ?菊子ちゃん。」
会話が全くつかめない。だが関係ないのだろう。知加子はメニューから百合に酒を頼む。
「カシスオレンジください。」
「はい。あぁ。蓮。仕事終わらせてから練習してね。」
「わかってる。」
蓮はそういってまたキッチンに入っていった。
「練習?」
「そう。今度祭りがあるでしょ?その練習をしたいって、ここを貸してんのよ。スタジオじゃないのにね。」
百合は苦笑いのような微笑みを浮かべるが、蓮をステージに立たせるのは、店の宣伝にもなる。蓮のベースプレイをみてあこがれ、彼に習おうと店にやってくる人も多い。だから会社も黙認していたのだ。
だがその習いに来た人の殆どが投げてしまう。蓮の指導がスパルタだからだ。
「カシスオレンジです。知加子さんは、音楽は聴くの?」
「あまり。」
「そう。ちょっとうるさいかもしれないけれど、ごめんなさいね。一時間くらいで終わるから。」
「別に良いですよ。ライブハウスじゃないですか。」
そのとき、二人の男女が店に入ってきた。一人は茶色の髪の少し軽薄そうな男と、その男よりも背の高い女。髪は長く、一つにくくっているだけの、あまり飾り気のない女性だった。
だが身長だけではなく手足は長く、顔も小さい。モデルのようにも見える。
「遅かったね。忙しかった?」
女性が声をかけると、その身長の高い女性はため息をついた。
「両親が帰ってきていたから、口うるさく言われました。何で蓮がこないのかとか。ほかの男に任せていいのかとか。」
「仕事してんだもん。仕方ないよね。」
蓮という男の恋人はこの女性だったのか。知加子は少し驚きながら、彼女を見上げた。可愛いと言うより美人だ。蓮も身長があるので、おそらく並ぶと絵にはなる。だが若そうだ。武生と同じくらいだろうか。
そして武生という単語を思い出して、また気まずいようにカシスオレンジに口を付ける。
そして蓮がキッチンから出てきて、ステージにあがる。ほかのメンバーもステージにあがり、ドラムの男は自分のやりやすいセットの組み方をしている。ギターとベースはチューニングを合わせ、キーボードの女性はコードをアンプに繋げていた。
そして件の若い女性は小さなキーボードを片手に、音を合わせているようだった。その声が聞こえて、知加子は少し違和感を覚える。
「あれ?ロックじゃないの?」
「ロックって言うよりパンクね。でもヘビーメタルにも聞こえる。ジャンルにはこだわってないのかもしれないわ。」
だったらますます違和感を覚える。その女性の声はどう聴いても、ロックではないからだ。どちらかというとクラシックやオペラに聞こえる。
やがてドラムとベースだけが合わせて、リズムを一定にさせた。それにギターとキーボードが乗っかるように弾いていく。
「だめ。麗華。もう少し俺の音を聞いてくれ。」
「うん。」
どこが悪いのかわからなかった。だが違うのだろう。そのあともボーカルが入ることなく、ベースの蓮が口を挟む。リズム、音程、それはかなり厳しいように思えた。
カシスオレンジを半分ほど飲み終えたあと、ふとステージを見る。するとマイクスタンドに手をかけた女性が、口を開く。その声に驚いた。
「……すごーい。」
驚いているのは知加子だけではない。真紀も、そしてテーブル席の客もその声に圧倒された。
ジャンルにこだわりはない。だが、パンクの音楽に透き通った女の声がする。
「……菊子。」
ワンフレーズ弾き終わると、蓮が声をかけた。
「マイクのスイッチが入ってない。ちゃんと入れてくれ。」
「あ……そうでした。」
気まずそうに、女性はマイクのスイッチを確認する。
「それでまたこっちのボリュームの調整しないといけないからな。」
「はい。すいません。もう一度良いですか?」
そういって菊子と呼ばれたその女性は、マイクのスイッチを入れる。
練習は一時間ほど。最初にきたキーボードの麗華とギターの浩治が帰って行く。ドラムの玲二も帰って行き、菊子は白湯をもらって飲みながら、蓮を待っているようだった。
「スゴいねぇ。今度お祭りでするの?」
物怖じせずに知加子は菊子に聞いた。しかし菊子の表情はまだ少し浮かない。
