彷徨いたどり着いた先

神崎

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カモフラージュ

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 カセットコンロを用意して、土鍋をセットする。その中に一馬の義理の兄からもらった日本酒を注ぎ、煮えにくいモノから材料を入れていく。沸騰すればアルコール分が逃げ、材料に日本酒のうまみだけが移るのだ。
「美味い。初めてしてみたけど、お手軽でこれは良いね。」
 真二郎もよく箸を延ばしていた。本当に美味しかったのだろう。
「あっちの方って日本食もあるだろ?恋しいとは思わなかったのか?」
 功太郎が一馬にそう聞くと、一馬は首を横に振る。
「別物だな。チェーン化されているどんぶり屋なんかも確かにあることはあるが、あっちの人の舌に合うように作られている。恋しいからと言って口にしたらえらい目に遭うな。最初の時にそう学んで、口にしなくなった。」
「そっか。まぁ、こっちの国でも北と南じゃ醤油の味すら違うしな。」
 響子はあまり席について食べていないようだ。あれやこれやとキッチンをずっと往復している。
「響子。落ち着いて食えよ。」
 圭太はそういって席に座らせようとする。だが響子は少しも落ち着いていない。
「すぐに無くなってしまうんだもの。男の人の食事ってこんなモノだったかしら。真二郎を基準にしていたから、甘く見たわね。」
「主に一馬さんだろ?」
 油揚げを摘まんで一馬は少し笑う。
「食えるということは生きているということだ。美味いと思えるモノは体に足りないからかもしれない。」
「へりくつ言いやがって。」
 やっと席に着いた響子は、その鍋に手を伸ばす。
「油揚げ美味しい。」
「だろう?」
 少し笑ってまた油揚げを口に運ぶ。
「それにしても日本酒だらけだな。酒も日本酒ばかりで。」
「あとでワインを飲もう。」
「良いねぇ。」
「功太郎。お前は飲むな。」
「何で?」
「酒が弱いからな。」
 すると一馬は少し笑って、またその鍋の具に手を伸ばす。
「あっちではレコーディングだけ?」
 圭太はそう聞くと、一馬は少し頷いた。
「あぁ。たまたま違うプロデューサーがレコーディングに参加してくれってことで、急遽入れたモノもあった。だから他のヤツよりも帰国が遅くなったんだが。」
「誰?」
「ジョージだ。」
 その名前に圭太は驚いて一馬をみる。ジャズ界では有名なドラマーだったからだ。ドラマーなのにその男が叩いて歌っているCDが、一時期飛ぶように売れていたのを覚えている。
「マジで?って言うか会ったのか?」
「あぁ。水川さんのつてでな。」
「有佐さんか。やりかねないな。」
「……。」
 そこで気になることを言われた。それを言うのは二人っきりになった方が良いと思っていたが、やはり今言うべきだろう。一馬は箸を置いて、響子に向かっていう。
「あちらの国へ来ないかという話が出た。」
「え?それは一時的にでは無く?」
「では無い。レコード会社を移籍しないかという話だ。」
 外国のレーベルに籍を置けば、嫌でも向こうの暮らしになる。一馬にとってはいいチャンスだろう。だが響子を置いていけるのだろうか。
「行きたいの?」
 響子はそう聞くと、一馬は首を横に振る。
「俺はそこまで自分が腕のあるベーシストだとは思わない。あちらの国へ行って嫌というほど痛感した。俺くらいのヤツはゴロゴロいる。」
「……保守的だね。」
 真二郎はそういうと、少し笑う。
「または自己評価が相当低いとも言えるな。」
 功太郎すらこの調子だ。それに一馬も頭を抱える。
「今のレコード会社は俺に行かせまいとして必死だ。今日も空港から迎えが来て、会社に戻ったらバンドを紹介してきた。バンドに入っておけば、抜けることは無いと思っているのだろう。だがそんな問題では無いのだが。」
「だろうな。その会社もあまり頭が良いって訳じゃ無いみたいだ。」
「真二郎。」
 圭太が真二郎を止める。だがここまで響子は何も言わない。
「余所の国ねぇ。俺も興味が無いことはないけど。」
 功太郎はそういって酒を口に入れる。
「君もそう思うの?」
 真二郎は意外そうに功太郎に聞く。功太郎が余所の国に興味があると思ってなかったからだ。
「コーヒーのことを知れば知るほどどういう所で育ってんのかとか、土地によってどんだけ違うかとか知りたくなるよ。」
「マニアだね。」
 響子をみると、響子の手が震えている。響子もそういう時期があったからだ。余所の国へ行ってもっと喫茶関係のことを知りたいと思っていた。だがそれは出来なかったのは、店があり、人が付いていたからだ。
「俺はあっちの国へ移籍することは無いと思う。」
 一馬はそういって酒に口を付ける。
「どうして?」
 響子はこの時初めて口を開いた。すると一馬は首を横に振っていう。
「まず飯がまずい。」
「え?」
「酒もまずい。俺にとってはやはり日本酒が一番のようだ。それにコーヒーもまずい。」
「え?」
 そんな理由で行きたくないというのだろうか。四人の頭にクエスチョンマークが浮かぶ。
「一時的に行くなら良いが、住むとなると難しいだろうな。それに移籍をするにしても、あっちの国には行きたくないというさ。」
「出来るの?」
 恐る恐る聞くと、一馬は少し笑って言う。
「こっちにも法人がある。移籍をするならそっちだろう。」
 その言葉に響子はほっとしたようにまた春菊に口を付けた。
「バンドをしないってのは少し惜しい気がするけどね。」
 真二郎はそういうと、一馬は首を横に振る。
「いくら信用をしていても裏切られる世界だ。だったら最初から信用はしない。」
「信用が出来るのは響子だけ?」
「音楽に限ってということだ。プライベートならもっと信用できるヤツはいる。例えばあんたとかもな。」
 一馬はそう真二郎にいうと、真二郎も少し笑う。
「響子。一晩、一馬さんを借りても良いかな。」
「駄目よ。何を言っているの?」
 その言葉に今度は一馬の頭にクエスチョンマークが浮かんだ。
「引っ越しが終わっていないのか?力仕事なら手伝えると思うが。」
「そうじゃ無いよ。忘れて。」
 やりにくい男だ。だからこそ、恐らく信也に気づかれないのだろう。だが信也がやろうとしていることを一馬が知ったとき、一馬はどうするだろう。
「本宮響子を落としにかかる。」
 信也からの連絡に、真二郎は少し震えた。もしかしたら響子をレイプするつもりなのだろうか。信也がもし響子をレイプするとしたら、それは二度目なのだ。信也も覚えていないのか。そして響子も覚えていないのかはわからない。
「一馬さん。明日から地方に飛ぶと言っていたけれど、それからは地方に飛ぶことは?」
 真二郎の問いに一馬は首をかしげて言う。
「あまり無いな。今は春のテレビの収録なんかもある時期だし。」
「……だったら出来るだけ、響子と一緒に帰ってくれるかな。」
「何かあったのか?」
「また強姦魔が出てるんだ。」
 その言葉に一馬は納得したように頷いた。
「わかった。連絡を入れる。K町まで来ればなんとかなるか?」
「そうね。あっちの人の方が帰って安全かも。」
 本来繁華街は危険な町だというイメージがある。だが一馬はそこで育ち、響子も住み始めてから時間が経った。顔見知りがいる町の方が安心できるのだ。
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