夜の声

神崎

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一年目

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 救急病院へやってきた私は、診察を受けた。顔を殴られたことで頭に異常はないかと、大きな機械で診察をされた。その間にも蓬さんは一人でじっとそれを待っていた。身内でもない彼がそこにいるのは、奇妙だと医師も看護師も思っていたのかもしれないけれど、彼の雰囲気に口を出せることは出来ないと誰もが思っていた。
 結果がでるまで私は、腫れた頬は少し切れていて絆創膏を貼られ、その上から氷で冷やすように言われた。湿布よりもそちらの方がいいのかもしれない。
 隣には蓬さんがいる。携帯電話で何かメッセージを送っているらしい。しばらくすると、母さんがハイヒールを鳴らしながらやってきた。
 仕事着のきわどいワンピースを着ていた彼女は、この病院の中で誰よりも場違いだった。
「桜。あなた……気をつけなさいってあれほど……。」
「ごめんなさい。でも……。」
「あんな時間に強姦魔がでるとは、誰も思っていないだろう。」
 私の隣で座っていた蓬さんは、携帯電話を閉じて母さんを見上げていた。すると母さんは戸惑ったように私と、蓬さんを見比べている。
「久しぶりだな。胡桃。」
「……蓬さん。どうしてここに?」
「ご挨拶だな。俺がこいつを助けたのに。」
「助けた?けしかけたんじゃなくて?」
「あんなケチな仕事しかしない奴、俺の組にはいない。」
「どうだか。」
 明らかに不機嫌そうに、母さんは蓬さんを見ていた。
「丁度いい。お前に聞きたいことがあった。」
「……あなたに提供するようなネタはなくてよ。」
 するとそばのドアから、看護師が私の名前を呼ぶ。
「結果出ましたので、身内の方もどうぞ。」
 そういうと蓬さんは立ち上がろうとしたが、母さんにそれをしなめられた。
「あなたが身内の訳ないでしょ?この子の身内はあたしだけなんだから。」
「……ふん。」
 不機嫌そうに蓬さんはまたいすに座った。
 検査の結果、頭には何の異常もなく、ただの打ち身と切り傷だけという結果になった。強姦未遂とはいえ、正直殴られてブラウスのボタンを取られただけなのだが、怖いと思っていた。
「診断書を書きます。全治一週間ということで。」
「はい。ありがとうございます。」
「あとは警察の方にお話ししてください。」
 待合室には警察官がいるはずだ。おそらく私と母さんは連れて行かされる。話を聞くためだ。
 診察室の外にでると、蓬さんはまだそこで待っていた。
「まだいたの?」
 母さんは嫌みを一ついって、そこを去ろうとした。
「お前の恋人のことについて聞きたい。」
「どの恋人かしら。あちらかしら。こちらかしら。」
「相変わらず股が緩い奴だ。」
「何ですって?」
 どうでもいいから行かせろよ。私は母の腕をつついて、もう行こうと促した。しかし蓬さんはそれを許さなかった。
「Syuという奴はお前の恋人だろう。」
「えぇ。そうよ。それがどうしたの?」
 違うとは言えない。Syuは娘の恋人だと、彼には言えなかったのだ。
「どんな奴だ。」
「あんたと違って一途な人よ。あたししか見ていないし、女を売ったりもしないし、貢がせたりもしない。」
「……大変だな。お前に大して一途なのに、お前が奔放だと。」
「そういう仕事でしょ?お互いに。」
 母さんはあまり大きい人じゃない。立ち上がった蓬さんと身長差はかなりなものだ。しかし母さんは負けていない。
「ふん。今日は帰ろう。桜。気をつけて帰れよ。」
 そういって蓬さんは出口に向かおうとした。その背中に向かって、私は声をかける。
「蓬さん。今日はありがとうございました。」
 すると彼は振り向いて手を振った。
「またな。」

 家に帰り着いたとき、もうすでに日はとっくに越えていた。母さんはもうこのまま店には帰らずに、私と一緒に家に帰ってくれる。しかし扉を閉めたとたん、彼女は私を責め立てた。
「どうして蓬さんに助けてもらったりするのよ。」
「たまたま通りかかったんでしょ。」
「あーもう。あんな男にまた借りを作るのなんてまっぴらだったのに。」
 髪をくしゃくしゃとかきむしり、彼女は携帯をとりだした。
「柊さんにはこのこというの?」
「……。」
「でも強姦未遂にあったなんて、言えないわよね。だから夜は気をつけてって言ったのに。葵には言っておかなきゃいけないわね。」
「……葵さんから言うと彼が怒るから……。柊さんには私から言う。」
「言えるの?」
「……今の時間ならもう携帯通じると思うから。」
 心配そうに母さんは私を見ていたけれど、私は自分の部屋にはいると、電気をつけないまま携帯電話を開き、柊さんの番号にコールした。

 すぐに玄関のドアが開く音がした。そしてリビングで母と柊さんが言い合う声がする。その間にも、私の手は震えが止まらなかった。
 強姦されかけたことが怖いのではない。真実を伝えるのが怖かったのだ。
 どう蓬さんのことを誤魔化せばいいのか。彼に大して隠し事をまた増やさないといけないのか。そればかりが頭をよぎる。
 やがて私の部屋のドアが開いた。電気が灯り、彼は私を見下ろした。ベッドに腰掛けている私の前に膝を突いて、私の手に手を重ねた。
「……桜。」
 その手の温かさが何より嬉しかった。手を包み込むように、彼は手を握った。
「痛くはないか。」
「大丈夫。明日腫れるかもしれないと言われましたが、打ち身と切り傷だけだと言われましたから。」
「側にいてやれたらよかったが……。」
 彼は悔しそうに私を見る。
「一人でも生きていられるくらいの強さが必要でしょう。きっと頼り、頼られの関係は続かないから。」
「……。」
「抵抗したのでこの程度ですよ。」
「助けてくれた奴もいるんだろう。」
「えぇ。」
 ドキリとした。蓬さんのことを言わないといけないのかと思ったから。
「でもすぐに行ってしまいました。」
 たぶん嘘だとわかっている。目が泳いでいるから。でもこれ以上は言えない。ごめんなさい。柊さん。
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