120 / 355
二年目
119
しおりを挟む
ヒジカタコーヒーの求人枠は一人。事務職を募集しているらしい。前に支社長が言っていた聡子さんが定年退職されるから、そのあと枠を入れたいのかもしれない。だけど、ここの勤務になるかわからない。
蓮さんのようにいきなり本社へ行けとか、転勤とか、社命は沢山あるだろう。そのたびに柊さんと別れることになるのは少し辛い。
自分のためとは言っても、そこまで彼を待たせるだろうか。
匠が言ったように、彼はもう三十一歳なのだ。いつまでも待たせるわけには行かないし、私ほど時間があるわけじゃないのだ。
遊ぶだけならかまわない。でもきっと……遊びじゃない。
普段はブラウスの下にしまいこんでいるネックレスを、首からはずした。その先には指輪がある。銀色に鈍く光った。
部屋から外を見る。私の部屋からは工場が見えた。夜でも光っている工場の光は、夜が来ていないような気もする。そこで働いている人もいるのだ。そして来年には多分うちの高校からもそこで働く人も出てくるだろう。
改めて求人票をみた。
もう一枚の求人票には、その工場の事務の募集もあった。人気がある求人で、うちの学校からも二人くらいしか出さない。その中で推薦されても、受かるとは限らないのだ。それはヒジカタコーヒーにも言えるだろう。私のようにカフェで働いている人も多いのだから。厳しい条件になるだろう。
早く道を決めないといけないという急かされた感じがするけれど、これを選んだのは私。二年のはじめ、そういう道を選んだのは私だ。
ため息をついて私はラジオのスイッチを入れた。
椿さんは姿を見せない人だといつか梅子さんがいっていた。でも若い人だという。その割に人生を悟ったような言い方をする。どんな人生を歩んでいるのだろう。そして彼も決断をしたのだろうか。
その日も雨が降っていた。「窓」へやってくると、カウンター席に一人男が座っている。その後ろ姿は見覚えがあった。
「いらっしゃいませ。」
声をかけると男は振り返った。
「久しぶりだ。桜。」
それは蓬さんだった。その姿に少し引いたけれど、お客様なのだからと私は笑顔を浮かべた。カウンターに入りバックヤードに行くと、着替えを済ませて表に出ようとした。するとそこには葵さんが砂糖の袋を持って立っている。
「あ、すぐ出ます。」
狭い廊下だ。密着してしまうので早くでないと。
「桜さん。彼はあなたに用事があるみたいですよ。」
「私にはないです。」
「そういわないで、ちょっと話を聞いてあげてください。」
私に用事ってなんだろう。
表に出ると、蓬さんは煙草を吹かしていた。
「コーヒーはいただきましたか。」
「あぁ。さっき煎れてもらった。葵のコーヒーは絶品だ。」
「恐れ入ります。」
彼はそういって後ろを向いて食洗機にあるカップを、棚に並べ始めた。本来なら私の仕事なのに。
「竹彦は元気ですか。」
「あぁ。いい体になってきた。あんなにひょろひょろしていたのに、今では同じ時期に入った若いものの中では、一番腕がたつ。」
「……良かったです。」
「あいつは目的があって入ったといっていたが、その理由はお前にわかるか。」
「想像もつきませんよ。」
嘘だ。本当は知っている。彼は柊さんや葵さんと同じステージにたちたいからといって、椿になったのだ。私のために。
「妹がいるのは?」
「あぁ。それは知ってます。血の繋がらない妹だそうですね。」
「あいつが気にしていた。どうやら学校も辞めて、行方不明になっている。」
「行方不明?」
「……血の繋がりのない妹だ。関わらなくてもいいのではないかと言ったのだがな。やはり数年でも一緒に住んでいたので、気になるのだろう。」
「……そんなことをするような子には見えませんでしたけどね。」
「男の影はなかったか。」
「そんなに親しかったわけでもありませんし。」
どちらかというと目の敵にされていた。そんな感じがする。
「しかし……竹彦君は気がついていたのかもしれませんが、彼女は竹彦君を男としてみてましたからね。」
「兄妹だろう?」
「血の繋がりはありませんよ。」
「……それもそうか。」
煙草を消して、彼は私の方を見る。多分そんなことを言いにきたのではない。何を言いたいのだろう。柊さんのことだろうか。それとも、茅さんのこと?
