彷徨いたどり着いた先

神崎

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イブ

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 サラリーマン風のベージュのトレンチコートを着た中年の男が、圭太からケーキを受け取る。
「良かった。ここがまだ開いていて。」
「最後の一つですよ。良かったですね。」
 圭太はそういってキャラメル味のブッシュ・ド・ノエルを箱に入れて、男に手渡す。
「良いクリスマスを。」
 圭太はそういって男を送り出した。どうやらインターネットで別の店のケーキを予約していたようだが、その予約もうまくいっていなかったらしく、ケーキが用意できなかったのだ。家には子供が居て、ケーキがなければすねてしまうし、奥さんも機嫌が悪くなるだろうと冷や冷やしていたようだ。
 冷や冷やしているのは圭太も一緒だった。まだ功太郎が帰ってきていないのだから。
「まだ帰ってこない?」
 響子はカウンターでコーヒー豆の仕訳をしている。明日も仕事なのだから、今日が殺人的に忙しくても仕込みに余念がない。
「遅いなぁ。そんなに時間がかかるとは思えないけどな。車で行けば確かに今日は渋滞してると思うけど。」
 するとキッチンから真二郎がやってきて、冷めた口調で言う。
「逃げたんじゃないの?」
「そんな子じゃないわ。」
 間髪入れずに響子が言うと、圭太は少し笑って言う。
「逃げるなら今日みたいな日に逃げねぇよ。もっと早い時点で逃げ出している。」
 「ヒジカタカフェ」にいたときもそうだった。コーヒーを運ぶだけの仕事だと思っていたフロアの仕事だって、それだけではないことを働いてみてやっと気がついて辞めると言い出す。それは案外早い時期に言い出されることが多い。功太郎も辞めるなら、もう少し早い時期に言い出すと圭太は思っていたのだ。
「響子はなんか、あれだね。」
 ケーキを入れているショーケースに近づいて、トレーを取り出した真二郎が響子に言う。
「何?」
「贔屓しているように見える。そんなに可愛いかな。あいつ。」
 それは真二郎が嫉妬しているように見えた。嫉妬するんならこっちだろうと圭太は思っていたが、功太郎には後ろめたさもあるのだ。知らず知らずに遠慮していたのかもしれない。
「バカなことを言わないで。」
 響子はそういって豆をはじき出す。まだ二人の喧嘩は収まっていないのだ。
 そのとき店内に入るドアが開いて、コックコート一枚の功太郎が入ってきた。その様子に圭太は少し笑いながら、脇に置いていた功太郎の上着を手にしてそれを功太郎にかける。
「お疲れさん。」
「今日は迷惑かけて悪かった。」
「客は怒ってたか?」
「いいや……別に……。来年もここでケーキを買うって言ってくれたし、コーヒーを淹れてくれた。」
 インスタントっぽいコーヒーだったが温かくて、心まで温かくしてくれるようだった。
「客から連絡がきたよ。すげぇ薄着だったから、大丈夫かって。」
「平気だよ。」
 もっと寒い時期に、裸でベランダに出されたこともある。それに比べれば、どうってことはない。それに駅からは走ってきたのだ。そのせいで息は切れているが。
「功太郎。今日は、良いお客さんだったから良いかもしれない。だけど、もっと怒るお客さんだっている。今日は運が良かったって思った方が良い。二度としないで。こんなこと。」
 真二郎にしては厳しい言葉だ。その言葉に圭太は肩をすくませた。そのとき、響子がカップを手にしてカウンターを出てきた。
「飲みなさいな。」
 そういって功太郎にカップを手渡す。そこには湯気の立ったココアが注がれている。
「え?」
「まだ片づけもあるのよ。コレで仕事が終わったなんて思わないで。それに、風邪なんかひかれたら困るのはこっちよ。ゆっくり飲んで温まってから仕事して。」
「うん……。」
「暗い顔をしないの。ミスなんか誰だってするわ。ねぇ?真二郎。」
 カウンターの向こうの真二郎にそういうと、真二郎も少し笑った。
「お前、いつも完璧みたいな顔をしてんのに、ミスなんかしたことがあるのか?」
「あるよ。俺だって人間だから。オーナーはないの?」
「あるに決まってんだろ。俺だって最初から何でもできた訳じゃないし。」
 ミスをすればそれから気をつける。そうやって一つ一つ成長するのだ。
「功太郎はそれ飲んだら、キッチンを手伝えよ。明日の予約も入ってんだから。」
 本来クリスマスはイブが本番ではない。明日の方が重要なのだ。だが明日の予約の方が格段に数はない。今日は家に帰れるだろう。
「わかった。」
 ココアが温かい。それに濃厚で、空きっ腹によくしみる。だが三人はもっと大変なはずだ。なのに普段通りの仕事をしている。慣れているとは言え、体力もハンパないのだろう。
 工場で流れ作業ばかりしていた功太郎には、まだその力はない。

 生地を混ぜながら、功太郎を見ていた。熱心にチョコレートを溶かしながらそれに生クリームを加えている。手つきは悪くない。おそらく器用な方なのだろう。それもまた少し腹が立つ。
「クリスマスっていつもこんなに忙しいのか?」
 功太郎はそう真二郎に聞くと、真二郎は少し笑って言う。
「そうだね。響子の店にいたときは、テイクアウトのケーキはホールで売ることがなかったからここまで忙しくはなかったけれど、その前の洋菓子店も、ホテルもなかなかの忙しさだったな。寝ないでケーキを作ってた。今日は少しでも寝れたから良かったよ。」
「でも今日、あんた仕事にこれから行くんだろ?」
「ウリセンのね。さすがにロングは厳しいけど、毎年予約してくれる人もいるから。」
「……わかんねぇな。」
 火を止めて、溶けたチョコレートをはずす。そしてその中に用意しておいた洋酒を少しずつ加えてまた混ぜていく。
「何が?」
「響子がいるのに、何で男を相手にするのかなぁって。バイセクシャルって確かにいるけどさ。あんたがそんなことをしてたら、響子だって嫌だろ?」
「他の男と寝るってこと?仕事だからね。響子は別に何とも思ってないよ。」
「でもさぁ。仕事で風俗している女だっているし、AVしてるから他の男と寝る女もいるけどさ。それを恋人にするのって、ちょっと複雑じゃないか?」
「恋人?」
 どうも誤解をしているな。真二郎はそう思いながら、生地を混ぜる手を止めて功太郎が仕上げたそのチョコレートの入ったボウルを受け取る。
「……あぁ、それから夕べ……俺さ……寝ぼけてて……。」
 それが一番言いにくいことだったかもしれない。真二郎は手を止めずにそのチョコレートを生地に混ぜ込んでいく。
「気づいてたよ。俺、枕が変わると寝付きが悪くてさ。」
「……悪かったと思ってる。」
「……あのさ……。」
 謝る相手が違う。そう思って口にしようとしたとき、圭太がキッチンに入ってきた。
「おい、二人とも。コレ見ろよ。」
 そういって圭太は手に持っている寿司桶の中身を見せる。そこには色とりどりのにぎり寿司が行儀良く並んでいた。
「どうしたの?コレ。」
「うちの義理の姉が持ってきてくれたんだよ。あとでみんなで食おう。」
「豪勢だね。中トロもあるじゃん。」
「奮発したよな。小百合さんも。まーあっちにはケーキ二つも買ってもらってるから、ちょっと割り引いたし。」
 そういって圭太はまたその寿司桶を手にして、表に出て行った。
 功太郎が謝るのはこっちだというのに、功太郎はまだ誤解をしたままだった。
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