夜の声

神崎

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二年目

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 タオルを渡され、その涙を拭った。
「すいません。変に泣いちゃって。」
 狭い廊下だ。手を伸ばせばすぐに抱きしめることが出来る。だけど今の彼はしなかった。その辺が紳士なのかもしれない。
「最近のあなたはどうも不安定ですね。何かありましたか。」
「……。」
「私に信用がないのはわかりますが、あなたは以前私に「話を聞くだけでも出来る。」と言いました。それは私でも出来ることです。きっとあなたに不利なことしかいえないかもしれません。」
 多分そうだろう。しかし今は苦しすぎる。
「しかし苦しんでいるあなたを放ってはおけない。あなたが好きだから。」
「葵さん……。」
 涙が止まらない。タオルで顔を押さえ、涙を拭う。そんな私の彼は腕を引き寄せて、体を包んだ。
「言えないのであれば、せめて抱きしめさせてください。あなたは一人ではないと思わせてください。」
 きっと心が弱っている人は、こういう言葉をかけられたらきっと葵さんを好きになるのだろう。でも私は弱っていながらも、心のどこかでこの人ではないと思っている。
 この温かさは嘘。それでも私はその嘘でもすがりつきたかったのかもしれない。
 私はタオルで顔をかくし、彼をみないようにしていた。でもその彼の腕がそっと外され、タオルを下ろされる。それでも涙は溢れ、その涙を指で拭ってくれた。
 そしてその指を顎に持ってこられた。ぐっと力を入れられて、上を向かされる。抵抗は出来ない。力が抜けて、タオルが足下に落ちた。
 そっと唇を重ねてくる。薄い唇に何度もキスをされた。そのたびに嫌悪感を感じる。だけど、今だけは、それにも抵抗が出来ない。
 ついばむように軽く何度もキスをする。そして手が涙をまた拭った。そして再び唇を重ねてくると、舌でその唇を割ってきた。ぬるっとして温かなものは、柊さんのように煙草の匂いはしない。
 だけど私はその頬に手を伸ばす。初めてだったかもしれない。彼は薄く目を開けて、ますます深く唇を重ねてきた。
 唇を離すと、彼はふっと息をはき私の額に額を寄せてきた。
「あなたから求めていると思ってしまいそうです。」
「……気のせいです。」
「気のせいですか?」
「あなたのキスに私はなにも感じないです。」
「そうでしょうか。涙は止まっていますよ。」
 認めたくはない。だけどそれで落ち着いたことも確かだった。
「百合のことを言ったときに、泣きましたね。彼女のことですか。」
「……はい。私と似ていると。だから柊さんは私を……。」
 彼はまた私の体を抱きしめた。
「あなたはあなたです。百合の変わりではありませんよ。」
 細い背中に手を伸ばしたこともあった。でも今は手を顔に持ってきて、彼の体を抱くことはない。
「百合さんの影を誰もが追っているように見えます。誰が追っててもかまわない。だけど……柊さんは私を見てくれていると思っていたんです。それだけ信用していたから……。」
 すると彼は私の体を抱きしめる力を強める。
「彼がまだ百合のことを思っているとあなたが思うなら、彼のことを忘れますか?」
 忘れる?そんなこと出来ない。
「イヤです。」
「だったらそれでいい。しかし私は以前いいました。あなた方の信用でつながっている「愛」はきっと脆い。ちょっとしたことでこんなに涙を流す。」
「……そうですね。」
 事実だ。これで泣いていないというわけにはいかないだろう。
「忘れたかったら私に言ってください。忘れさせることはすぐに出来ますから。」
 そういって彼は私を離した。もう涙は止まっている。少し落ち着いたのかもしれない。
 目線を合わせてくる。そしてその顔が近づいてきた。一瞬戸惑うように、動きが止まる。
「目を閉じないで。私を見てください。」
「……葵さん……。」
「桜。」
 そして素早く彼は私の唇を重ねてきた。先ほどのキスが嘘のように、彼は激しくキスをしてくる。そのキスはいつもの彼とは違う。
 まるで柊さんのようで、茅さんのようでもあった。
 思わず答えるように舌を絡ませた。違う人だとわかっているのに、その行為に私は柊さんを重ねている。
 私はきっと柊さんを責められない。私もこのキスに柊さんを重ねていたから。

 唇を離して、葵さんは私の体も離す。
「あなたはもう少し落ち着いたら店にでてください。泣き顔のまま出て欲しくないので。」
 出て行くドアの前で、彼は背中を向けたままため息をついた。
「……?」
「あなたはこういう強引な感じが好きなんですね。」
「……こういう行為の好きはよくわかりません。」
「今まで優しくしていましたけど、強引に今から攻めますか。」
「……ご自由に。」
 今までだったら「そんなことは二度とありません。」と彼を拒否しただろう。だけど今はそれも出来ない。
 私は足下にあるタオルを拾い上げて、壁にもたれ掛かった。二度としないと思っていても、二度どころか何度も彼とキスをしたし、気の迷いとはいえ寝たこともある。
 嫌悪感を感じることもあったけれど、彼を求めることもあった。今もそうだ。柊さんを思いながら、私は葵さんを求めていた。
 ずいぶん淫乱になったものだ。
 心ではなく体で繋がっているなんて、獣と一緒だと思う。
 葵さんはドアを開けて、店に入っていった。
 すでに汗なのか、涙なのかわからない。だけど落ち着け。だってここは店なのだ。自分に何があってもお客様には関係ない店なのだから。
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