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夏休み
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練習は実質一時間も出来ない。菊子がやってくるのは十一時過ぎ。そこからボーカルと合わせて、十二時前には終わってしまうのだ。浩治がさっさと帰ってしまう。それに合わせて麗華も帰る。残ったのは、玲二と蓮、そして菊子だけだった。
「……ここ音程が合わない……。」
リズムは他とそんなにずれてなければいい。アドリブなのだと思わせることも出来る。だが音程はずれていたらはっきりわかってしまう。
キーボードで音を確かめて、菊子は声を出す。それに合わせると正しいと思えるのだが、合わせると一人がづれている気がする。
「真面目ね。菊子ちゃんは。」
百合はそういって玲二の前に、水を置いた。
「プライドが許さないのかもね。」
「え?」
「昔から誉められたことはないから、よく出来たねって。」
蓮も気になったところがあるのか、ベースをまだ弾いている。蓮が真面目なのは以前からのことで、こうしてベースを弾いていることもある。だがその隣には菊子が行る。真面目な人がもう一人増えたと、百合は少し笑っていた。
「ここ屋台出すの?」
「そうね。そんな話が来たから出してみようかと思って。と言っても、うちはフードが大したものが出せないからお酒が中心ね。」
「誰か雇ったりしないの?百合だけじゃ無理でしょ?」
「蓮がいるもの。大丈夫よ。あと茜も来てくれるわ。」
「だったら総動員だね。店は?」
「お祭りが終わってから、ライブはしないけどバーだけね。」
ちらりと百合は時計を見る。そろそろ菊子は帰さないといけないだろう。それを感じて、玲二が席を立つ。
「菊子ちゃん。そろそろ帰った方が良いんじゃないの?」
「あ、もうこんな時間だったんですね。」
「たまには俺が送っても良いけど、蓮が良いかな。」
そんな言い方をされたら困る。菊子はちらりと蓮をみた。すると蓮はベースをおいて、玲二の方へ向かった。
「そんな気は使わなくて良い。頼まれてるのは俺だし、俺が送るから。」
「……まぁ別に良いけどね。俺はほっとしているよ。」
「どうしてだ。」
楽譜をしまっている菊子は、不思議そうに二人を見る。
「美咲を忘れられたんなら、それで良い。」
「お前!」
胸ぐらを掴みそうな勢いだった。蓮は玲二に詰め寄りながらも、菊子を気にしているようだった。
「その名前は二度と言うな。」
「何焦ってんだよ。」
「……。」
「もう会う事もないんだから、良いじゃないか。別の奴に目を向けたから、みんな安心してんだ。」
「もう関係ない。」
不機嫌そうに玲二から離れ、菊子の方を見る。
「送ってやるから、準備しろ。」
「はい。」
考えてみれば、蓮のことを何も知らない。それが不安なのだと言えば、不安なのだろう。だが聞けない。
キスをしたからと言って、恋人ではないのだから。
帰り道、酔った人たちを交わしながら蓮と二人で歩いていた。だが気になることが沢山ありすぎて、菊子は蓮に何も聞けない。ちらりと蓮を見るが、彼はいつものように煙草を吹かしているだけだった。
「……何とか形になってきたな。」
「えぇ。」
ついに蓮の方から言葉を発した。しかしそれは音楽のこと。さっき彼が焦っていたことについては何も話したくないのかもしれない。
「結構大きな祭りだな。ここにもポスターが張ってあるし……。」
有名な歌手も来るらしく、彼は少し目を留めた。だがすっとその目を離す。
「蓮さん。」
ついに彼女から口火を切った。
「何だ。真剣な顔をして。」
「……あの……。」
しかし言葉は出ない。どう聞いたらいいのかわかったからだ。
その空気を感じたのだろう。蓮は彼女の頭に触れた。
「菊子。今度のライブは親にも見てもらうと良い。」
「え?」
「女将さんは悪くないが、結局生んだのはお前の母親だろう。両親が納得しなければ、音楽なんて続けていられないだろうし。」
そんなことを聞きたいんじゃない。そう言いたかったが、良い子の菊子が顔を出す。
「そうですね。時間がとれれば……。」
上機嫌にその頭に置かれた手をくしゃくしゃと撫でると、また蓮は歩き出す。その細い後ろ姿を見て、菊子もそれを追いかけた。
