彷徨いたどり着いた先

神崎

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 出て行く信也を見て響子はいらつきを抑えきれなかった。ネルドリップに入っていたコーヒー豆のかすをゴミ箱に捨てて、舌打ちをする。その様子に圭太が声をかけた。響子は割とこう言うところがあるから。
「うちの兄さんが気に入らないのは良いけど、当たらないでくれよ。」
「わかってるわよ。でもセクハラギリギリのことを言われてヘラヘラ笑ってられないわ。」
 するとカウンターに座っていた女性が面白そうに笑いながら紅茶を飲む。
「あれくらいだったらうちの職場では日常よ。」
 この店から少し奥まったところには工場が建ち並んでいる。そこの事務員をしている女性だった。たまにこうして紅茶とケーキを一人で楽しんでいるのだ。工場には男の姿しかいない。だから職場では舐められないようにと男勝りに気を張っているらしい。だがここのケーキと紅茶を口にすると、女に戻れる気がすると言っていた。
「でも……。」
「本宮さんはちょっと潔癖ね。良くそんな感じで客商売していたわ。」
 女性はそう言ってまた紅茶に口を入れる。
「いつもは……そうですね。真二郎が隣にいたからでしょうか。」
 真二郎は嫌でも目に付く。それなのにセクハラまがいのことを響子に言うと、真二郎がすぐに対応してくれたのだ。その辺で守られていると思う。
「どちらにしてもあまりカッカするんじゃないよ。兄さんだし、ここに来るなとは言えないんだから。」
 その時、入り口のドアが開いた。そこには女性の姿が二人。圭太はそのままカウンターを離れると、そちらへ向かう。
「いらっしゃいませ。イートインでしょうか。」
「えぇ。二人。」
「こちらへどうぞ。」
 色気が歩いているような二人組だ。一人の方の口元にはほくろがあって、更に色気が漂ってくるように見える。だが圭太にも功太郎にもストライクからは離れていた。圭太は響子を忘れられていないし、功太郎には香がいる。唯一ストライクゾーンの広い真二郎だが、真二郎はさっきからイートインの客のためにパフェを盛り付けていたし、その片手間にケーキを焼いている。ホールをのぞき見るような余裕はないのだ。
「春のパフェがツー。」
 真二郎の声がして、響子はそのままキッチンへ行くとパフェをトレーに乗せてやってきた。そして用意して置いた紅茶とコーヒーを乗せると、功太郎に声をかける。
「パフェがツーとダージリン、ブレンドがワン。七番お願い。」
「はい。」
 功太郎はそう言うと伝票を確認して、その席へ持って行く。
「え……?」
 テーブルにパフェやコーヒーを置いて、伝票を置く。そして言葉に詰まった圭太の方を見た。そこには先ほど入ってきた女性達が何かを言っていた。
「評判が良いの。ここのケーキ。良かったらうちでティーパーティーをする際に、お世話をしてくれないかって思って。」
 口元のほくろがある美女は、初めて来る客だ。だが、もう一人の女性はここの常連の客で、去年の今頃にウェディングケーキを注文してくれた。娘の結婚式のためだと言うが、結婚するような娘がいるように見えない。圭太と同じくらいの歳に見えた。
「世話ってことは……パーティーか何かをするのに?」
「えぇ。ケーキと即興で作れるクレープとかそういったモノを作ってもらったり、コーヒーや紅茶を淹れてもらったりするの。うちの主人は、アルコールよりもコーヒーが好きなの。」
「あら。啓介さんってお酒を相当飲みそうなのに。」
「それは勝手な世間のイメージよ。本当は下戸なの。煙草は吸うけどね。」
 その言葉に圭太は首をかしげた。この女性の著名人なのだろうか。そしてふと思い出した。
「加藤啓介の?」
「えぇ。うちの主人。」
 と言うことはこの人の家に足繁く一馬が練習と言って通っているのだ。夏にあるライブのために。
「スタッフを呼んでパーティーをしたいの。主人の誕生日に。」
「うーん。ちょっとうちのスタッフとも話をしてお返事をしていいですか。日付はいつですか?」
 その会話を聞いていて、功太郎は面倒な話になりそうだとちらっと響子を見た。だが響子はその会話に気がつかないように、カウンター席にいる女性と何か話をしているようだった。

