夏から始まる

神崎

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雨の日

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 学校の生活は、そんなに楽しいものではない。菊子はクラスで特段浮いているわけでもないし、近寄ってくる女子と話を合わせていれば何とかなるものだ。
 浮いていると言えば、武生かもしれない。武生は大抵一人で本なんかを読んでいるか携帯でどこかにメッセージを送っている。おそらく連絡を取っていないと言っていた、恋人へかもしれない。
 それに合わせているようで女子から偏見の目で見られているのは、梅子だった。やはり噂が一人歩きしていて、援交しているという噂もある。だが彼女はいつも「お金なんかもらってないよー。コンドーム代は払ってもらうけどさ。」と言って笑いに変えていた。
「永澤。」
 ホームルームが終わって、移動教室のための教科書やノートを用意しようとしていた菊子に、担任が声をかけた。
「はい。」
 教科書、ノート、筆箱を持って担任の所へ行く。担任はまだ三十代の若い男で、三年を受け持つのは初めてらしく張り切っているようだ。その彼が大きめの封筒を、彼女に手渡す。
「オープンキャンパスの資料だ。今度の日曜だが、都合はいいのか?」
 日曜日という言葉に、彼女は少し動きが止まる。しかし封筒を受け取ると、笑顔で言った。
「大丈夫です。」
「そうか。そっちの先生に宜しくな。あぁ。俺の同級生がいるんだっけか。」
「先生の?」
「あぁ。蔵本っていう和食の専門の講師だ。会うことがあれば、俺が宜しく言ってたと言っておいてくれ。」
「わかりました。」
 その封筒を手に、再び自分の机に戻ると鞄の中にそれを入れた。
 日曜日は店が休みだ。だから昼間に「rose」へ行けると思っていたのに、オープンキャンパスのことをすっかり忘れていた。
 あんなにうきうきして、料理人の道がこれで開かれると思っていたのに、何で忘れていたのだろう。
 それだけ浮かれているのか。
 浮かれてる?何で?
 彼女の頭の中に蓮の顔が浮かんできて、頬を赤らめた。
 すると予鈴がなり、彼女はふと時計を見る。
「やばっ。」
 もうクラスの人たちは行っている。早く理科棟へ行かなければ。

 授業が終わり、菊子は梅子と一緒にクラスへ戻っていた。梅子は短大に行くらしい。それもこの土地ではなく、都会の方へ行くのだ。
 そんなところへ行ったらすぐに騙されそうな気がするが、彼女の母に言わせれば「騙された方がいいのよ。その方が身に沁みてわかるでしょ?どんだけ自分が恵まれてたかって。」と言って突き放しているように見える。
「短大で何を専攻にするの?」
「んー。保育士。」
「保育士?」
「そう。子供の面倒見たいから。」
 子供好きなんて初めて知った。だが本当はそれが目的じゃないのだろう。
「梅子。本当は都会に出たいだけじゃないの?」
「ばれたか。」
「梅子。」
「あたしねぇ、今度事務所受けるんだ。」
「事務所?」
「そう。芸能事務所。」
 その言葉に彼女は唖然とした。すると梅子は、携帯をとりだして菊子にそのサイトを見せる。のぞき込むようにそれを見ると、どうやら芸能事務所というのは本当らしい。
 だがそこに写っている女性は、あまり見たことはない。それに水着や露出の高い服を着て笑顔で写っている写真ばかりだ。
「ねぇ。これってさ……。」
「うん。グラビアとか、イメージとか、そういう仕事ばかりのとこ。」
「梅子。マジで言ってるの?」
「マジ。」
 そんなところにいたら、本当にAV女優になりそうだ。菊子は不安そうに梅子を見る。
「大丈夫なの?」
「平気。だって蝶子の娘だって言って、おっぱいEカップあるって言ったら、一度見たいってこっち来てくれないかって言ってくれた。」
「それっておかしいよ。一回お母さんにも相談したらいいと思うけど……。」
「だって母さんと会わないもん。あたしが学校行くときに寝て、帰るときに仕事行ってんだよ?話も出来ないじゃん。」
「それはさ……。」
 言葉に詰まる。おそらく菊子が帰る時間は、菊子が帰る時間とは大幅に違うはずだ。菊子が店で一生懸命床の準備をしている間、梅子は菊子の知らない男とセックスをしているのだから。
 そして帰る時間は、あの風俗店が始まる時間あたりなのだから。
「とにかく、あたし今度の日曜日、その事務所行くから。」
「梅子。」
「あたしの心配より、自分の心配した方がいいよ。菊子さ、オープンキャンパス行くって言ってたじゃん。」
「うん。」
「あんな近いところでいいの?電車で二駅じゃん。」
「店もあるし、一人暮らしするようなお金かけてられないから。結構かかるのよね。入学金とか、学費とか、あと実習のお金とかさ。」
「でもいいじゃん。親が出してくれるんでしょ?」
「そうね。たぶん。」
 梅子はそれがうらやましかった。彼女が短大へ行くと言ったときも、彼女の母はどれだけ二年間でかかるのかとか、入学費はいくらだとか、そんなことしか言わなかったからだ。
「女将さんは反対してる。」
「あー堅いからね。あんたの祖母さん。なんかずっとあの店に置いておきたいんじゃないの?なんだかんだ言っても、評判いいらしいじゃん。母さんがいつも言ってる。」
「そう?でもいつまでたっても和服が似合わないし、所作を間違えることもあるわ。」
「細かいのよねぇ。」
 そんな細かいところも全てが店の評判に繋がる。それをきっと祖母は言いたいのだ。そしてそれは料理にも繋がる。全ては店のためだ。
「……ねぇ。雨が降りそうね。」
 梅子がそう言って、廊下の窓を見上げた。確かに来るときは雲一つ無い晴天だったのに、今は厚い雲が空を覆っている。
「やだ。傘持ってないのに。」
「今朝のテレビで言ってたよ。菊子テレビ見ないんだっけ?」
「朝は見ないわ。あーやだ。帰るまで降らないで欲しい。」
 割烹で働いている菊子の評判を母から聞くことがある。よく気が利いて、言葉遣いも今時の女の子とは違う、まるで一昔前の女の子のようだという。しかし今目の前の菊子は、自分と何ら変わらない。普通の女子高生だった。
 モデルのようにすらりと伸びた手足、細い体、顔も小さく、たぶん、モデルにもなれるのかもしれない。自分のように体を武器にしたようなモデルではなく、もっと舞台に立つようなモデル。
 自分はどうだろう。きっと舞台と言ってもストリップの舞台にしか立てない気がする。
 これだからきっと武生は自分に振り向いてもらえないのだ。そして武生はずっと菊子だけを見ている。身長差があまりなくても、それでもいいと言っているように見えた。それが羨ましい。
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