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墓園と植物園
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繁華街に入り、その足でアパートへ向かう。そして響子が待つその部屋へ向かった。鍵を開けてドアを開けると、味噌の香りがした。部屋に入ると響子がダイニングテーブルについて、食事をしている。
「お帰り。もっと遅くなるかと思ったわ。」
「案外早く終わった。」
「食事はしていないんでしょう?食べるわよね?」
「あぁ。」
そう言って一馬はそのままベースを立てかける。そしてそのまま洗面所へ行くと手を洗い、うがいをしてまた部屋に戻ると自分の分の食事が用意されていた。鰺の南蛮とポテトサラダ。それに豚汁とわかめとたこの酢ものがある。
「美味しそうだ。」
「ご飯はどれくらいつごうか?」
「いつもくらいで良い。」
真二郎が住んでいたときは、響子と同じくらいの茶碗ですんだ。だが一馬はよく食べるので、もう一回り大きな茶碗を買い直したのだ。それにご飯をついで、食卓に並べる。響子はもう半分くらい食べているようだ。
「今日、Aの墓園へ行ったんだな。」
「あぁ。知ってたのよね。」
「栗山さんから聞いた。偶然会ったと言っていたか。」
「えぇ。月参りですって。」
一馬は椅子に座ると、響子も向かい合っている椅子に座った。豚汁を口に入れると優しい味がする。そして具材もゴロゴロいろんな野菜が入っている。里芋に箸を付けると、良く味が染みこんでいるようだ。
「俺も行ってみたいんだが。」
「お墓に?」
「お前をずっと大事にしていた人だろう。一度くらいは手を合わせたい。」
その言葉に響子は少し箸を止めた。戸惑っているのだろう。
「嫌か?」
「そうじゃないの。あの……。」
「どうした。」
「……ううん。何でも無いわ。」
すると一馬は少しため息をつくと、ぽつりと口を割る。
「俺には、身内にお祖母さんがいてな。」
「お祖母さん?」
「お祖父さんは結核で若い頃に無くなったらしい。それで女手一つで子供を五人も育て上げた。酒屋を切り盛りしていてな。」
「今のお店?」
「あぁ。女傑と言うんだろう。あぁいう人は。一人だし、酒屋だし、強くならないと屈強な男達に言い負かされる。」
この土地は昔、遊郭だったらしい。酔った男が女一人で切り盛りしている酒屋にやってくるというのは、今では考えられないほど大変だったのかもしれない。
「……そう……。」
「俺が拾ってきた子供だとわかっていても、気にすることは無かった。周りが反対していたけれど、両親もお祖母さんも余所のこという感じは無く分け隔て無く育ててくれたのは、そのおかげかもしれない。多分……お前のお祖父さんというのもそういう人だったんだろう。真二郎さんを見ればわかる。」
いろんなホテルや洋菓子店から鼻つまみ者として真二郎を扱っていたのに、お祖父さんは真二郎の実力だけを見て料理やケーキを任せていた。お祖母さんが作っていたものとは違うが、それに合わせたコーヒーもまたお祖父さんは試行錯誤していたと思う。それが響子にも脈々と受け継がれていた。
「そうね。優しい人だった。口数は少なかったけれど……。」
ぽつりぽつりと言ってくれるその一言が嬉しかった。そして時に考えさせられてくれたのだ。決して答えを言わないで、自分で考えるように仕向けてくれるお祖父さんが頼りになる存在だった。だから死んでもなお、お祖父さんのところに足を向けるのだ。聞いてくれないとわかっていても、自分の弱いところを全部聞いてくれているような気がするから。
「響子。」
「ん?」
また箸を手にして、今度は鰺に手をのばして言う。
「俺の前だけで良い。泣いて良いから。」
「……幻滅しないかしら。」
「しないとは言えない。強くあって欲しいと思うが、そんなに人間は強くなれないと思う。今日、少しわかった。」
牧野加奈子が意地になっていたのがわかる。三倉にも、そしてバンドのメンバーにも認められなければいけない。そして音楽で食べていきたいという強い意志が見えた。だが残念ながら意思や努力だけではどうにもならないこともある。
「何かあったの?」
「バンドのメンバーが一人イベントに出れなくなったんだ。」
「もう直前なのに?」
「事情があってという話をしていたが、まぁ……そうでは無いのはわかった。」
奥さんが倒れたという話になっていたようだが、真実は違うようだ。あの不破という男は、クラブのDJも兼任している。その時に声をかけられた人に、悪い道へ誘われたのだろう。それは薬だった。
即刻事務所から解雇され、当然イベントなんかに出れるわけが無い。
「代わりは見つかったの?やる音楽を聴けば、絶対キーボードは外せないわ。」
「牧野という女性が来た。」
「牧野って……。」
圭太のお見合いの相手だったはずだ。ピアニストをしながら、それで食べていけないのでクラブでホステスをしているらしい。
