夜の声

神崎

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一年目

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 コーヒー豆をひく音がガリガリと音を立てる。その間に葵さんが奥に座っていた女性の会計を済ませた。
「五百円です。ありがとうございました。」
 女性は微笑み、ぽっと頬を赤くさせながら出て行った。きっと彼女はこの静かな空間とコーヒーを目当てに来ているのではない。きっと葵さんを目当てにやってきているのだ。だから私一人の時は会計に来なかった。それを目当てにやってくる女性は多い。
 笑顔がさわやかで細身、清潔感があるような男性。モテないわけがない。
「相変わらずモテるんだな。」
 カウンター席に座っている柊さんがそう声をかけた。すると葵さんはこちらに来てふっと笑った。
「そんなことはないですよ。あなたの方がモテるじゃないですか。」
「興味がない女に言い寄られてもな。」
「同感ですよ。」
 あーやだやだ。モテる男たちの会話って。そんなことを思いながら、私は挽いた豆をチェックした。よし。いい感じで挽けているぞ。
 沸いたお湯を今度はドリップポットに移し替えた。
 目の前に座っている柊さんは、その行動を全部チェックするように、手元に目線を移す。
「真剣だ。」
「この間からコーヒーは入れさせているんですよ。桜さんは。」
「桜……ね。高校生のようだが。」
「えぇ。高校生です。」
「俺が行ってるところも高校なんだが、なんだか俺が見た高校生とはちょっと違うようだ。」
 葵さんはカウンターを出るときに、灰皿を一つ柊さんの前に置いた。そして奥の席へトレーを持って行ってしまう。
「桜。」
 急に名前を呼ばれて私は驚いて前を向いた。耳に残るような柊さんの声は、椿さんそのものだったから考えないようにしていたのに、急に呼ばれたから手元が狂ってしまった。
「あっ。」
 せっかくひいた粉を床に落としてしまった。
「大丈夫か。」
「大丈夫です。すいません。コーヒー、もう少々お待ちください。」
 ダメだなぁ。こんな事でミスするなんて。
「……どうしたんですか?」
 ホウキとちりとりを裏から持ってきた私に、葵さんが声をかけてきた。
「すいません。ちょっとこぼしてしまって。」
「気をつけてくださいね。あ、お湯は入れ直して。豆、挽き直すんですよね。」
「はい。」
 すると柊さんが私をかばうように葵さんにいう。
「俺が急に呼び捨てにしたから、動揺したんだろう。」
「あぁ。そんなに意識していたんですか?柊のこと。柊がモテてたのって、二十代の頃だけどまだ現役なんですが、まだ現役でモテてるんですね。」
「からかうな。」
 そういって柊さんはポケットから煙草を取り出して、その煙草を一本口にくわえると、ライターで火を付ける。ぽっと煙を吐き出して、煙が宙に浮いた。
 二十代という話をしていたけれど、二人とももう三十代以降なんだ。葵さんも柊さんもとても若く見えるからそんな風に見えなかったな。
「お待たせいたしました。」
 やっとコーヒーをいれ終わり、カップを柊さんの前に置く。そしてその余りを、カップに二つ入れて葵さんと私の分で分けた。
「うまい。」
 一口飲んで、また口元だけで笑った。それだけで胸が一杯になる。まるで椿さんに飲んでもらっているような気がして。
「こんないい豆を三百円じゃ割に合わないだろう。」
「そんなことはないんですよ。割と儲けは出てますから。」
 柊さんもそのカップに口を付けた。この瞬間が一番緊張する。認めてもらうにはまだ自信がない。
「うん。良くなりましたね。心を込めて入れているのがわかりますよ。桜さん。柊さんだからこんなに美味しく入れたんですか。」
「そんなことないですよ。」
 私は首をぶんぶんと振る。すると葵さんは笑いながら、またカップに口を付けた。
「すいません。」
 ドアベルが鳴り、私はカウンターを出ていった。そしてお客さんを案内する。二人組のカップル。大学生か何かだろう。手には映画のパンフレットが握られている。
 席に案内するとまたカウンターに戻り、水とおしぼり、メニューを持って席に向かう。
 その間にも葵さんと柊さんは何か話しているようだった。
 カウンターに戻ると、葵さんは苦笑いをしていた。
「……桜……さんでいいか。」
「呼びにくければ、呼び捨てでも。」
「そうか。だったら桜。ちょっと聞きたいことがあるんだが。」
「何でしょうか。」
 呼び捨てだけでも何でこんなにどきどきしてるんだ。えーい。静まれ。心臓。
「俺、高校の用務員をしているんだが。」
 知ってる。今日見た。と言うことは言わない方がいいのかな。
「はい。」
「校舎裏に猫の鳴き声がするという話があってな。知らないだろうか。」
 ドキリとした。それは私が昼間に竹彦とミルクをあげた子猫のことだろうと思ったから。
「……やっぱりまずいですか。」
「一応な、あぁいう生き物は、学校では飼えないことになっている。」
「もし、猫がいたらどうするんですか。」
「引き取り手を見つける。もし見つからなければ処分だろう。」
 処分?処分ってどういうことだろう。
 頭の中であの子猫たちが、ゴミのように捨てられる映像が想像できて怖くなった。
「すいませーん。」
 大学生たちの注文が決まったようで、葵さんが私に声をかけた。
「桜さん。」
「あ、すいません。今、行きます。」
 震える手で、メモを手にする。そしてその大学生たちの注文を取った。
「ブレンドが一つと、ダージリンが一つですね。」
 そして私はまたカウンターに戻る。注文を書いた紙を渡すと、葵さんはいつものように手際よくコーヒーと紅茶を入れていく。
 違う。
 きっとこの柊さんという人は、きっと椿さんではない。椿さんならそんなことをいわない。処分なんて。そんな無慈悲なことをいわないだろう。
「桜。さっきの質問だが。」
「猫のことですか。」
「そうだ。知っているのか。」
「……。」
「知っているのだな。どこにいる。」
「でも処分……。」
「ではお前の家で猫を飼えるのか。」
 すると葵さんが心配そうにこちらを見た。
「……いいえ。うちはアパートですし。」
「だったら宛はあるのか。」
「ありません。」
「張り紙は出す。引き取る人が出てくるのを待つんだな。」
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