彷徨いたどり着いた先

神崎

文字の大きさ
上 下
135 / 339
ベーシスト

134

しおりを挟む
 背中に背負っているのは夕べとは違うダブルベースではなく、エレキベースのようだ。黒いケースに入れているが、一馬が持っているとギターなのかもしれないと少し勘違いをする。
「花岡さん。よかったらベースそこにおいて置いて良いですよ。」
 エレキベースを背負ったままの一馬が気になったのだろう。圭太が入り口にあるいすを進めた。テイクアウトの客のために、用意しているモノでオーダーが詰まっていたりすると客はそこで待っているのだ。
「いいや。結構だ。それよりオーナー。このケーキは結構凝っているな。」
「ありがとうございます。うちのパティシエは、有名ホテルでも腕を振るったことがあって。」
「そうか。」
 パティシエなどには興味がない。あくまで興味はケーキやコーヒーなのだろう。圭太とはそこでもずれがある。
「ケーキを包んでもらおうか。今からスタジオへ行くから。」
「おみやげですか。」
「たまにはそういうサービスをしておいた方がいい。」
 スタジオミュージシャンだという。たまには有名な歌手なんか野良イブの後ろで弾くこともあるが、不安定な仕事だろう。だからこそ、こういう手土産などは必要かもしれない。
「どれになさいますか。今のおすすめは限定の桃のムースケーキですね。ミルク味のムースと桃のコンポートが爽やかな甘みで、外の暑さを忘れさせてくれますよ。」
「だったらそれを五つ包んでくれ。」
「かしこまりました。」
 あまり興味はなさそうだ。だがケーキ自体はとても凝っている。それで買うと言ったのだろう。
「なぁ。これってベースか?」
 功太郎が珍しそうに、一馬の背負っている楽器を指さした。すると一馬は、少し驚いたような顔を一瞬したがすぐに冷静を取り戻す。
「あぁ。エレキベースだ。」
「すげぇ、でかいな。初めて見た。」
 店員にしては口の効き方が良くない。だがよく見れば、高校生くらいだろう。今の時間だったらまだ高校はしている。だったら、この男は高校に行っていない子供だろう。そして中学校でも吹奏楽部や軽音部くらいはありそうなものだが、必ずしもあるとは限らない。そうなってくると、生の楽器に触れる機会はない。当然、こういう楽器が珍しいというのもうなづける。
「功太郎も夕べは来れば良かったのに。」
「冗談。俺、音楽にもあまり興味が無くてさ。しかもジャズだっけ。ますますわかんねぇ。」
 圭太との会話に、一馬は違和感を持った。夕べは夜にやるようなライブだった。当然酒も提供する。なので未成年は来れないようなライブだった。
「それに夜のK町だろ?また警察官から「もしもし」って言われるし。」
「そうだったな。お前、補導されかけたんだっけ。」
「俺、もう二十四だけど。」
 その言葉に思わず一馬はベースを落としかけた。そして改めて功太郎を見る。
「何?」
 それに気がついて功太郎は一馬に声をかけた。
「いや……。一つ違いだとは思わなかっただけだ。」
「え?あんた、二十五?」
 一馬はゆっくりうなづくと、功太郎は驚いて一馬を見上げる。
「老けてんな。」
「余計な世話だ。」
「どうせあんたも俺を高校生くらいだと思ってたんだろ。別に良いけど。」
 失礼なのはお互い様か。一馬はそう思っていた。そのときふっとコーヒーの匂いがして、カウンターの向こうを見る。すると響子がやっとブレンドのオーダーに取りかかって、コーヒー豆が入っている瓶の蓋を開けたのだ。
「……。」
「花岡さん。冷蔵庫まではどれくらいかかりますか。」
「一時間くらいだろう。」
「かしこまりました。それくらいで保冷剤を入れておきますね。今日はどこの音楽スタジオへ行くんですか。」
「S区のスタジオだ。あまり時間はかからない。」
「歌手の?」
「あぁ。何だったか……こう、男のアイドルがぴーちくぱーちく踊りながら歌ってるようなヤツ。」
「そんな仕事もしているんですね。」
「まぁ、仕事だからな。他にバイトをしなくても音楽だけで食っていけるんだ。それだけありがたい。」
 ふわっとコーヒーの良い香りがした。それはコーヒーを響子が淹れているもので、思わずそちらに目が行く。慣れているようにコーヒーを淹れていく。
