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詮索者 と 仮宿
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その日のサイン会は話題に事欠かないモノだった。
まずは「東雲」が「中村桐」であること。それから中村桐には犯罪者で薬漬けの母親がいること。その母親にネグレクトを受けていたこと。
それでも桐は平然としているように見えた。その理由は引っ越しにあると思う。引っ越しをすれば、彼の居所をマスコミが聞き回ることもない。
いなくなったアパートの周りをマスコミたちがかぎ回り、どこに引っ越したかなどを聞き回っているようにみえる。しかし隣の部屋の者にも繋がりがなかった桐だ。そんなことを知る人はいない。
その居所を唯一知っているのは、東雲の担当をしている私をはじめ他の担当者のみに限られた。もちろん、他部署の人たちがその場所をかぎ回ろうとしているのも知っている。その中の一人がいつも私をマークしているようだ。
「佐藤さん。」
デスクに戻ればいつも声をかけてくる。
「何ですか。内藤さん。」
内藤敬子。週刊誌の担当編集者。仕事の出来る人で、何度もスクープ記事を取ってきていては、表彰をされているのを見たことがある。
「今日は東雲先生のところへは行かないの?」
「今日は行きませんよ。他の作家のところへは行きますが。」
必要以上に赤い口紅。たぶん「いつでも付けたての艶めきルージュ」なんて言うキャッチコピーのついたあの製品をつけているのだろう。
「ねぇ。ヒントだけでももらえないかしら。」
「何のですか。」
「東雲先生の居所よ。こちらでは調べられるのも限られているのよね。」
「…前にも言いましたが、これは「契約」です。うちで書いてもらうときにちゃんと誓約書にも書いてますから。」
「プライベートを一切漏らすこと無いように。ってことでしょ?わかっているわ。でも今読者は何を求めているか、あなたにもわかるでしょう?」
「ではその一時の売り上げのために、東雲先生を手放すことになりますが。それで責任をとれますか。」
実際桐に書いてもらうまでに苦労もあった。その結果、うちの雑誌は廃刊へ追い込まれることはなかったのだ。
「だったら、あなた個人に聞きたいわ。」
「何をですか。」
「東雲先生のことよ。もちろん。どうして偽名を使ってしかも「官能小説」なんか書いているのかって。」
その言葉を内藤さんが発したことによって、この部署の人たちがむっとして彼女をみた。そして言葉を挟んできたのは、隣のデスクの男だった。
「聞き捨てならないですね。」
「何よ…。」
「官能小説が純文学よりも下等だ。そう言う風にとれますよ。」
男の言葉に彼女はぐっと言葉を飲み込んだ。
「そんなこと…。」
「東雲先生は、難しい人だ。その先生の神経を逆なでるようなことを、どうして俺たちがしないといけないんですか。」
「でもうちの部数も…。」
「だったらもっと他の記事を集めればいい。東雲先生のことを妙にかぎ回して、東雲先生に書いてもらえなくなればうちだって大打撃なんだから。」
内藤さんは何か言い足そうとしていたが、これ以上は無理だとさっと私のデスクから離れていった。
ため息をついてパソコンの電源をやっと入れる。そしてぬるくなってしまったコーヒーに口を付け、隣のデスクに首を向けた。
「ありがとうございます。久保さん。」
「大丈夫だよ。しかし、君も大変だな。」
「このままだと仕事に差し支えがありそうですね。」
「…それでなくても君はオーバーワーク気味なのにな。」
「…残業を減らせと言われましたよ。この前。」
「手伝ってあげたいけれど、こればかりは俺も手伝えないし。」
ため息をつき、画面を見るともうパソコンが立ち上がっていた。マウスを動かしクリックすると、メールが数件届いていた。
「そんなに忙しいと、恋人との時間もとれないんじゃないのか。」
「…それは何とかしますよ。」
恋人がいないと思いこんでいた久保さんは、私の方を見て驚いた表情をしていたようだが無視してまた私はパソコンに向かう。
夜19時。バスに乗り込むと、家路を急ぐ。バス停で降りると、スーパーに入っていった。一人であれば適当なモノを作るのだが、今日はそうはいかない。
夕食の材料を買い、家に帰る。いつもなら静かでひんやりした家なのに、玄関のドアを開けると奥の部屋から明かりが漏れていた。
「ただいま。」
そのドアを開けると、そこから煙草の煙とコーヒーの匂いがした。
「お帰り。」
そこにいたのはいつものスウェットと半纏を着た桐の姿だった。
彼はパソコンに向かいながら、「物語」を書いている。
「すすみ具合はどう?」
「あとでチェックして。」
「仕事を家に持ち込みたくないわ。チェックなら昼間にするし。」
ふすまを閉めて、台所へ向かう。そしてエプロンをつけて、買ってきた材料を冷蔵庫に入れた。
今日は生姜焼き。昨日から残っているコールスローと味噌汁、豆腐のあんかけを作るつもりだった。
食事は一人なら適当なモノを食べるつもりだ。しかし、今は違う。
桐がいる。しかし桐とは「ただの同居人」というスタンスでいた。私の恋人は会くまで笙さんだから。笙さんにそのことを話すと複雑そうな表情をしていたが、「仕方ないね」と言ってくれた。