「菊子。」
「はい?」
「……時間があまりとれないが、明日、朝の仕込みが終わったら俺の家に来てくれないか。」
「蓮さんの?」
「あぁ。十六時だろう?店に行かないといけないのは。」
「はい。」
「だったら、それまで……。」
一緒にいたい。そう言いたいのに素直になれない自分がいた。
「……それまで聴かせたい音がある。レコードはあると言っていたか。」
「ありますけど、ずっと使ってなくて針が痛んでいるようでした。替えないといけないんですけど……。」
「あまり右から左に買えるものではないからな。良い店もあるし、そこを紹介してやっても良い。」
「ありがとうございます。」
そうじゃない。ただ一緒にいたいだけなんだ。キスをして、抱きしめて、求められて、求めたい。それだけなのに。
好きという言葉が出ない。好きなのに、それが責任ある言葉だと思うから。簡単に口に出せる言葉ではない。自分の感情のままに動いて、後悔したことがあるから。
店の裏手にやってくると、蓮は少し微笑んで菊子と別れた。本当はつれて帰りたいのに、その衝動を抑えて店に戻る。こんな気持ちになったのは、いつ以来だろうか。
美咲の名前を玲二から聞いたからかふと彼女の顔を思い出し、首を横に振る。忘れようとずっと思っていた。
「蓮さん。」
店に入ろうとしたら、一人の男が彼に声をかける。黒いスーツに黒のネクタイをした細身の男だった。
「探しましたよ。転勤を申し出たと急に本社に言ったそうで、その転勤先も口を割らないから一から探しました。」
気まずそうに、蓮はそちら見ないようにして店に入ろうとする。
「蓮さん。」
「仕事中だ。用があるなら、お前も入ればいい。」
その言葉に男は言葉を詰まらせる。
「お前の嫌いな百合も中にいるからな。」
「……何時に終わりますか。」
「さぁな。客次第だろう。」
そう言って蓮は店の中にはいる。そしてため息をついた。
「蓮。いきなりため息なんかついてどうしたの?キスの一つも出来なかったわけ?」
玲二はもう帰っていて、あとは数人の客と百合だけだった。
「……影村が居てな。」
「あら。そうなの。店に入ってくればいいのに。」
「あいつが嫌がるだろう。お前を見たくないってな。」
ギターを練習している若い男は、弾き語りをするらしい。だがまだ客に披露できるレベルではない。
それに指導するのも蓮の仕事だった。
「……ここ音程が合わない……。」
リズムは他とそんなにずれてなければいい。アドリブなのだと思わせることも出来る。だが音程はずれていたらはっきりわかってしまう。
キーボードで音を確かめて、菊子は声を出す。それに合わせると正しいと思えるのだが、合わせると一人がづれている気がする。
「真面目ね。菊子ちゃんは。」
百合はそういって玲二の前に、水を置いた。
「プライドが許さないのかもね。」
「え?」
「昔から誉められたことはないから、よく出来たねって。」
蓮も気になったところがあるのか、ベースをまだ弾いている。蓮が真面目なのは以前からのことで、こうしてベースを弾いていることもある。だがその隣には菊子が行る。真面目な人がもう一人増えたと、百合は少し笑っていた。
「ここ屋台出すの?」
「そうね。そんな話が来たから出してみようかと思って。と言っても、うちはフードが大したものが出せないからお酒が中心ね。」
「誰か雇ったりしないの?百合だけじゃ無理でしょ?」
「蓮がいるもの。大丈夫よ。あと茜も来てくれるわ。」
「だったら総動員だね。店は?」
「お祭りが終わってから、ライブはしないけどバーだけね。」
ちらりと百合は時計を見る。そろそろ菊子は帰さないといけないだろう。それを感じて、玲二が席を立つ。
「菊子ちゃん。そろそろ帰った方が良いんじゃないの?」
「あ、もうこんな時間だったんですね。」
「たまには俺が送っても良いけど、蓮が良いかな。」
そんな言い方をされたら困る。菊子はちらりと蓮をみた。すると蓮はベースをおいて、玲二の方へ向かった。
「そんな気は使わなくて良い。頼まれてるのは俺だし、俺が送るから。」
「……まぁ別に良いけどね。俺はほっとしているよ。」
「どうしてだ。」
楽譜をしまっている菊子は、不思議そうに二人を見る。
「美咲を忘れられたんなら、それで良い。」
「お前!」
胸ぐらを掴みそうな勢いだった。蓮は玲二に詰め寄りながらも、菊子を気にしているようだった。
