37 / 42
死 を 選ぶ
しおりを挟む
成はそのまま私の家に送ってくれた。すでに日付が変わっている時間で、寒さはピークに達していたように感じる。
「ありがとう。」
「うん。じゃあ、また。」
普段ならなりに「家でお茶でも」なんて言って上がらせるのだろうが、今はそんな気になれないし、そんな仲でもなくなったのだ。
車を降りて、玄関をみる。そこには人影があった。背の高い男の影。
「伊勢さん…。」
すると彼は私に近づいて、両手でぽんと私の顔を挟むように叩いた。
「心配したんだぞ。電話も繋がらないし。」
「電池が切れていたんです。ごめんなさい。」
すると彼の視線が私の後ろに向かう。
「…君は…。」
車のドアが閉まる音がした。まだ成は帰っていなかったのだ。
「成…。」
「どうして君が依さんを送ってきたんだ。」
成は薄く笑っていた。私にはそう見える。そのまま私たちの方に近づいてきた。
「お言葉だね。依は繁華街で危ない目に遭っていたんだ。たまたま僕が通りかかって送ってあげたんだ。感謝されることはあっても、そんなに攻められることはないと思うけど。」
「…。」
伊勢さんがこちらを見ている。しかし何でそんなところにいたのかなど、彼は聞くことはなかった。
「そうか。だったら世話になったと、礼だけは言っておこう。」
「あんたが両親のことで手一杯になってたから、依も手伝ってあげようと思ってたのにな。」
「成。そのことは…。」
成の次の言葉を止めようとした。しかし先に伊勢さんが私に問いかける。
「依さん。君は、今日病院に?」
「…えぇ。」
「母との会話を聞いていたのか。」
「…ごめんなさい。」
彼は少しため息をついた。そして私を家にはいるように促した。
「君は中に入っていて。明日は休みだろう。少し話もしたい。」
「伊勢さんは?」
「少し成君と話がある。」
そんな横顔を見たことがない。いつもの伊勢さんじゃない。私に向けられていたあの優しい顔はなかった。
スーツを脱ぐこともなく、私はずっとその部屋の中にいた。寒い部屋の中で、伊勢さんが入ってくるのを待っている。
安っぽい女。その上私の周りには、「死ぬ」人が多いそんな女。
私はあのとき、繁華街で男を漁りに行ったわけじゃない。だったら何だ。私は、あのとききっと「死に場所」を探しに行ったのだと思う。そして、ここでも「死ぬ」ことは許されるのだ。
私はここで父と母が死んだのを見送った。私もそれについて行ってもいいのではないか。
立ち上がると、私は台所へ向かう。そこの引き出しには母が使っていたよく手入れされた包丁があった。
切れ味のいい包丁で自分でも研ぐけれど、年に数回金物屋さんで研いでもらうのだ。もうすぐ研ぎに出す時期ではあるけれど、まだ切れ味が悪いわけではない。
きらりと刃物特有の光をたたえた包丁。私はそれを握る手に力が入る。
「何をしている!」
その包丁を持つ手を叩かれる。衝撃で私はその包丁を離し、床に落としてしまった。
「死なせて…。」
すると彼は私を自分の正面に向かせる。そのときやっと伊勢さんの表情を見ることができた。それは絶望しているような悲しいような、そんな表情だった。
幻滅してしまったのかもしれない。こんな弱い女で。
「死ぬことなど許されるわけがないだろう。少なくともワタシが許さない。」
「…。」
「君にできるのは、君の周りで死んだ人のために生きることではないのか。」
「…。」
枯れていた涙が止めどなく溢れてくる。
「ワタシは何があっても君を守る。それはずっと言っていただろう。」
「…えぇ…でも誰も私たちのことを祝福はしてくれないですね。」
「母の言っていることを気にしているのか。」
正直、その通りだった。でもお母さんが言っていることはすべて正しいのだ。伊勢さんは私に現実を見せないようにし向けているのかもしれない。だけど、それが現実。
「母は父があのような状況になったのを君のせいだと思いこんでいる。確かにそれは事実だ。しかしどうして君のせいだと思っているのかわかっているのか。」
確かに不自然だ。どうして数度しか会ったことのない私の両親の事件を追っていたと言うだけで、私を責めているのだろう。
「父は、ワタシにこれを残したかったと言っていた。君には見る権利があるだろう。」
そう言って伊勢さんは私に一通の封書を手渡した。
「…これは…。」
それは両親を殺した犯人である「戸口三郎」に宛てられた手紙だった。差出人の名前は書いていない。
封書の中には、綺麗な文字が並んでいたようだった。手書きの用だったが、海に落ちていたのでほとんど読めなかった。かすかにわかる文字は日付くらいだった。
「この日…。」
それは私の両親が殺された日だった。
「どうやら、戸口に指示を出していた人間は、ワタシの両親たちが移住した土地でこの手紙を書いていたらしい。確かに戸口は同じ文面の封書を持っていた。しかしそれは機械で書かれたものだった。」
「…これは手書きですね。」
「下書きということになる。だが、海に濡れてこの手紙は効力がないだろう。」
「でも…。」
私はこの文字をどこかで見たことがある。昔ではない。つい最近のことだ。どこで見たのだろう。わからない。