「会社の話では本当に人がいないから仕方なくという感じだ。だからバンドを組んでデビューをするにしても、女は入れないと言っていた。」
「……女性だから?」
「俺の噂もつきまとっているから。」
「あぁ。」
納得した。世間的には一馬はバンドのメンバーの女に手を出すろくでなしなのだから。そこに女が入れば嫌でも一馬の評判も悪くなるし、バンド全体の評判も悪くなるだろう。
「でもピアニストがキーボードを弾くなんて、全く違う音楽じゃ無い?大丈夫?」
「想像通りだ。本人はやる気があるが、手がついていっていない。多分、ギリギリまでアレンジを変えると思うが……。それで客が満足してくれるかというと不安だな。」
「ハードロックにこだわりすぎるんじゃ無いのかしら。」
「は?」
ポテトサラダを摘まみながら、響子は少し頷いた。
「元々あなたはジャズをしていた。栗山さんはアイドルでどちらかというと軽い音楽をしていた。だけど声の節回しなんかを聞けばそれとは違う気がする。詳しくはわからないけれど。牧野さんはクラシックだと言っていたわね。ジャンルはバラバラ。なのに無理にハードロックをする必要があるのかしら。」
「……考えても見なかったな。」
「いろんなジャンルの人が集まっているなら、その良さを出すような音楽にすれば良い。まぁ、音楽に対しては素人の意見だけどね。」
「お前にハードロックを聴かせたいと思っていたのに。」
その言葉に響子は少し笑う。可愛いところがあると思ったのだ。
「あなたが演奏するのはジャズでもロックでも良い。ほら、アイドルが出ているあのバックの音でも良いのよ。すぐ耳に付くわ。」
「そうか?ベースというのは一番目立たないと思っていたのだが。」
「そうでも無いわよ。存在感は薄いくせに、存在が無くなったらおかしな音楽になるじゃ無い。」
「そうだな。」
ハードロックはベースを強く利かせる。だから良いところを見せられると思っていたのだが、それでは無くても響子は満足するのだろう。
「あぁ……そう言えば栗山さんと言えば……。」
「どうした。」
「お墓が立派だったわ。あちらの家の墓石。」
「あぁ。栗山さんの家は有名な芸能一家だからだろう。その奥さんと言ったら、舞台女優だったらしいからな。」
「そうなの?」
「父親は演歌歌手だ。そのバックで弾いたこともあるな。」
オーラが違う人だった。銀鼠の着物を粋に着こなして、圧倒的な歌唱力に度肝を抜かれたのだ。ジャンル違いのジャズを歌っていたがその歌に必死に食らいつき、振り落とされないようにするのがやっとだったと思う。
「演歌ねぇ……。」
「その歌手が歌ったジャズも、本来のジャズじゃ無い。でもあれはあれで良い音楽だと思う。」
聞き手がどう思うか。それが一番重要なのだと思い知らされた出来事だった。
「お帰り。もっと遅くなるかと思ったわ。」
「案外早く終わった。」
「食事はしていないんでしょう?食べるわよね?」
「あぁ。」
そう言って一馬はそのままベースを立てかける。そしてそのまま洗面所へ行くと手を洗い、うがいをしてまた部屋に戻ると自分の分の食事が用意されていた。鰺の南蛮とポテトサラダ。それに豚汁とわかめとたこの酢ものがある。
「美味しそうだ。」
「ご飯はどれくらいつごうか?」
「いつもくらいで良い。」
真二郎が住んでいたときは、響子と同じくらいの茶碗ですんだ。だが一馬はよく食べるので、もう一回り大きな茶碗を買い直したのだ。それにご飯をついで、食卓に並べる。響子はもう半分くらい食べているようだ。
「今日、Aの墓園へ行ったんだな。」
「あぁ。知ってたのよね。」
「栗山さんから聞いた。偶然会ったと言っていたか。」
「えぇ。月参りですって。」
一馬は椅子に座ると、響子も向かい合っている椅子に座った。豚汁を口に入れると優しい味がする。そして具材もゴロゴロいろんな野菜が入っている。里芋に箸を付けると、良く味が染みこんでいるようだ。
「俺も行ってみたいんだが。」
「お墓に?」
「お前をずっと大事にしていた人だろう。一度くらいは手を合わせたい。」
その言葉に響子は少し箸を止めた。戸惑っているのだろう。
「嫌か?」
「そうじゃないの。あの……。」
「どうした。」
「……ううん。何でも無いわ。」
すると一馬は少しため息をつくと、ぽつりと口を割る。
「俺には、身内にお祖母さんがいてな。」
「お祖母さん?」
「お祖父さんは結核で若い頃に無くなったらしい。それで女手一つで子供を五人も育て上げた。酒屋を切り盛りしていてな。」
「今のお店?」
「あぁ。女傑と言うんだろう。あぁいう人は。一人だし、酒屋だし、強くならないと屈強な男達に言い負かされる。」
この土地は昔、遊郭だったらしい。酔った男が女一人で切り盛りしている酒屋にやってくるというのは、今では考えられないほど大変だったのかもしれない。
「……そう……。」
「俺が拾ってきた子供だとわかっていても、気にすることは無かった。周りが反対していたけれど、両親もお祖母さんも余所のこという感じは無く分け隔て無く育ててくれたのは、そのおかげかもしれない。多分……お前のお祖父さんというのもそういう人だったんだろう。真二郎さんを見ればわかる。」