「そうですね……。あと三日で間に合わせないと。」
「でも良いと思うよ。どっか問題あった?」
「気にするところって沢山あります。突き詰めれば積めるほど、不安になるから……。」
「そんなこと無いわ。用は聴いてくれる人でしょ?あたしだったら足を止めてるわ。」
その声に、菊子はわずかに笑顔になった。美人だと思ったが、笑うと年相応に見える。
「高校生?」
「はい。」
「そっか。あたしの店の従業員も高校生なの。同じ高校かしらね。」
「だと思いますよ。あの中学を出た殆どの人があの高校に行くから。」
そのとき蓮がキッチンから戻ってきた。
「悪い。すぐ戻るから。」
「わかってるわ。行ってらっしゃい。」
そういって二人は店を出ていった。その様子に百合は少し微笑む。
「なんだかんだあったけど良かったわ。」
「何かあったんですか?」
「蓮には忘れられない人がいてね。吹っ切れたみたいだったから良かったなぁって思ってんの。菊子ちゃんには感謝しなきゃ。」
思えば武生はやけになっている気がする。男娼をしているのも、家にいたくないから始めたバイトも、何か理由があるに違いない。だがそれを聞けるような関係ではまだ無いのだ。
指をくわえられた。それだけの関係なのだから。
百合も真紀も可笑しそうに笑っていた。蓮は食事のオーダーが入りキッチンに戻っている。だから女性……イヤ、正確には男だが三人で菊子の話を聞いていたのだ。
「そんだけ?」
「だってさぁ……そんなん慣れてる人なら気にしないかもしれないけどさ、こっちは慣れてないのよ。だいたい男、女で縛り付ける感覚も嫌い。人間なのに。」
「……でも人間だからこそ、惹かれ合うのよ。だって生物は、交配して子孫を残そうとするわ。その中でも恋をするのは人間とかちょっと知能が高い動物しかいないのよ。自然なことね。」
百合はそういって少し笑う。
「でもそんなことを自然に出来る男の子って……ちょっと慣れすぎてるわね。」
「そうね。男娼でもしている男の子みたい。」
その言葉に知加子はドキリとした。
そのとき店の入り口があいた。もうあまり客はいないようだが、バーだけで酒を飲むお客だろうか、と知加子がそちらを見る。
「蓮。終わった?」
その客は二人連れで、カップルのようにも見えるが夫婦にも見える。奥のキッチンにいる蓮に声をかけるのは、百合もその光景が自然のようで、咎めもしない。しばらくしてキッチンの奥から蓮が出てきた。
「あーもう少し。」
「玲二が菊子ちゃんを連れてくるってさ。」
「あぁ。頼んでおいたんだ。あのクソみたいな見習い板前に任せてられなくてな。」
その言葉に二人は笑いあった。
「蓮。でもこれからどうするんだよ。」
「何が?」
「夏休みの間だけだろ?菊子ちゃん。」
会話が全くつかめない。だが関係ないのだろう。知加子はメニューから百合に酒を頼む。
「カシスオレンジください。」
「はい。あぁ。蓮。仕事終わらせてから練習してね。」
「わかってる。」
蓮はそういってまたキッチンに入っていった。
「練習?」
「そう。今度祭りがあるでしょ?その練習をしたいって、ここを貸してんのよ。スタジオじゃないのにね。」
百合は苦笑いのような微笑みを浮かべるが、蓮をステージに立たせるのは、店の宣伝にもなる。蓮のベースプレイをみてあこがれ、彼に習おうと店にやってくる人も多い。だから会社も黙認していたのだ。
だがその習いに来た人の殆どが投げてしまう。蓮の指導がスパルタだからだ。
「カシスオレンジです。知加子さんは、音楽は聴くの?」
「あまり。」
「そう。ちょっとうるさいかもしれないけれど、ごめんなさいね。一時間くらいで終わるから。」
「別に良いですよ。ライブハウスじゃないですか。」
そのとき、二人の男女が店に入ってきた。一人は茶色の髪の少し軽薄そうな男と、その男よりも背の高い女。髪は長く、一つにくくっているだけの、あまり飾り気のない女性だった。
だが身長だけではなく手足は長く、顔も小さい。モデルのようにも見える。
「遅かったね。忙しかった?」
女性が声をかけると、その身長の高い女性はため息をついた。