 店内中にコーヒーの香りがするようだ。客によっては別メニューを考えていたのに、そのコーヒーの香りでコーヒーにしてしまう人もいる。それくらい影響力があるのだ。
「良い香りだ。」
「夕べもコーヒーラムを飲んでたみたいですけど、コーヒーが好きなんですか。」
「あぁ。」
 少し一馬は戸惑っていたが、すぐに口を開く。
「「flower children」にいたとき、メジャーデビューしてしばらくするとバンドのメンバーと衝突していたんだ。そのとき、みんなでコーヒーを飲みに行った。たぶん、トランペットのヤツは解散を言い出そうと思っていたんだと思う。だけど、あのコーヒーを飲んで、もうしばらくやろうという気になった。」
 都会の片隅にある小さな喫茶店だった。古かったが、それはそれで味だと思う。カウンターにいたのは白髪の老人だったと思う。
「……良いコーヒーに出会ったんですね。」
「あぁ。あれ以上のコーヒーにはまだ出会っていない。」
 コーヒーの抽出が終わり、響子はサーバーにたまっているコーヒーをコップに移し替えた。
「響子。それグランデサイズだろ?」
 功太郎はそう聞くと、響子は口に指を当てる。
「夕べ、お世話になったの。そのお礼。オーナー、差額は私が払うから。」
 圭太に響子はそういうと、圭太は少し笑って言う。
「良いよ。別に。俺も世話になってんじゃん。」
「世話?話をしただけじゃないか?」
 すると圭太は少し笑って言う。
「ジャズは俺の趣味で、響子はいつもついてくるって感じだった。けど、あなたがいたからハードロックの談義が出来たと夕べは嬉しそうで。」
「そうか。」
 その言葉に少し違和感を持った。だが一馬はそれ以上聞かない。何があっても別に気にしないのだ。
 コーヒーに蓋をして、響子はそれをカウンターにおく。そしてカウンターを出ると、バックヤードへ向かっていった。
 その間、一馬はコーヒーとケーキを受け取ると会計をする。そして品物を受け取ったとき、響子がCDを片手に、フロアに戻ってきた。
「一馬さん。これを。」
 そういって響子はそのCDを一馬に手渡す。すると一馬は少し笑っていった。
「そうだったな。夕べ約束をしていた。悪い。俺はCDを持ってきてなくて。」
「別にいつでも良いですよ。」
 すると一馬はケーキとコーヒーをおいて、ポケットから携帯電話を取り出した。
「今度、来るときは連絡をする。それか、「flipper」で渡しても良いし。」
「そうですね。私も急いでいるわけではないですし。あぁ、そうだった。来週のロックフェスのことなんですけど、チケットを譲ってもらえるとかで。」
「本当か?」
「連絡先を教えておきます。」
 響子も携帯電話を取り出して、お互いに連絡先を交換している。その姿を見て、圭太は少し複雑そうだった。そして何も知らない功太郎の心の中もまた嵐が拭き始めている。
 キッチンからその様子を見て、真二郎は少し笑っていた。好みのいい男が来たというのと、響子をまた利用することが出来るという嬉しさからだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

同僚くすぐりマッサージ

セナ
大衆娯楽
これは自分の実体験です

ねえ、私の本性を暴いてよ♡ オナニークラブで働く女子大生

花野りら
恋愛
オナニークラブとは、個室で男性客のオナニーを見てあげたり手コキする風俗店のひとつ。 女子大生がエッチなアルバイトをしているという背徳感! イケナイことをしている羞恥プレイからの過激なセックスシーンは必読♡

♡蜜壺に指を滑り込ませて蜜をクチュクチュ♡

x頭金x
大衆娯楽
♡ちょっとHなショートショート♡年末まで毎日5本投稿中!!

隣の席の女の子がエッチだったのでおっぱい揉んでみたら発情されました

ねんごろ
恋愛
隣の女の子がエッチすぎて、思わず授業中に胸を揉んでしまったら…… という、とんでもないお話を書きました。 ぜひ読んでください。

RUBBER LADY 屈辱の性奴隷調教

RUBBER LADY
ファンタジー
RUBBER LADYが活躍するストーリーの続編です

おもらしの想い出

吉野のりこ
大衆娯楽
高校生にもなって、おもらし、そんな想い出の連続です。

処理中です...