「ありがとう。」
「うん。じゃあ、また。」
普段ならなりに「家でお茶でも」なんて言って上がらせるのだろうが、今はそんな気になれないし、そんな仲でもなくなったのだ。
車を降りて、玄関をみる。そこには人影があった。背の高い男の影。
「伊勢さん…。」
すると彼は私に近づいて、両手でぽんと私の顔を挟むように叩いた。
「心配したんだぞ。電話も繋がらないし。」
「電池が切れていたんです。ごめんなさい。」
すると彼の視線が私の後ろに向かう。
「…君は…。」
車のドアが閉まる音がした。まだ成は帰っていなかったのだ。
「成…。」
「どうして君が依さんを送ってきたんだ。」
成は薄く笑っていた。私にはそう見える。そのまま私たちの方に近づいてきた。
「お言葉だね。依は繁華街で危ない目に遭っていたんだ。たまたま僕が通りかかって送ってあげたんだ。感謝されることはあっても、そんなに攻められることはないと思うけど。」
「…。」
伊勢さんがこちらを見ている。しかし何でそんなところにいたのかなど、彼は聞くことはなかった。
「そうか。だったら世話になったと、礼だけは言っておこう。」
「あんたが両親のことで手一杯になってたから、依も手伝ってあげようと思ってたのにな。」
「成。そのことは…。」
成の次の言葉を止めようとした。しかし先に伊勢さんが私に問いかける。
「依さん。君は、今日病院に?」
「…えぇ。」
「母との会話を聞いていたのか。」
「…ごめんなさい。」
彼は少しため息をついた。そして私を家にはいるように促した。
「君は中に入っていて。明日は休みだろう。少し話もしたい。」
「伊勢さんは?」
「少し成君と話がある。」
そんな横顔を見たことがない。いつもの伊勢さんじゃない。私に向けられていたあの優しい顔はなかった。
スーツを脱ぐこともなく、私はずっとその部屋の中にいた。寒い部屋の中で、伊勢さんが入ってくるのを待っている。
安っぽい女。その上私の周りには、「死ぬ」人が多いそんな女。
私はあのとき、繁華街で男を漁りに行ったわけじゃない。だったら何だ。私は、あのとききっと「死に場所」を探しに行ったのだと思う。そして、ここでも「死ぬ」ことは許されるのだ。
私はここで父と母が死んだのを見送った。私もそれについて行ってもいいのではないか。
立ち上がると、私は台所へ向かう。そこの引き出しには母が使っていたよく手入れされた包丁があった。
切れ味のいい包丁で自分でも研ぐけれど、年に数回金物屋さんで研いでもらうのだ。もうすぐ研ぎに出す時期ではあるけれど、まだ切れ味が悪いわけではない。
きらりと刃物特有の光をたたえた包丁。私はそれを握る手に力が入る。
「何をしている!」
その包丁を持つ手を叩かれる。衝撃で私はその包丁を離し、床に落としてしまった。
「死なせて…。」
すると彼は私を自分の正面に向かせる。そのときやっと伊勢さんの表情を見ることができた。それは絶望しているような悲しいような、そんな表情だった。
幻滅してしまったのかもしれない。こんな弱い女で。
「死ぬことなど許されるわけがないだろう。少なくともワタシが許さない。」
「…。」
「君にできるのは、君の周りで死んだ人のために生きることではないのか。」
「…。」
枯れていた涙が止めどなく溢れてくる。
「ワタシは何があっても君を守る。それはずっと言っていただろう。」
「…えぇ…でも誰も私たちのことを祝福はしてくれないですね。」
「母の言っていることを気にしているのか。」
正直、その通りだった。でもお母さんが言っていることはすべて正しいのだ。伊勢さんは私に現実を見せないようにし向けているのかもしれない。だけど、それが現実。
「母は父があのような状況になったのを君のせいだと思いこんでいる。確かにそれは事実だ。しかしどうして君のせいだと思っているのかわかっているのか。」
確かに不自然だ。どうして数度しか会ったことのない私の両親の事件を追っていたと言うだけで、私を責めているのだろう。
「父は、ワタシにこれを残したかったと言っていた。君には見る権利があるだろう。」
そう言って伊勢さんは私に一通の封書を手渡した。
「…これは…。」
それは両親を殺した犯人である「戸口三郎」に宛てられた手紙だった。差出人の名前は書いていない。
封書の中には、綺麗な文字が並んでいたようだった。手書きの用だったが、海に落ちていたのでほとんど読めなかった。かすかにわかる文字は日付くらいだった。
「この日…。」
それは私の両親が殺された日だった。
「どうやら、戸口に指示を出していた人間は、ワタシの両親たちが移住した土地でこの手紙を書いていたらしい。確かに戸口は同じ文面の封書を持っていた。しかしそれは機械で書かれたものだった。」
「…これは手書きですね。」
「下書きということになる。だが、海に濡れてこの手紙は効力がないだろう。」
「でも…。」
私はこの文字をどこかで見たことがある。昔ではない。つい最近のことだ。どこで見たのだろう。わからない。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
