彷徨いたどり着いた先

神崎

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 ダブルベースを抱えて廊下に出る。ライブハウスの廊下は割と狭くて、人が並んで歩けるほどでは無い。なのに大きなアンプなんかをここから入れているのだ。そんな機材を持ち運びしているスタッフを横目に、一馬はフロアの方へ足を運ぶ。
 フロアは割と広く、二階席もあるような所だ。二階席の方にカウンターバーがあり、そこでは酒を飲みながらプロデューサーと歌手が何か話をしているように見える。もう飲んでいるのかと一馬は思いながら、その客というのを探した。
 すると一馬に近づいてきた女性がいる。白地で花柄のワンピースを着ている加藤貴理子だった。
「貴理子さん。」
「うちの人はちょっと用事があって、こちらに来れなかったんだけど私だけでも行って欲しいって言われてね。」
 そう言えば花が加藤啓介の名前で贈られていたような気がする。それで貴理子だけでもここに来たのだろう。
「一馬さんはダブルベースの方が性に合っているような気がするわ。」
「そうですかね。元々こっちが本職でしたし。」
 大学の時にはエレキベースは趣味程度だった。ロックバンドのヘルプで弾いたこともあるが、根を詰めて今のようにすることも無かった。それがここまで必要とされるようになるとは一馬も思ってもみないことだったのだ。
「これからうちの人も合流して飲みに行くの。あなたもどうかと思って。」
「すいません。こちらの打ち上げに参加する予定なんです。」
 予想通りの答えに貴理子は少し笑う。スタジオミュージシャンのようなことをしているのだ。そちらの繋がりは大事にしたいだろう。
「だったら今度、うちでうちの人の誕生パーティーをするの。それは来てくれるかしら。」
「誕生会ですか?」
 そういったことに誘われないことも無いが、気が進まない。大体加藤啓介のヘルプだって、一馬は代役みたいなモノだ。元々のベースはいて、都合が悪かったから一馬にお鉢が回ってきたようなモノなのだから。これ以降のライブやレコーディングに呼ばれるかというと微妙だと思う。
「……いつですか?」
「六月なの。うちの人は下戸だから、ケーキ中心のガーデンパーティーみたいな感じで。ほら、広い庭があるの。そこでパティシエなんかを呼んでデザート中心の気軽なパーティーだから、あなたにも来て欲しいと思って。」
「はぁ……。」
 それでも行く気はしない。元々貴理子も苦手なタイプだ。出来れば深く関わりたくない。
「評判の洋菓子店に声をかけているわ。あぁ。あまり洋菓子なんかには興味が無いのかも知れないけれど……。」
「洋菓子店?」
 表情が変わった。噂が真実味を増す。貴理子は鎌をかけるように一馬に言った。
「「clover」って言うの。今日お友達に誘われて初めて行ったんだけど、ケーキもコーヒーも美味しくて。主人がコレなら満足するかと思うわ。」
 響子が貴理子と会ったのだろうか。だが響子はこういう女性があまり好きでは無いだろう。店に来たとしても話もしないで終わったはずだ。
「仕事が入らなければ行けますけど。」
「詳しいことは、今度の練習の時に言うわ。是非いらしてね。」
 貴理子はそう言って薄手の緑色のコートを羽織るとそのまま行ってしまった。そしてそのホールを出たあと、少し笑う。