「すげぇ。芸能人だったんだな。あの女。」
 功太郎は驚いたように閉店後の店でモップを動かしながら圭太の話を聞いていた。
「あぁ。確か深夜枠だけどテレビとかに出てたこともある。」
「で、加藤啓介って誰?」
 すると圭太は呆れたように功太郎に言う。あまり芸能人とかそういったモノに疎いのはわかるが、ここまでとは思ってなかった。
「昔バンドを組んでて。その頃からちょっと悪いってイメージが強い男だよ。でも良い曲を作るんだよな。」
 響子はその会話を聞いて、首を横に振った。すると真二郎が表に出て響子に声をかける。
「加藤啓介の音楽って苦手?」
「媚びてるから。初期の……バンドの時は良かったわね。」
「響子らしいな。」
「でもまぁ……一馬が今度夏のライブのヘルプで出るらしいから、一馬は曲をずっと聴いているわ。」
「その一馬さんは今日ライブだっけ?」
「えぇ。」
 Mにある倉庫を改造したようなライブハウスで、女性歌手のバックを弾くらしい。シャンソンのようなジャズのような曲だと言っていた。こういう音楽はずっとやっていてのでお手の物かも知れない。
「見に行かないの?」
「行ったら終わっているわ。十九時からなのよ。」
 時計を見る。確かにもうライブが始まって大分経っている時間だ。
「今日は打ち上げかな。」
「かもしれないわね。食事はいらないって言っていたし。」
「だったら俺と飯に行かないか?」
 真二郎はそう聞くと、響子は首を横に振った。
「今日はちょっと里村さんの所へ行くわ。」
「里村さん?え?呼ばれているの?」
「いいえ。何か話があるとか。」
 特に信用もしていないが、信じれない相手ではない。深く話す必要も無いし、あちらも必要なこと以外は話さない。ただ、響子は里村をヤクザだとは気がついている。
 だから深く関わりたくなかった。
「どうしたのかな。あぁ、そうだ。里村さんの所へ行くんだったら持って行ってほしいものがあるんだ。」
「どうしたの?」
「焼き菓子の新製品に加えようと思ってたモノ。」
 真二郎はそう言ってキッチンに入ると、袋を一つ手にして戻ってきた。
「何人くらい子供がいるかな。」
「どれくらいだったかしら。まぁ、二十あれば足りるかと思うけど。でもそれが新製品?」
 響子は驚いてその袋を手にする。そこには小さいバームクーヘンをカットしたものがあった。フランス菓子が中心の真二郎の菓子にバームクーヘンというのが違和感を覚えたのだ。
「バームクーヘンなの?」
「正確にはミルフィーユだね。クレープ生地の水分を少し少なめにしている。だから消費期限が他の焼き菓子よりは短いんだ。」
「なるほどね。わかったわ。」
 響子がいればデザートがあると思っていた子供達には、言いお土産になったかも知れない。今日は何も用意していなかったので助かると思った。
「あー。響子ばっか。」
 功太郎がめざとくその焼き菓子に目を付けると、真二郎は少し笑って言う。
「売り物だよ。ただ、消費期限が微妙なヤツ。」
「俺にも。」
「子供かよ。」
 圭太はそう言って少し笑った。そして真二郎はその焼き菓子を一つ功太郎に手渡した。
「二つくれよ。」
「二つも食べる?」
 真二郎はそう言うとそのお菓子を二つ功太郎に手渡した。
「今日香が来るんだよ。」
「手を出すなよ。」
 圭太がそう言うと、功太郎は口を尖らせて言う。
「口を開けばそんなことばっか言うんだな。そんなことするわけ無いじゃん。」
「本当か?」
 疑いのまなざしで見ている圭太に、功太郎が焦ったように言う。
「弥生から頼まれたんだよ。二時間くらい預かってくれって。」
「また瑞希の所か?」
「うん。まぁ瑞希さんがどっかのクラブのイベントにバーテンで誘われたらしいから、ちょっと様子を見てくるって言ってたけど。」
 その言葉に真二郎は驚いてその菓子を落としそうになった。
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