別れてくれない夫は、私を愛していない
abang
恋愛
「私と別れて下さい」
「嫌だ、君と別れる気はない」
誕生パーティー、結婚記念日、大切な約束の日まで……
彼の大切な幼馴染の「セレン」はいつも彼を連れ去ってしまう。
「ごめん、セレンが怪我をしたらしい」
「セレンが熱が出たと……」
そんなに大切ならば、彼女を妻にすれば良かったのでは?
ふと過ぎったその考えに私の妻としての限界に気付いた。
その日から始まる、私を愛さない夫と愛してるからこそ限界な妻の離婚攻防戦。
「あなた、お願いだから別れて頂戴」
「絶対に、別れない」
あの日、さようならと言って微笑んだ彼女を僕は一生忘れることはないだろう
まるまる⭐️
恋愛
僕に向かって微笑みながら「さようなら」と告げた彼女は、そのままゆっくりと自身の体重を後ろへと移動し、バルコニーから落ちていった‥
*****
僕と彼女は幼い頃からの婚約者だった。
僕は彼女がずっと、僕を支えるために努力してくれていたのを知っていたのに‥
【完結】婚約者の義妹と恋に落ちたので婚約破棄した処、「妃教育の修了」を条件に結婚が許されたが結果が芳しくない。何故だ?同じ高位貴族だろう?
つくも茄子
恋愛
国王唯一の王子エドワード。
彼は婚約者の公爵令嬢であるキャサリンを公の場所で婚約破棄を宣言した。
次の婚約者は恋人であるアリス。
アリスはキャサリンの義妹。
愛するアリスと結婚するには「妃教育を修了させること」だった。
同じ高位貴族。
少し頑張ればアリスは直ぐに妃教育を終了させると踏んでいたが散々な結果で終わる。
八番目の教育係も辞めていく。
王妃腹でないエドワードは立太子が遠のく事に困ってしまう。
だが、エドワードは知らなかった事がある。
彼が事実を知るのは何時になるのか……それは誰も知らない。
他サイトにも公開中。
懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。
梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。
あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。
その時までは。
どうか、幸せになってね。
愛しい人。
さようなら。
「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。
木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。
因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。
そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。
彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。
晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。
それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。
幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。
二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。
カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。
こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。
私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです
こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。
まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。
幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。
「子供が欲しいの」
「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」
それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。
立派な王太子妃~妃の幸せは誰が考えるのか~
矢野りと
恋愛
ある日王太子妃は夫である王太子の不貞の現場を目撃してしまう。愛している夫の裏切りに傷つきながらも、やり直したいと周りに助言を求めるが‥‥。
隠れて不貞を続ける夫を見続けていくうちに壊れていく妻。
周りが気づいた時は何もかも手遅れだった…。
※設定はゆるいです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる