夏から始まる

神崎

文字の大きさ
上 下
32 / 265
進展

32

しおりを挟む
 冷凍のご飯を電子レンジで温めて、ある材料で焼きめしを作ってくれた。手作りのモノを食べるのは久し振りだと思う。それに制服姿の菊子が、その食べた皿を洗ってくれている。女がこの部屋に来ると思っていなかったし、さらに食事を作ってくれるとは思ってなかった。
 やがて水の音が止まり、菊子は部屋の片隅にあるCDやレコードの棚を見ていた。女性ボーカルのモノを見ていたのはきっと自分が歌えるから。だが今は男性のモノも見ている。
「コレ、あの店で視聴しました。」
「どうだった?」
「聴くのは良いけれど、歌うとなると難しいだろうなと思いました。」
「そうだな。演奏も難しい。ちょっとこのバンドのカバーは間に合いそうにない。」
「間に合う?」
 菊子は手を止めて蓮の方を向く。すると彼は彼女を手招きして革の財布から一枚の紙を取り出した。
「コレに出たいと思ってな。」
 それを広げると、そこには八月の中旬にある夏祭りのポスターだった。大きな祭りで、この町の中心にある広間で行われるのだ。屋台も、ステージも、花火も、盆踊りも、全てこの二日間でやってしまう。
「夜のステージにはプロのバンドが来るが、昼間はアマチュアばかりだ。お前の学校の軽音楽部や吹奏楽も出るみたいだな。」
「あぁ、知ってます。」
「浩治が聞いてくれた。まだバンドの枠があるかって。そしたらどっかのバンドが辞退して、一つ余っているって言うらしい。」
「昼間ですか?」
「あぁ。何時になるかはわからないが、出ないか?」
 その日は店も閉めてしまうし、女将さんに「聴いてみてください」と啖呵を切っていた蓮にとっては都合がいいのかもしれない。
「……でも本当に……。」
 ライブハウスでする演奏は、聴きたい人が集まるから聴いてくれるのだ。しかし祭りとなると違う。足を止めて貰わなければ聴いてもらえないのだ。
「……自信を持て。あの練習だけで、人の耳を傾けることが出来るんだ。出よう。」
 自然とベッドに腰掛けていた蓮の隣に菊子が座る。その行動に、少しドキリとした。音楽の話をしていたのに、どうして女として意識をしてしまうのだろう。
 チラシを手にして、そのステージを思い出しているのだろう。じっと黙り、何か思っているようだった。
「新曲でするつもりですか?」
「既存の曲でな。でも場合によっては、新曲を入れ込んでも良い。おまえの声にあったバンドの曲を使いたいし、無ければ作ることも出来る。」
「曲を作るんですか?すごいですね。」
「浩治が作るんだ。あいつはあぁいうところが上手い。」
 菊子は少し笑い、ベッドから立ち上がるとまたCDの棚へ向かう。
「どの曲をする予定ですか?」
「聴きたいか?」
 彼はそういって彼女の後ろに立つと、その肩越しにCDを手にする。その行動にドキリとした。逞しい腕が急に伸びてきたから。振り向けなかった。おそらくすごく近い位置に彼が居たのだろうから。
 すると彼はすっと彼女のそばから離れて、コンポにCDをセットした。スピーカーから激しいロックの音がする。
「この曲だな。」
 彼はスピーカーの前に座り込む。良い曲だと思う。歌詞の内容もパンクにありがちな反社会的なものでもないし、それにラブゾングに聞こえた。男のしゃがれた声も、きっと菊子ならきれいに歌えるはずだ。
「……何てタイトルですか?」
 菊子は蓮に近づくと、その手に持っているCDケースをのぞき込む。その距離が近くて、良い匂いがした。
「どこの国の……。」
 見上げると、彼が彼女を見下ろしていた。とても近いのにその目が熱っぽいと思う。
「……。」
 こんなこともきっと慣れている女だ。だからのこのこ付いてきたし、誘うような行動をしている。
 歌詞カードを見て、彼女は首を傾げる。
「言葉がわからないですね。英語なら何とかなるかと思ったんですけど。」
「……菊子。」
 名前を呼ばれて彼女は歌詞カードから目線を上げる。すると彼はその頬に手を伸ばした。
「……何……何ですか?」
 驚いたようにその手に手を重ね、その手を離した。
 彼女の表情が少し怯えてきた。慣れているのだったら、その覚悟は出来ているだろうに、どうして今更だめだと表情で現れるのだろう。
「駄目か?」
「何がですか?蓮さん。なんか……様子がおかしいです。」
「おかしいだろうよ。男の部屋にのこのこやってくる女がいるんだから。飯を食うだけでただですむと思ってたのか?」
 その意味がやっとわかり、彼女は首を横に振る。
「駄目です。蓮さん。あの……私……そんなつもりで来たんじゃなくて……。」
「かまととぶるな。恋人は居たことはなくても経験がないわけじゃないんだろう?」
「居たことも、こんなこともしたことありません。」
「嘘を言うな。」
「本当です。私……駄目なんです。そういうのが……。」
 必死で拒否している。だが信じれない。あのとき男と一緒にホテル街に消えた。それは事実なのだから。
「……だったら、答えろ。どうしてあの日、ホテル街に消えたんだ?」
「ホテル街?」
「この街の西側には風俗街があるが、その奥にはホテルが何軒かあるだろう?そこへ誰と行ったんだ。」
 彼女はその言葉にふっと数日前のことを思い出した。
「武生のことですか?」
「武生というのか?あの男は。」
 呼び捨てで呼べる関係だ。自分はまだ「さん」付けなのに。やはりそういう相手なのだろう。
「幼なじみです。」
「は?」
 その言葉に彼は驚いたように彼女を見下ろした。
「幼なじみが二人居て、その一人です。」
「そいつとホテルへ行ったのか?」
「違います。幼なじみの一人がずっと学校へ来てなかったから、様子を見に行ったんです。幼なじみはこの街の西側に住んでますから、あまり一人では行きたくなくて付いてきて貰いました。」
 一気に言葉にする。まずい。緊張して喉が渇いてきた。彼女はそう思いながら、台所をちらりとみる。もう少しお茶をもらえないだろうか。
「……そうだったのか。」
 早とちりだったのか。蓮はほっとしたように、ため息を付く。
「蓮さん。お茶をもらえませんか。」
「あぁ。」
 彼女は立ち上がると、台所へ向かいコップにお茶を注ぐ。そしてそれをゆっくりと口に入れた。
 それでも心臓が高鳴るのを押さえきれない。どうしてこんなに反応してしまうのだろうか。彼の方を向けなくて、シンクの方を向いていた。
「菊子。悪かったな。」
「……誤解させるようなこともしました。そうですね……。確かに男性の部屋に一人で来るのは無防備だったかもしれません。」
 そうやって女性をあげていたのだろう。そして彼もそれを期待していたのだ。でもそれに答えることは出来ない。
「蓮さん。ごめんなさい。期待に応えられなくて。」
「そんなことを期待してここに呼んだんじゃない。本当にCDを聴きたかっただけだ。」
「そうですね。」
 彼との繋がりは音楽だけなのだ。だから男女の関係はない。今までも、これからも。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