 里村の所を出て、「花岡酒店」の前を通り過ぎようとした。その時客を見送ろうとしていた葉子にめざとく見つけられて、響子は足を止める。
「響子さん。」
「こんばんは。」
「どこかへ行っていたの?」
「里村さんのところです。」
 里村と言われて葉子は少し笑顔になった。里村の所に足繁く通っているのを知っていたから。そしてその目的はいつも店のためであり、そこにいる子供達に甘い物を作るついでに試飲をしてもらっているのだという。子供の感想は正直だからだ。
「食事はした?良かったら食べていかない?」
 一馬が今日は食事がいらないと言っていた。だからそこで食事を済ませてもかまわない。だがいつも葉子の食事は量が多い。苦しくて横になってしまうのだ。
「あー……すいません。ご飯が炊けているからですね。」
「だったらおかずだけでも持って行かない?今日ね。唐揚げしたの。ポテトサラダとね。」
「良いですね。戴こうかな。」
 その言葉に葉子は少し笑顔になる。素直に喜んだり欲しがったりするのは、作りがいがあるというモノだ。
「中で待ってて。お客様はいるけれど、あまり気にしなくても良いから。」
 そう言って葉子は店の中に入っていく。それを追うように響子も店の中に入っていった。
 店内は明るく、焼酎や日本酒を中心に置かれているようだが、ワインやシャンパンもある。それはおそらくホストクラブやバーに卸すためだろう。そのワインの中には、一馬を育てたという両親が作ったワインもある。二人でそれを飲み、どのワインよりも美味しいと思えた。
「若いお姉ちゃんが来たね。おいちゃん達と飲むかい?奢っちゃうよ。」
 そう声をかけられて、響子はそちらを向く。酒が置かれている店内の片隅にはバーカウンターがあり、テーブル席も何席かある。そこには数人の客が居て、思い思いに酒を飲んでいた。今帰ったであろう席を片付けているのは一馬の兄で、藍色の前掛けをしている。そしてその真ん中には丸の中に「花」という文字が印字されていた。おそらく屋号なのだろう。昔からのモノで代々受け継がれているらしい。
「興味深いお酒は沢山ありますけど、今日はちょっと……。」
 ここで飲んでしまったら、一馬が帰ってきたときに呆れている一馬の顔が安易に想像出来た。
「お待たせ。響子さん。」
 奥の住居のスペースから葉子が出てきて、響子はそちらに足を運ぶ。そして渡されたビニール袋はずっしりしているように思えた。
「多くないですか?」
「え?そうかしら。いやぁね。あたし、ほら、一馬君がいたときの癖が抜けなくて、いつも作りすぎるって息子から言われるのよ。でも息子も沢山食べるようになってきたし、足りないよりは余る方が良いと思わない?」
「はぁ……そうですね。」
 ビニール袋の中をちらっと見る。そこには折り詰めのパックが二つあった。
「吹奏楽部に入ったのよ。上の子。あたしそんなに音楽なんかには詳しくないけど、吹奏楽部って文化系なのに走り込みとか腹筋とかするのね。運動部みたい。」
「そうなんですか?」
 一馬もそうやっていたのだろうか。元々体を鍛えていたのだから、それは苦行では無かったのだろう。
 その時入り口に二人組のサラリーマンがやってきた。看板に角打ちやってますの看板に惹かれたのだろうか。
「すいません。まだ良いですか?」
 すると葉子が男性の方へ近づいて言う。
「えぇ。十二時までですよ。」
 まだ十二時までは早い時間だ。響子も早く帰ってコレをおかずに食事をして、風呂に入ったら最近買った本の続きを読みながら一馬を待とうと思っていた。最も帰る時間が遅ければ眠気の方が勝ってしまうが。
「良かった。外れなら多分やってると思ったし。」
「あら、そんなに繁華街の方は一杯なんですか。」
 そう言って葉子は座ったサラリーマン達におしぼりを差し出す。するとサラリーマン達は首を横に振った。
「警察がわさわさいて、落ち着いて飲んでられないんですよ。」
「何か騒ぎでもあったのかな。」
 兄もそう言って追加の酒を注いでいた。
「クラブだったかな。ディスコだったか。そこに警察がわんさと入っていったよ。」
「薬だろうな。そういう所は取引されやすいから、イベントなんかがあるとマークされるし。」
 その言葉に響子の手が止まった。まさか一馬の行ったことが真実になったのかと思ったのだ。そしてその場には瑞希もいれば弥生もいる。そしてDJとして裕太の姿もあるのだ。
「あの……。」
 響子はカウンターに近づくと、そのサラリーマンに声をかけた。
「ん?」
「そのクラブってどこなのかわかりますか?」
 すると男達は首をかしげた。
「名前はわからないけど、南口の方だよ。結構大きなクラブだ。」
 その辺にクラブは何軒かあるが、大きいところは一つしか無い。そしてそこがイベントの会場だ。そう思うと、響子はサラリーマン達にお礼を言い、そして葉子にも礼を言うと店を出て行った。嫌な予感しかしない。そう思いながら、繁華街の方へ足を運んだ。
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