「両親が帰ってきていたから、口うるさく言われました。何で蓮がこないのかとか。ほかの男に任せていいのかとか。」
「仕事してんだもん。仕方ないよね。」
蓮という男の恋人はこの女性だったのか。知加子は少し驚きながら、彼女を見上げた。可愛いと言うより美人だ。蓮も身長があるので、おそらく並ぶと絵にはなる。だが若そうだ。武生と同じくらいだろうか。
そして武生という単語を思い出して、また気まずいようにカシスオレンジに口を付ける。
そして蓮がキッチンから出てきて、ステージにあがる。ほかのメンバーもステージにあがり、ドラムの男は自分のやりやすいセットの組み方をしている。ギターとベースはチューニングを合わせ、キーボードの女性はコードをアンプに繋げていた。
そして件の若い女性は小さなキーボードを片手に、音を合わせているようだった。その声が聞こえて、知加子は少し違和感を覚える。
「あれ?ロックじゃないの?」
「ロックって言うよりパンクね。でもヘビーメタルにも聞こえる。ジャンルにはこだわってないのかもしれないわ。」
だったらますます違和感を覚える。その女性の声はどう聴いても、ロックではないからだ。どちらかというとクラシックやオペラに聞こえる。
やがてドラムとベースだけが合わせて、リズムを一定にさせた。それにギターとキーボードが乗っかるように弾いていく。
「だめ。麗華。もう少し俺の音を聞いてくれ。」
「うん。」
どこが悪いのかわからなかった。だが違うのだろう。そのあともボーカルが入ることなく、ベースの蓮が口を挟む。リズム、音程、それはかなり厳しいように思えた。
カシスオレンジを半分ほど飲み終えたあと、ふとステージを見る。するとマイクスタンドに手をかけた女性が、口を開く。その声に驚いた。
「……すごーい。」
驚いているのは知加子だけではない。真紀も、そしてテーブル席の客もその声に圧倒された。
ジャンルにこだわりはない。だが、パンクの音楽に透き通った女の声がする。
「……菊子。」
ワンフレーズ弾き終わると、蓮が声をかけた。
「マイクのスイッチが入ってない。ちゃんと入れてくれ。」
「あ……そうでした。」
気まずそうに、女性はマイクのスイッチを確認する。
「それでまたこっちのボリュームの調整しないといけないからな。」
「はい。すいません。もう一度良いですか?」
そういって菊子と呼ばれたその女性は、マイクのスイッチを入れる。
練習は一時間ほど。最初にきたキーボードの麗華とギターの浩治が帰って行く。ドラムの玲二も帰って行き、菊子は白湯をもらって飲みながら、蓮を待っているようだった。
「スゴいねぇ。今度お祭りでするの?」
物怖じせずに知加子は菊子に聞いた。しかし菊子の表情はまだ少し浮かない。
「そうですね……。あと三日で間に合わせないと。」
「でも良いと思うよ。どっか問題あった?」
「気にするところって沢山あります。突き詰めれば積めるほど、不安になるから……。」
「そんなこと無いわ。用は聴いてくれる人でしょ?あたしだったら足を止めてるわ。」
その声に、菊子はわずかに笑顔になった。美人だと思ったが、笑うと年相応に見える。
「高校生?」
「はい。」
「そっか。あたしの店の従業員も高校生なの。同じ高校かしらね。」
「だと思いますよ。あの中学を出た殆どの人があの高校に行くから。」
そのとき蓮がキッチンから戻ってきた。
「悪い。すぐ戻るから。」
「わかってるわ。行ってらっしゃい。」
そういって二人は店を出ていった。その様子に百合は少し微笑む。
「なんだかんだあったけど良かったわ。」
「何かあったんですか?」
「蓮には忘れられない人がいてね。吹っ切れたみたいだったから良かったなぁって思ってんの。菊子ちゃんには感謝しなきゃ。」
思えば武生はやけになっている気がする。男娼をしているのも、家にいたくないから始めたバイトも、何か理由があるに違いない。だがそれを聞けるような関係ではまだ無いのだ。
指をくわえられた。それだけの関係なのだから。
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