彷徨いたどり着いた先

神崎

文字の大きさ
上 下
87 / 339
チョコレート

86

しおりを挟む
 響子が風呂から上がると、真二郎はソファベッドを広げてその上に布団を敷いていた。少し前までは一緒に寝ていたこともあるが、それは真二郎に言わせると響子が寝ながら魘されていることがあるからだという。安心させるように手を握ってもはねのけられることもあったそうだが、真二郎の温もりだとわかると安心するらしい。
 寝ているのでわからないが、熟睡しているとは言い難いだろう。
「お風呂、あがったわよ。」
「うん。あぁ、響子。」
「何?」
「姉さんからメッセージが入っていたよ。失礼なことを言ったって。」
 真二郎は結んでいる髪を解くと、癖毛がふわっと広がる。それはタンポポのようだと桜子が言い、だからこそ家を継げないと呆れて居るように思えた。しかし持って生まれたモノをどう変えても変わらないものもある。
「功太郎に謝った方が良いわね。殴られたのは功太郎なんだし。」
「口が悪すぎるよ。ホールにはやっぱり向いてないな。」
「そうかしら。おばさまたちには評判がいいのよ。」
「女性客ばかりだからね。」
 そう言って真二郎はベッドルームへ向かう。こちらに真二郎の着替えも響子の着替えも入った備え付けのクローゼットがあるのだ。電気をつけてそこを開ける。すると違和感があった。響子の服が減って、そその横には旅行の時に使うボストンバッグが置いてある。下着や部屋着を手にしてリビングに戻ってくると、響子はキッチンで何か飲み物を淹れているようだった。
「どこかに旅行に行くの?」
 休みの時に、ふらっとどこかへ行くことがある。だがそんなに連続した休みはないので、日帰りくらいしかできない。あのバッグを取り出すのは珍しいと思ったのだ。
「あぁ、着替えとかちょっとした身の回りのものを運ぼうと思って。」
「どこに?」
「オーナーのところ。」
 それは同棲するということだろうか。ここを離れるということだろうか。焦って真二郎は響子に聞く。
「ここを出るの?」
「出ないけどあっちに泊まることもあるし、不便だから。」
 コップの中でスプーンを動かす。何か温まるものを淹れたらしい。その表情は、少し覚悟を決めたような感じがした。
「待ってよ。そんな同棲みたいなコトを……。」
「別に不自然じゃないわ。確かに付き合った期間は短いかもしれない。だけど……あなたのこともあるし。」
「それは俺が男だから?」
「……。」
「この間のことをオーナーに話したの?」
 すると響子はコップを手にして、キッチンを出ると真二郎に向かい合った。
「話したわ。男と女だから、そういうことがないとは言えない。だけどオーナーはとても不安なのよ。」
「オーナーじゃ、君のことを受け止められないよ。」
「どうして?」
「だって……。」
「ずっとあなたに頼っていた私も悪いわ。頼る人は別にいるのに、あなたにばかり頼ってて。」
 布団の敷いているソファベッドに腰掛けると、響子はその飲み物を口に入れる。レモネードは甘酸っぱくて、体が温まる。ゆっくり眠りたいと思っていたのだ。
「前にも言ったよね。無自覚に人を傷つける人もいる。オーナーはその典型的なタイプだ。自分のことが正義だと信じてる。」
「そんなにエゴイストかしら。」
「そうじゃなきゃ……。」
「あなたの方がエゴイストじゃない?」
 その言葉に真二郎は言葉を詰まらせた。
「あなたではなければ、私を受け入れない。お祖父さんが死んで自分しかいない。そう思っているのかしら。」
「そうじゃないか。」
「千鶴だって私のことを知ってたわ。多分、ネットの噂か何かで知ったのかもしれないから半分は信じていなかった。だけど、そのことを口にすることもなかったわね。」
「……。」
「オーナーに、全部を告げたわ。でもオーナーはそれがどうしたって感じだった。変に同情されるよりも嬉しいことだわ。」
「……。」
「腫れ物にさわるように、傷つけないように、優しく慰めてくれるのは嬉しいわ。でも私にとってそれは何も解決しないのよ。」
「俺がしてたことを、全否定するんだ。」
「そうじゃない。」
 真二郎は着替えを持ったままそのソファベッドの隣に座る。その目は怒りなのか、あきらめなのか、それとも悲しみなのかわからない。思わず響子はその目から逃れるように目を伏せた。
「……君のような人をオーナーはきっと受け入れられないよ。定期的に病院へ行ったり、眠るときに魘されていたりしてる。あれから十四年もたっているのに、まだこのざまだ。それをオーナーが解決はしてくれないだろう。」
「あなたと居ても解決は出来なかったじゃない。」
 すると真二郎は、首を横に振る。
「俺では解決できなかったかもしれないけれど、俺がしてあげられることはある。側にいることも出来るんだ。それで押さえられている。仕事でも、プライベートでも一緒になれると思うよ。」
 カップを手にしている響子の手を握った。しかしその手を響子は振り払う。
「あなたじゃないの。私は……。」
 同情なんかして欲しくない。ただ、圭太のように自然にして欲しいと願うだけ。
「オーナーは、まだ忘れられていないのに?」
「え……。」
「恋人と住んでいたところをまだ離れないというのは、結局、その恋人を忘れられていないんだ。」
「……。」
「功太郎を雇っているのも、そのためかもしれないな。それはすなわち……。」
「学のない功太郎を雇うことで、真子さんへの謝罪をしようと?」
「弁護士を紹介したり、家に住まわせたり、生活必需品の面倒をみたりしている。普通そこまでしないよ。」
「……。」
 全部真子の為なのだろうか。そう思うと、響子の手が震える。結局、何も忘れていないのだ。そう思えてくると響子の目から涙がこぼれる。
「響子。一緒に住むのは考え直して。もう少し俺の側にいて欲しい。」
「あなたとは恋人なんかになれない。そんな気持ちはないもの。」
「無くても良いよ。俺が側にいたい。」
 そう言って真二郎はその頬に手を伸ばして、涙を拭った。そして響子をのぞき見る。だがその目は真二郎を見ていなかった。
「抱きしめていい?」
「だめ。」
 手を伸ばして、響子はその体を拒否する。圭太とは違うその細い体は、すっかり馴染んでいるようだった。だがこの温もりではない。
「今日は、一緒に寝ようか。薬も切れているんだったら、きっと今日も魘されるよ。」
「何もしないで。」
「わかってる。お風呂に入ってくるから、ちょっと待ってて。」
 そう言って真二郎は席を立つ。せっかく布団を敷いたが、今日は使いそうにない。そのソファベッドの上で、響子はまだ呆然としていたように思えるが、やっとそのレモネードのはいったカップを手にしていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活

XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。

〈社会人百合〉アキとハル

みなはらつかさ
恋愛
 女の子拾いました――。  ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?  主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。  しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……? 絵:Novel AI

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

夜の声

神崎
恋愛
r15にしてありますが、濡れ場のシーンはわずかにあります。 読まなくても物語はわかるので、あるところはタイトルの数字を#で囲んでます。 小さな喫茶店でアルバイトをしている高校生の「桜」は、ある日、喫茶店の店主「葵」より、彼の友人である「柊」を紹介される。 柊の声は彼女が聴いている夜の声によく似ていた。 そこから彼女は柊に急速に惹かれていく。しかし彼は彼女に決して語らない事があった。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...