「柊は、うまくやってるだろうか。」
「うまく?」
「職場が変わったと聞いた。あいつは気が短いところもあるからな。」
「もう子供ではありませんよ。そう気の短いようなことはしません。うまくやってるみたいですよ。」
「会ってるか。」
「適度に。」
「相変わらず付かず離れずだな。まぁ、お前等がそれで良いならかまわないが。」
「……柊さんをまた椿にしようと?」
「あいつがそうしたければそうすればいい。まぁ、お前のためにもそれはもうないのかもしれないが。桜。今日はお前を誘いに来た。」
「デートならしませんよ。」
後ろの葵さんの動きが止まった。本題に入ったからだろう。
「デートもしたいが、実はうちの組の奥事をしている女が、春に産休にはいる。そこでお前を誘いに来た。」
「私に奥事をしろと。」
「胡桃から家事一切を任していると聞いている。出来るだろう。」
「家政婦と言うことですか。」
「あぁ。」
私はため息をついて、彼を見上げる。
「柊さんは反対するでしょうね。」
「お前のことに柊が口を出すのか。子供じゃああるまいし。」
「……。」
「まぁ、今すぐではなくていい。連絡先は……。」
「いつか聞きました。」
「ではそれに連絡をしてくれ。」
そういって彼はレジへ向かった。そして店を出ていく。まだ雨の音がしていた。
カップを片づけてまたカウンターに戻ると、葵さんは複雑な表情をして、私を見ていた。どう言っていいのかわからないのだろう。組のことであるから反対も出来ないし、かといって柊さんのことを考えると行かない方がいいと思う。
「まぁ……組の奥事のことであれば、組に参加しているわけではないんですよね。」
「行く気ですか?」
葵さんは驚いたように私を見ていた。
「いいえ。行く気はありませんけど。」
「それがいい。やっと切れた蓬さんとの縁をまた繋ぐとなれば、柊ではなくても私でも怒るかもしれません。」
蓮さんのようにいきなり本社へ行けとか、転勤とか、社命は沢山あるだろう。そのたびに柊さんと別れることになるのは少し辛い。
自分のためとは言っても、そこまで彼を待たせるだろうか。
匠が言ったように、彼はもう三十一歳なのだ。いつまでも待たせるわけには行かないし、私ほど時間があるわけじゃないのだ。
遊ぶだけならかまわない。でもきっと……遊びじゃない。
普段はブラウスの下にしまいこんでいるネックレスを、首からはずした。その先には指輪がある。銀色に鈍く光った。
部屋から外を見る。私の部屋からは工場が見えた。夜でも光っている工場の光は、夜が来ていないような気もする。そこで働いている人もいるのだ。そして来年には多分うちの高校からもそこで働く人も出てくるだろう。
改めて求人票をみた。
もう一枚の求人票には、その工場の事務の募集もあった。人気がある求人で、うちの学校からも二人くらいしか出さない。その中で推薦されても、受かるとは限らないのだ。それはヒジカタコーヒーにも言えるだろう。私のようにカフェで働いている人も多いのだから。厳しい条件になるだろう。
早く道を決めないといけないという急かされた感じがするけれど、これを選んだのは私。二年のはじめ、そういう道を選んだのは私だ。
ため息をついて私はラジオのスイッチを入れた。
椿さんは姿を見せない人だといつか梅子さんがいっていた。でも若い人だという。その割に人生を悟ったような言い方をする。どんな人生を歩んでいるのだろう。そして彼も決断をしたのだろうか。
その日も雨が降っていた。「窓」へやってくると、カウンター席に一人男が座っている。その後ろ姿は見覚えがあった。
「いらっしゃいませ。」
声をかけると男は振り返った。
「久しぶりだ。桜。」
それは蓬さんだった。その姿に少し引いたけれど、お客様なのだからと私は笑顔を浮かべた。カウンターに入りバックヤードに行くと、着替えを済ませて表に出ようとした。するとそこには葵さんが砂糖の袋を持って立っている。
「あ、すぐ出ます。」
狭い廊下だ。密着してしまうので早くでないと。
「桜さん。彼はあなたに用事があるみたいですよ。」
「私にはないです。」
「そういわないで、ちょっと話を聞いてあげてください。」
私に用事ってなんだろう。
表に出ると、蓬さんは煙草を吹かしていた。
「コーヒーはいただきましたか。」
「あぁ。さっき煎れてもらった。葵のコーヒーは絶品だ。」
「恐れ入ります。」
彼はそういって後ろを向いて食洗機にあるカップを、棚に並べ始めた。本来なら私の仕事なのに。
「竹彦は元気ですか。」
「あぁ。いい体になってきた。あんなにひょろひょろしていたのに、今では同じ時期に入った若いものの中では、一番腕がたつ。」