いろんなホテルや洋菓子店から鼻つまみ者として真二郎を扱っていたのに、お祖父さんは真二郎の実力だけを見て料理やケーキを任せていた。お祖母さんが作っていたものとは違うが、それに合わせたコーヒーもまたお祖父さんは試行錯誤していたと思う。それが響子にも脈々と受け継がれていた。
「そうね。優しい人だった。口数は少なかったけれど……。」
ぽつりぽつりと言ってくれるその一言が嬉しかった。そして時に考えさせられてくれたのだ。決して答えを言わないで、自分で考えるように仕向けてくれるお祖父さんが頼りになる存在だった。だから死んでもなお、お祖父さんのところに足を向けるのだ。聞いてくれないとわかっていても、自分の弱いところを全部聞いてくれているような気がするから。
「響子。」
「ん?」
また箸を手にして、今度は鰺に手をのばして言う。
「俺の前だけで良い。泣いて良いから。」
「……幻滅しないかしら。」
「しないとは言えない。強くあって欲しいと思うが、そんなに人間は強くなれないと思う。今日、少しわかった。」
牧野加奈子が意地になっていたのがわかる。三倉にも、そしてバンドのメンバーにも認められなければいけない。そして音楽で食べていきたいという強い意志が見えた。だが残念ながら意思や努力だけではどうにもならないこともある。
「何かあったの?」
「バンドのメンバーが一人イベントに出れなくなったんだ。」
「もう直前なのに?」
「事情があってという話をしていたが、まぁ……そうでは無いのはわかった。」
奥さんが倒れたという話になっていたようだが、真実は違うようだ。あの不破という男は、クラブのDJも兼任している。その時に声をかけられた人に、悪い道へ誘われたのだろう。それは薬だった。
即刻事務所から解雇され、当然イベントなんかに出れるわけが無い。
「代わりは見つかったの?やる音楽を聴けば、絶対キーボードは外せないわ。」
「牧野という女性が来た。」
「牧野って……。」
圭太のお見合いの相手だったはずだ。ピアニストをしながら、それで食べていけないのでクラブでホステスをしているらしい。
「会社の話では本当に人がいないから仕方なくという感じだ。だからバンドを組んでデビューをするにしても、女は入れないと言っていた。」
「……女性だから?」
「俺の噂もつきまとっているから。」
「あぁ。」
納得した。世間的には一馬はバンドのメンバーの女に手を出すろくでなしなのだから。そこに女が入れば嫌でも一馬の評判も悪くなるし、バンド全体の評判も悪くなるだろう。
「でもピアニストがキーボードを弾くなんて、全く違う音楽じゃ無い?大丈夫?」
「想像通りだ。本人はやる気があるが、手がついていっていない。多分、ギリギリまでアレンジを変えると思うが……。それで客が満足してくれるかというと不安だな。」
「ハードロックにこだわりすぎるんじゃ無いのかしら。」
「は?」
ポテトサラダを摘まみながら、響子は少し頷いた。
「元々あなたはジャズをしていた。栗山さんはアイドルでどちらかというと軽い音楽をしていた。だけど声の節回しなんかを聞けばそれとは違う気がする。詳しくはわからないけれど。牧野さんはクラシックだと言っていたわね。ジャンルはバラバラ。なのに無理にハードロックをする必要があるのかしら。」
「……考えても見なかったな。」
「いろんなジャンルの人が集まっているなら、その良さを出すような音楽にすれば良い。まぁ、音楽に対しては素人の意見だけどね。」
「お前にハードロックを聴かせたいと思っていたのに。」
その言葉に響子は少し笑う。可愛いところがあると思ったのだ。
「あなたが演奏するのはジャズでもロックでも良い。ほら、アイドルが出ているあのバックの音でも良いのよ。すぐ耳に付くわ。」
「そうか?ベースというのは一番目立たないと思っていたのだが。」
「そうでも無いわよ。存在感は薄いくせに、存在が無くなったらおかしな音楽になるじゃ無い。」
「そうだな。」
ハードロックはベースを強く利かせる。だから良いところを見せられると思っていたのだが、それでは無くても響子は満足するのだろう。
「あぁ……そう言えば栗山さんと言えば……。」
「どうした。」
「お墓が立派だったわ。あちらの家の墓石。」
「あぁ。栗山さんの家は有名な芸能一家だからだろう。その奥さんと言ったら、舞台女優だったらしいからな。」
「そうなの?」
「父親は演歌歌手だ。そのバックで弾いたこともあるな。」
オーラが違う人だった。銀鼠の着物を粋に着こなして、圧倒的な歌唱力に度肝を抜かれたのだ。ジャンル違いのジャズを歌っていたがその歌に必死に食らいつき、振り落とされないようにするのがやっとだったと思う。
「演歌ねぇ……。」
「その歌手が歌ったジャズも、本来のジャズじゃ無い。でもあれはあれで良い音楽だと思う。」
聞き手がどう思うか。それが一番重要なのだと思い知らされた出来事だった。
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