夜の声

神崎

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二年目

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 十二月のとある平日。私は荷物を持って外に出た。早朝の空気は冷たく、吐く息が白くなった。
 紺色のコートと、白いマフラーを巻いている。そのマフラーは去年、竹彦に貰ったものだった。竹彦にはもうずっと会っていない。連絡も取ることはもうあまりなかった。茅さんや葵さんの話によると、竹彦は組に入らないかと言われているらしい。だけど拒否している。家のこともあるし、桃香ちゃんのこともある。どんな世界かわかった上で、彼は断っているのだろう。
 アパートの一階にやってきて、一番端のドアのチャイムを鳴らした。すると髪をきちんと整えた茅さんが出てくる。
「よう。早かったな。まだ夜も明けてねぇのに。」
「時間、かかると思ったから。」
「そっか。真面目なヤツだな。ちょっと待って。」
 そういって部屋に戻っていく。しばらくしたらベージュ色のコートを着て、荷物を片手に出てきた。
「お待たせ。行くか。」
「うん。」
 彼は鍵を閉めて、部屋をあとにする。こうしてみると普通の男の人だ。コートの下はきっとスーツ。だけど手の甲には入れ墨が見える。それだけが何となくヤクザっぽさを醸し出していた。
 赤い車に荷物を載せて、私は助手席に座った。運転席に座った茅さんは、エンジンをかける。まだ車のエアコンからは冷たい風しか来ない。
「講習は十六時までだっけ。」
「十八時。」
「あー。だった。忘れてた。上司から連絡あったっけ。十九時に本社に連れて来いって言われてたわ。」
 ラジオからはニュースが流れている。今から行く都会では、事件が勃発しているらしい。今日もコンビニ強盗が入って、一人死んだ。物騒なところだ。
「夕べ、柊と会ったのか?」
「……一瞬だけって感じ。店に来てくれたけれど、忙しかったし大した話はしてない。」
「あいつも大変だな。嫁一人貰うのに必死だ。」
 信号が赤になり、彼はタバコを取り出しそれを一本くわえると火をつける。
 あれから茅さんは、私を誘うことはなくなった。「窓」からの送迎もするし、他愛もない話をするけれどそれ以上のことはしない。指一本触れることもない。
 これが通常なのだ。何も変わらない。何も……。

 講習の会場には、私よりも若い人はいなかった。というか、たぶん一番年下だ。制服でやってきたけれど、だいぶ浮いていたと思う。
 女性も男性も多い会場は、たぶんほとんど二十代。一番年上でも五十代の人もいる。
 でもみんなの意識は一つだ。ライセンスをとる。そのためにここに来たのだから。
 休憩時間も同じカフェとか喫茶店の人が集まって、何か話しているみたいだったけれど私はその中に入らずにぼんやりと外を見ていた。
 都会だ。高いビルが建ち並び、よく整備された公園がある。歩く人たちも高いファッションセンスを持っていて、田舎の制服の女子は私だけに見えた。この制服、そんなにあか抜けてないわけじゃないと思うんだけどなぁ。
「沖田さん?って言ったっけ?」
 ぼんやりと外を見ていると、ふと声をかけられた。そこには黒髪のショートカットの女性と、金色の髪を持った男性がいた。
「はい。」
「高校生なんでしょ?今からライセンス取りたいって言ってたから、どんな人か興味を持ったの。」
「はぁ。」
「どこのカフェで働いてるの?」
 あー。やっぱ喫茶店じゃなくてカフェだと思ってんだなぁ。まぁおなじようなものだけど、あんなちゃらちゃらしたヤツと一緒に思われたくないなぁ。
「近所の喫茶店です。」
「へー。お父さんか何かがしてるの?」
「いいえ。近所の人がしてるんですけど。」
 すると金髪の男が、女性に耳打ちをした。そして私に声をかける。
「○○市?」
「そうですけど。何で?」
「そこにさ、すごいコーヒーが美味しい喫茶店があるって噂があって、そこなのかなって思ったの。屋号は?」
「「窓」です。」
 するとその女性と男性は顔を見合わせた。
「聞いたことある?」
「ねぇな。」
 まぁあんな隅にある喫茶店、こんな都会で聞いたことある方がおかしいよ。
「大きい喫茶店なの?」
「いいえ。三十席くらいしかなくて。」
「ちっちゃ。じゃあ、オーナー一人、あなた一人?」
「えぇ。」
「でもバリスタライセンスとれっていうの?」
「いいえ。そのオーナーは別に何もいわないんですけど、私、コーヒーのメーカーに就職が決まってて。」
「あー。それで取れって?」
 やっと納得したらしい。これで離れてくれればいいんだけど。
「コーヒーのメーカーが高校生にライセンスとれって、どんな会社なんだよ。就職してゆっくり取らせればいいのにさ。」
「なんかあるんじゃない?ほら。今、コーヒーのメーカーがカフェ出すの増えてるじゃん。ヒジカタとかさぁ。」
「あそこ、最近変な豆出すよな。仕入先変えたのかな。」
「でも中には良い感じのあるよ。」
 やっぱカフェとかに勤めてる人だな。会話の内容がコーヒー中心だ。あの地元にいれば、こういう話が出来るのって、茅さんか葵さんくらいしかいなかったしな。
「でもヒジカタがカフェ出すのって、こけるんじゃねぇ?」
「え?」
「だってさ、今ってコンビニで百円くらい出せば、コーヒーって飲めるじゃん。ウチも五百円くらいのコーヒーだけどさ、あそこのコーヒー一杯六百円越えらしいよ。」
「そんなの売れる訳じゃないじゃん。こけるって。」
 そんなものなのかなぁ。確かに葵さん所も一杯三百円のコーヒーは安いって言われてるけど。
「それぞれだと思いますよ。」
 すると横に座っていた五十代のおじさんが、声をかけてきた。
「失礼。会話の内容が気になってですね。」
 渋めのおじさんといった感じだろうか。太ってもいないし痩せてもいない。ワイシャツに紺色のセーターを着た男の人だった。
「私が若い頃は喫茶店しかなくてね、それこそ、ブルーマウンテンだ、キリマンジャロだと高いコーヒーは売れていた時代があった。」
「そういう時代だったんですよ。今はそこまで景気も良くないし。がむしゃらに働いても、手元に残るのは少ないしさ。」
「ですね。でもだからこそ、六百円のコーヒーを味わい、別世界に来たつもりでのんびり出来る。そんな時間があっても良いと思います。良い企画だと思いますよ。ヒジカタさんの企画はね。」
 その男女はぐっと黙ってしまった。
「沖田さんといいましたか。」
「はい。」
「私は○○市に住んでいたことがあってね。そこにうまいコーヒーを出す店があった。昔は女性がしていた店だったが、次に言ったときは男性がしていた。その男の人も美味しいコーヒーを入れてくれた。」
「あ……ありがとうございます。」
「……なぜお礼を言われるのか。」
「たぶん……ウチの店だと思うから。」
「ほう。では君は「窓」の。」
「はい。」
「葵さんの所の人か。うん。」
「知り合いですか。」
「そうだね。知り合いといえば、知り合いかもしれないな。」
 そういって彼は薄く笑った。その顔は、どことなく蓬さんを思い出させた。
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