壁の薄いアパートで、隣の部屋から喘ぎ声がする

サドラ
恋愛
最近付き合い始めた彼女とアパートにいる主人公。しかし、隣の部屋からの喘ぎ声が壁が薄いせいで聞こえてくる。そのせいで欲情が刺激された両者はー

初めてなら、本気で喘がせてあげる

ヘロディア
恋愛
美しい彼女の初めてを奪うことになった主人公。 初めての体験に喘いでいく彼女をみて興奮が抑えられず…

先生!放課後の隣の教室から女子の喘ぎ声が聴こえました…

ヘロディア
恋愛
居残りを余儀なくされた高校生の主人公。 しかし、隣の部屋からかすかに女子の喘ぎ声が聴こえてくるのであった。 気になって覗いてみた主人公は、衝撃的な光景を目の当たりにする…

隣の人妻としているいけないこと

ヘロディア
恋愛
主人公は、隣人である人妻と浮気している。単なる隣人に過ぎなかったのが、いつからか惹かれ、見事に関係を築いてしまったのだ。 そして、人妻と付き合うスリル、その妖艶な容姿を自分のものにした優越感を得て、彼が自惚れるには十分だった。 しかし、そんな日々もいつかは終わる。ある日、ホテルで彼女と二人きりで行為を進める中、主人公は彼女の着物にGPSを発見する。 彼女の夫がしかけたものと思われ…

♡蜜壺に指を滑り込ませて蜜をクチュクチュ♡

x頭金x
大衆娯楽
♡ちょっとHなショートショート♡年末まで毎日5本投稿中!!

夜の公園、誰かが喘いでる

ヘロディア
恋愛
塾の居残りに引っかかった主人公。 しかし、帰り道に近道をしたところ、夜の公園から喘ぎ声が聞こえてきて…

どうして隣の家で僕の妻が喘いでいるんですか?

ヘロディア
恋愛
壁が薄いマンションに住んでいる主人公と妻。彼らは新婚で、ヤりたいこともできない状態にあった。 しかし、隣の家から喘ぎ声が聞こえてきて、自分たちが我慢せずともよいのではと思い始め、実行に移そうとする。 しかし、何故か隣の家からは妻の喘ぎ声が聞こえてきて…

君の浮気にはエロいお仕置きで済ませてあげるよ

サドラ
恋愛
浮気された主人公。主人公の彼女は学校の先輩と浮気したのだ。許せない主人公は、彼女にお仕置きすることを思いつく。

処理中です...