「……良かったです。」
「あいつは目的があって入ったといっていたが、その理由はお前にわかるか。」
「想像もつきませんよ。」
嘘だ。本当は知っている。彼は柊さんや葵さんと同じステージにたちたいからといって、椿になったのだ。私のために。
「妹がいるのは?」
「あぁ。それは知ってます。血の繋がらない妹だそうですね。」
「あいつが気にしていた。どうやら学校も辞めて、行方不明になっている。」
「行方不明?」
「……血の繋がりのない妹だ。関わらなくてもいいのではないかと言ったのだがな。やはり数年でも一緒に住んでいたので、気になるのだろう。」
「……そんなことをするような子には見えませんでしたけどね。」
「男の影はなかったか。」
「そんなに親しかったわけでもありませんし。」
どちらかというと目の敵にされていた。そんな感じがする。
「しかし……竹彦君は気がついていたのかもしれませんが、彼女は竹彦君を男としてみてましたからね。」
「兄妹だろう?」
「血の繋がりはありませんよ。」
「……それもそうか。」
煙草を消して、彼は私の方を見る。多分そんなことを言いにきたのではない。何を言いたいのだろう。柊さんのことだろうか。それとも、茅さんのこと?
「柊は、うまくやってるだろうか。」
「うまく?」
「職場が変わったと聞いた。あいつは気が短いところもあるからな。」
「もう子供ではありませんよ。そう気の短いようなことはしません。うまくやってるみたいですよ。」
「会ってるか。」
「適度に。」
「相変わらず付かず離れずだな。まぁ、お前等がそれで良いならかまわないが。」
「……柊さんをまた椿にしようと?」
「あいつがそうしたければそうすればいい。まぁ、お前のためにもそれはもうないのかもしれないが。桜。今日はお前を誘いに来た。」
「デートならしませんよ。」
後ろの葵さんの動きが止まった。本題に入ったからだろう。
「デートもしたいが、実はうちの組の奥事をしている女が、春に産休にはいる。そこでお前を誘いに来た。」
「私に奥事をしろと。」
「胡桃から家事一切を任していると聞いている。出来るだろう。」
「家政婦と言うことですか。」
「あぁ。」
私はため息をついて、彼を見上げる。
「柊さんは反対するでしょうね。」
「お前のことに柊が口を出すのか。子供じゃああるまいし。」
「……。」
「まぁ、今すぐではなくていい。連絡先は……。」
「いつか聞きました。」
「ではそれに連絡をしてくれ。」
そういって彼はレジへ向かった。そして店を出ていく。まだ雨の音がしていた。
カップを片づけてまたカウンターに戻ると、葵さんは複雑な表情をして、私を見ていた。どう言っていいのかわからないのだろう。組のことであるから反対も出来ないし、かといって柊さんのことを考えると行かない方がいいと思う。
「まぁ……組の奥事のことであれば、組に参加しているわけではないんですよね。」
「行く気ですか?」
葵さんは驚いたように私を見ていた。
「いいえ。行く気はありませんけど。」
「それがいい。やっと切れた蓬さんとの縁をまた繋ぐとなれば、柊ではなくても私でも怒るかもしれません。」
0
お気に入りに追加
30
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。
お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~
ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。
2021/3/10
しおりを挟んでくださっている皆様へ。
こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。
しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗)
楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。
申しわけありません。
新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。
お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。
修正していないのと、若かりし頃の作品のため、
甘めに見てくださいm(__)m
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる