彷徨いたどり着いた先

神崎

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疾走

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 目の前のその朝食をペロッと食べて、涼しい顔でコーヒーに口を付けていた。有佐は背が高いのに高いヒールを履いているので、この国の人くらいでは無いと見上げることはそう無いのだが、一馬は見上げるほどある。だから背中に背負われているベースだって、普通の人が持てばかなり大きく感じるが一馬が持てばギターなのかと思われるくらいだ。
「昨日のレコーディングの音源は、やり直しだそうよ。」
「やはりそうでしたか。」
「そう思った?」
「もっとギターの音を主張した方が良いと思いました。それに伴ってサックスは押さえて欲しいと思うし。」
「ふふっ。あなたがプロデューサーみたいね。」
「……俺にはコレしか出来ないから。」
 隣の席の男が席を立った。その手の甲には、入れ墨のようなモノが見える。この国は入れ墨も普通なのだろう。一馬ほどの体格の持ち主だが、きちんとスーツを着ているところを見ると一般職なのだろう。
「あまり見ないのよ。」
 それを見ていた一馬に、有佐が注意するように声をかける。
「あぁ。入れ墨は珍しくないですけど、あぁ言う一般職の人も入れているモノなのかと思って。」
「そうね。あなたは入っていないの?」
「痛いのはいやですし、温泉にも入りたいので。」
「そうね。入れ墨お断りの所も多いから。でも響子は温泉に行きたがらないでしょう?」
「体の傷のことですか?」
「えぇ。」
 確かにあの傷跡や火傷の跡は目立つだろう。共同浴場なんかへ行けば、注目の的になるのは間違いない。
「……この国だったらそういう人が多いんですかね。」
「そうね。時間帯によっては女性の一人歩きはしない方が良いと言われている。すぐに連れ込まれてホームレスにレイプされるような所よ。それで泣き寝入りをする人も多い。それからそれがきっかけで妊娠しても、地域によっては堕胎を許さないところもある。当然堕胎しても保険なんか下りない。」
「厳しい国だな。みんな夢を持ってきているだろうに、実際はそんなモノなんですね。」
 響子がこの国に来るのは厳しいかもしれない。強く生きているように見えて、割ともろいところもあるからだ。
「あなたが守ってあげるとはいわないの?」
 すると一馬は首を横に振った。
「コレは付き合うときにも言ったことです。四六時中一緒に居ることなんか出来ない。俺にも彼女にもしたいことはある。それを曲げてまで響子と一緒に居るのは不可能です。だから響子にも少し強くなってもらわないと。」
「そうね。響子は少し被害者意識が強いところもあるから。その辺も乗り切ってもらわないといけないわ。」
 コーヒーを口にして、有佐は少し笑う。
「でも想像をすることはあるわ。こんな薄くて量だけのマシンで淹れたコーヒーよりも、響子が淹れるコーヒーが美味しい。もし、響子がこの辺でコーヒーショップを開いたら、人が溢れかえるかもしれないとね。美味しいモノは各国共通だから。」
 果たしてそうだろうか。一馬はそう思いながら、そのコーヒーを口に入れる。そしてレジカウンターの方を見ると、コーヒーだけを手にしていく客も多い。その土地のコーヒーの味というのがあり、それでみんな満足しているならそれでいいのでは無いかと思っていたのだ。
「そうですかね。」
 一馬はそう言うと、有佐は少し笑って言う。
「否定的ね。」
「受け入れられるかというと微妙だと思うから。」
「人ってね。美味しいモノを口にするとあとには戻れないの。あたしもそうよ。ここでコーヒーを飲んでいても、響子のコーヒーが恋しくなるわ。それは音楽も一緒でしょう?」
「音楽も?」
「えぇ。いい音を聴けば、元に戻れない。だから響子はあまりジャズが好きではないの。」
「……。」
「手軽に出来る音楽だから、素人が手を出しやすい音だと思う。だけどその分深い。その微妙な差がわかるから、響子はあまり素人音楽が好きじゃないのよ。」
「わがままだな。」
「そう言わないの。そういう人を恋人にしたんだから。」
 そう言って有佐は少し笑う。
「……さっき、メッセージをもらいました。圭太と食事へ行ってくると。」
「圭太って……オーナー?」
「えぇ。」
 少し戸惑っているように見えた。だがすぐに有佐は笑顔になって一馬に言う。
「別に気にすることかしら。」
「どうしてですか?」
「こうやってあなたもあたしと食事をしているじゃない。」
 そんな問題なのだろうか。確かに響子と圭太は別れたという。だがこの間まで付き合っていたのだ。響子は押しに弱いところもある。簡単に転ばないだろうかと、不安になるのだ。
「そんなに不安なら、あなたも響子もこの国に住めば良いのに。」
「俺も?」
「そう。プロデューサーはあなたを気に入っているわ。このあとに入っている歌手のベースも弾いてもらえないかと思っているみたい。」
 恐らくコレが本題だろう。だがこれ以上時間をとれない。この国にいる期間は決まっているのだから。まだアルバムの一曲もレコーディングが終わっていない状況で、次のレコーディングなんか出来ない。
「時間が合えばとだけ言っておいてください。」
「わかったわ。この国に居ることが出来るタイムリミットはいつだったかしら。」
 まだ時間がかかりそうだ。その分、不安は募っていく。

 半個室の店内で、雰囲気の良い店だった。料理も割烹のように、コース料理がメインで酒を頼むときはそれに追加になる。もちろん単品の料理もあるが、コースの方が安く付く。
 圭太と響子はそれぞれ松竹梅のコースのうち「梅」を頼んだ。それでも満足できる内容で、最後の葛餅は新鮮に感じる。
「中のあんこが甘すぎなくて豆の本来の味を感じたわ。和菓子って美味しかったわ。」
「……。」
「あぁ。オーナーは食べなかったわね。残念だわ。」
「嫌みか。」
「そう思うなら、チョコレートの一粒でも食べれると良いのに。」
 チョコレートの試食の時、アルコールが効いているからと言って一粒だけ摘まんでみたのだが、やはり気分が悪くなりそのままトイレへ向かった。それを香は不思議そうな顔をしてみていたのを思い出す。
「卵焼きの甘い物は平気なのに。」
「おかずだって言い聞かせて食べるんだよ。コレがカステラだとか言ったら無理だけど。」
「わがままねぇ。」
「わがままって……。」
「食わず嫌いって言うんでしょう?そう言うの。」
「うるさいな。送らないぞ。家まで。」
「送るつもりだったの?」
 驚いて響子は圭太の方を見る。すると圭太はポケットから鍵を取り出して、響子に見せた。
「別に電車は動いているけどな。でも……ほら、治安が良いところでもないから。」
「K町よりはましっぽく見えるけど。」
「バーカ。そういうところがやばいんだよ。特に日が変わると、外国人がよく出てくるし。」
「バイヤー?」
「そうだよ。」
 その言葉に響子は納得した。真二郎からメッセージが届いていて、この辺は気をつけてと言われたのだから。気をつけてというのは圭太に気をつけて欲しいと思って言ったのか、それとも治安のことを言われたのかはわからなかったが治安のことを言っていたのだろう。
 それだったら圭太に送ってもらった方がまだましだろう。
「だったら送ってくれる?」
「そのつもりだよ。」
 そういって圭太は立体の駐車場へ向かう。その背中を追うように、響子も付いていった。その二人の姿を見て、薄く微笑む人が居る。
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