夏から始まる

神崎

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決断

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 珍しく梅子が家の中にいるようだ。そう思いながら、梅子の母は起き抜けの重い体を引きずりながら部屋から出てきた。酒が年を追うごとに弱くなっているようだ。そう思いながら、煙草を片手に携帯電話をチェックする。
 どこかの企業のメールマガジンと、お客のメッセージ。今日は同伴が出来そうだ。ママとして水商売をしているのだから、同伴の一つもないと店の女の子に示しがつかないのだ。
 それでも店のことはしないといけない。早めに店に行って、黒服たちに指示をしたあとチーママの女の子に同伴があることを告げてから、同伴に出かけないといけない。
 それはそれで面倒だ。自分が居なければ好き勝手にしてしまう女の子ばかりなのだから。
 そしてもう一度携帯電話を見る。相手は誰だったかと思ったのだ。
「……。」
 煙草をもみ消して彼女は立ち上がると、梅子の部屋のドアをノックする。
「梅子。ちょっと来て。」
「何?」
 すぐに梅子は出てきた。最近梅子は少し変わった。男をとっかえひっかえしているという噂を聞いていたのに、今日は居るのだから。
「あんたさ、今日あたしの同伴につきあいなさいな。」
「何で?あたし未成年だけど。」
「いいのよ。親が同伴してんだから。ただの食事よ。あんたはそのあと帰ればいいんだから。」
 ショートパンツとただのTシャツという全く気合いの入っていない梅子は、すっぴんでここ数日腑抜けになったようだと思っていたのだ。だからこのチャンスはありがたい。
「誰とご飯食べるの?」
「芸能事務所の人。お偉いさんよ。」
「は?」
「グラビアとかが中心だけどさ、前、あんたが探した事務所よりもでかいしうまくいけばコネがもらえるわ。」
「やだ。」
「梅子。」
「母さんの手を借りたくないもん。」
 ふくれっ面で梅子はドアを閉めようとした。それを母は止めた。
「待ちなさいって。」
「あんだけ人を信じてないような感じで言ってたのに、何で今更母親面すんのよ。」
「……それってあんたが乱交騒ぎ起こしたヤツ?」
「そうよ。」
 不機嫌そうに母親は腰に手を当てた。
「あれがあんたから誘ったなんて、誰も思っちゃい無いわよ。」
「でも信じてくれなかったじゃん。」
「そう言わないと、うちは潰れるのよ。親子で路頭をさまよう羽目になるわ。」
「……もしかして……お客さんが居たって事?その……重役に。」
「えぇ。戸崎グループのお偉いさん。その息子があんたをヤった一人だったみたいだったもの。」
「戸崎……。」
「その人も今は、横領して首を切られているみたいだけどね。」
 そいつのおかげで、自分がこんな風になってしまったのだ。そう思えて仕方ない。
「うちが潰れるって事はね、うちで働いてる黒服も女の子も全部が路頭に迷うのよ。うちみたいな片隅のクラブなんか、捻り潰すの簡単なんだから。梅子。あたしが今日行くのは、全くそんな人じゃない。」
「……。」
「いい人よ。あたしがAVしてたときからの監督だった人なんだから。今は芸能事務所の社長なんて、スゴい笑えるけどね。」
 母が女の顔をしている。そう思えた。
 まぁ、今はついて行っても構わない。梅子はそう思いながら、部屋に戻ると携帯電話をチェックする。着信はない。いらない着信なら沢山あるが、着信が欲しい人の着信は一度あったっきりない。
 そのときのことを思い出すと、涙が出そうになる。好きだったからかもしれない。武生以上に大好きだった。

 黒い円盤を手で挟んで、蓮はレコードプレイヤーにそれを乗せる。そして針を落とすと、昔のガレージロックが流れる。
「ガレージロック?」
「車庫で練習してたアメリカのロックだな。」
 少し乾いた音がして、心地よかった。パンクとは少し違うようないい音がした。
「……好きですね。こういう音も。」
 二人で並んで音楽を聴く。菊子はこの時間が好きだった。だが蓮はやきもきする。このまま押し倒して、キスして、その柔らかい肌に触れたいと思っているのに、菊子はキス以上のことをしようとしない。それだけで満足しているのだろうか。
 キスだってそんなにしているわけではない。店でして百合に見られて以来、菊子はとても警戒しているようだった。人に見られたくないと思っているのだろうか。
 だったら今はどうだろう。今は誰も居ないのに、手すら握らせてもらえないのだ。
「……菊子。」
 肩に触れようとした。だが菊子は蓮の横に置いていたレコードジャケットに手を伸ばす。
「三曲目、良いですね。なんて曲なんでしょう。あれ?レコードって、歌詞カード無いんですか?」
「ある。中をよく見ろ。」
 レコードジャケットの中にある紙を取り出して、嬉しそうに微笑んだ。まるで宝物を見つけた子供のように、その紙を取り出して広げた。
「やった。英語ですね。」
「アメリカが発祥だからな。もう一度聴くか?」
「はい。あぁ。何でこんなにいい曲がCD化されてないんでしょうね。」
「需要がないからだろうな。あまり有名なバンドではないし、爆発的に売れた曲もない。」
「今日、来るときに言われたんですよ。」
「何を?」
「……皐月さんにですね。レコードなんて古いのに、どうしてそんなものを聴きたがるのかって。今はCDもデジタル配信もあるのにって。」
「味気ないな。」
「私もそう思います。」
 こう言うところがとても合っていると思う。恋人ではなくても、言葉が無くても、気が合うというのはとても大切なことだ。
「この曲歌いたいな。」
「スコアも出ていないから、聴いてコピーするしかないか。そう言うのは麗華がうまいんだが……あいつの所にはプレーヤーがないみたいだし。」
「ここに呼べないんですか?」
 すると蓮は少し笑って菊子を見下ろす。
「必要ないヤツにここを知られたくない。それは仲間でも一緒だ。」
「え?でも私はずっとここに来てますよ。」
「それはお前だからだ。」
 その言葉に驚いたように、菊子は蓮を見上げた。すると彼は彼女の肩にやっと触れる。
「……。」
 かすかに頬が赤くなる。これからしようとしていることがわかるからかもしれない。だが彼女の目線がそれた。
「……この曲……。」
「え?」
「クラシックがモチーフですね。あぁ。こういうのも良いなぁ。」
 誤魔化された気がした。キスをされたくない理由があるのだろうか。どうしてもそう思えてくる。
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