「その名前は二度と言うな。」
「何焦ってんだよ。」
「……。」
「もう会う事もないんだから、良いじゃないか。別の奴に目を向けたから、みんな安心してんだ。」
「もう関係ない。」
不機嫌そうに玲二から離れ、菊子の方を見る。
「送ってやるから、準備しろ。」
「はい。」
考えてみれば、蓮のことを何も知らない。それが不安なのだと言えば、不安なのだろう。だが聞けない。
キスをしたからと言って、恋人ではないのだから。
帰り道、酔った人たちを交わしながら蓮と二人で歩いていた。だが気になることが沢山ありすぎて、菊子は蓮に何も聞けない。ちらりと蓮を見るが、彼はいつものように煙草を吹かしているだけだった。
「……何とか形になってきたな。」
「えぇ。」
ついに蓮の方から言葉を発した。しかしそれは音楽のこと。さっき彼が焦っていたことについては何も話したくないのかもしれない。
「結構大きな祭りだな。ここにもポスターが張ってあるし……。」
有名な歌手も来るらしく、彼は少し目を留めた。だがすっとその目を離す。
「蓮さん。」
ついに彼女から口火を切った。
「何だ。真剣な顔をして。」
「……あの……。」
しかし言葉は出ない。どう聞いたらいいのかわかったからだ。
その空気を感じたのだろう。蓮は彼女の頭に触れた。
「菊子。今度のライブは親にも見てもらうと良い。」
「え?」
「女将さんは悪くないが、結局生んだのはお前の母親だろう。両親が納得しなければ、音楽なんて続けていられないだろうし。」
そんなことを聞きたいんじゃない。そう言いたかったが、良い子の菊子が顔を出す。
「そうですね。時間がとれれば……。」
上機嫌にその頭に置かれた手をくしゃくしゃと撫でると、また蓮は歩き出す。その細い後ろ姿を見て、菊子もそれを追いかけた。
「菊子。」
「はい?」
「……時間があまりとれないが、明日、朝の仕込みが終わったら俺の家に来てくれないか。」
「蓮さんの?」
「あぁ。十六時だろう?店に行かないといけないのは。」
「はい。」
「だったら、それまで……。」
一緒にいたい。そう言いたいのに素直になれない自分がいた。
「……それまで聴かせたい音がある。レコードはあると言っていたか。」
「ありますけど、ずっと使ってなくて針が痛んでいるようでした。替えないといけないんですけど……。」
「あまり右から左に買えるものではないからな。良い店もあるし、そこを紹介してやっても良い。」
「ありがとうございます。」
そうじゃない。ただ一緒にいたいだけなんだ。キスをして、抱きしめて、求められて、求めたい。それだけなのに。
好きという言葉が出ない。好きなのに、それが責任ある言葉だと思うから。簡単に口に出せる言葉ではない。自分の感情のままに動いて、後悔したことがあるから。
店の裏手にやってくると、蓮は少し微笑んで菊子と別れた。本当はつれて帰りたいのに、その衝動を抑えて店に戻る。こんな気持ちになったのは、いつ以来だろうか。
美咲の名前を玲二から聞いたからかふと彼女の顔を思い出し、首を横に振る。忘れようとずっと思っていた。
「蓮さん。」
店に入ろうとしたら、一人の男が彼に声をかける。黒いスーツに黒のネクタイをした細身の男だった。
「探しましたよ。転勤を申し出たと急に本社に言ったそうで、その転勤先も口を割らないから一から探しました。」
気まずそうに、蓮はそちら見ないようにして店に入ろうとする。
「蓮さん。」
「仕事中だ。用があるなら、お前も入ればいい。」
その言葉に男は言葉を詰まらせる。
「お前の嫌いな百合も中にいるからな。」
「……何時に終わりますか。」
「さぁな。客次第だろう。」
そう言って蓮は店の中にはいる。そしてため息をついた。
「蓮。いきなりため息なんかついてどうしたの?キスの一つも出来なかったわけ?」
玲二はもう帰っていて、あとは数人の客と百合だけだった。
「……影村が居てな。」
「あら。そうなの。店に入ってくればいいのに。」
「あいつが嫌がるだろう。お前を見たくないってな。」
ギターを練習している若い男は、弾き語りをするらしい。だがまだ客に披露できるレベルではない。
それに指導するのも蓮の仕事だった。
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