ずっと住むわけではないのだから。あくまで桐が違う部屋を見つける間の、仮宿なのだ。
それでも私は救われているような気がする。
今まで「ただいま」といっても帰ってこなかったのだ。些細なことかもしれないが、それが私にとって桐を住まわせている唯一のメリットだった。
まずは「東雲」が「中村桐」であること。それから中村桐には犯罪者で薬漬けの母親がいること。その母親にネグレクトを受けていたこと。
それでも桐は平然としているように見えた。その理由は引っ越しにあると思う。引っ越しをすれば、彼の居所をマスコミが聞き回ることもない。
いなくなったアパートの周りをマスコミたちがかぎ回り、どこに引っ越したかなどを聞き回っているようにみえる。しかし隣の部屋の者にも繋がりがなかった桐だ。そんなことを知る人はいない。
その居所を唯一知っているのは、東雲の担当をしている私をはじめ他の担当者のみに限られた。もちろん、他部署の人たちがその場所をかぎ回ろうとしているのも知っている。その中の一人がいつも私をマークしているようだ。
「佐藤さん。」
デスクに戻ればいつも声をかけてくる。
「何ですか。内藤さん。」
内藤敬子。週刊誌の担当編集者。仕事の出来る人で、何度もスクープ記事を取ってきていては、表彰をされているのを見たことがある。
「今日は東雲先生のところへは行かないの?」
「今日は行きませんよ。他の作家のところへは行きますが。」
必要以上に赤い口紅。たぶん「いつでも付けたての艶めきルージュ」なんて言うキャッチコピーのついたあの製品をつけているのだろう。
「ねぇ。ヒントだけでももらえないかしら。」
「何のですか。」
「東雲先生の居所よ。こちらでは調べられるのも限られているのよね。」
「…前にも言いましたが、これは「契約」です。うちで書いてもらうときにちゃんと誓約書にも書いてますから。」
「プライベートを一切漏らすこと無いように。ってことでしょ?わかっているわ。でも今読者は何を求めているか、あなたにもわかるでしょう?」
「ではその一時の売り上げのために、東雲先生を手放すことになりますが。それで責任をとれますか。」
実際桐に書いてもらうまでに苦労もあった。その結果、うちの雑誌は廃刊へ追い込まれることはなかったのだ。
「だったら、あなた個人に聞きたいわ。」
「何をですか。」
「東雲先生のことよ。もちろん。どうして偽名を使ってしかも「官能小説」なんか書いているのかって。」
その言葉を内藤さんが発したことによって、この部署の人たちがむっとして彼女をみた。そして言葉を挟んできたのは、隣のデスクの男だった。
「聞き捨てならないですね。」
「何よ…。」
「官能小説が純文学よりも下等だ。そう言う風にとれますよ。」
男の言葉に彼女はぐっと言葉を飲み込んだ。
「そんなこと…。」
「東雲先生は、難しい人だ。その先生の神経を逆なでるようなことを、どうして俺たちがしないといけないんですか。」
「でもうちの部数も…。」
「だったらもっと他の記事を集めればいい。東雲先生のことを妙にかぎ回して、東雲先生に書いてもらえなくなればうちだって大打撃なんだから。」
内藤さんは何か言い足そうとしていたが、これ以上は無理だとさっと私のデスクから離れていった。
ため息をついてパソコンの電源をやっと入れる。そしてぬるくなってしまったコーヒーに口を付け、隣のデスクに首を向けた。
「ありがとうございます。久保さん。」
「大丈夫だよ。しかし、君も大変だな。」
「このままだと仕事に差し支えがありそうですね。」
「…それでなくても君はオーバーワーク気味なのにな。」
「…残業を減らせと言われましたよ。この前。」
「手伝ってあげたいけれど、こればかりは俺も手伝えないし。」
ため息をつき、画面を見るともうパソコンが立ち上がっていた。マウスを動かしクリックすると、メールが数件届いていた。
「そんなに忙しいと、恋人との時間もとれないんじゃないのか。」
「…それは何とかしますよ。」
恋人がいないと思いこんでいた久保さんは、私の方を見て驚いた表情をしていたようだが無視してまた私はパソコンに向かう。
夜19時。バスに乗り込むと、家路を急ぐ。バス停で降りると、スーパーに入っていった。一人であれば適当なモノを作るのだが、今日はそうはいかない。
夕食の材料を買い、家に帰る。いつもなら静かでひんやりした家なのに、玄関のドアを開けると奥の部屋から明かりが漏れていた。
「ただいま。」
そのドアを開けると、そこから煙草の煙とコーヒーの匂いがした。
「お帰り。」
そこにいたのはいつものスウェットと半纏を着た桐の姿だった。
彼はパソコンに向かいながら、「物語」を書いている。
「すすみ具合はどう?」
「あとでチェックして。」
「仕事を家に持ち込みたくないわ。チェックなら昼間にするし。」
ふすまを閉めて、台所へ向かう。そしてエプロンをつけて、買ってきた材料を冷蔵庫に入れた。
今日は生姜焼き。昨日から残っているコールスローと味噌汁、豆腐のあんかけを作るつもりだった。
食事は一人なら適当なモノを食べるつもりだ。しかし、今は違う。
桐がいる。しかし桐とは「ただの同居人」というスタンスでいた。私の恋人は会くまで笙さんだから。笙さんにそのことを話すと複雑そうな表情をしていたが、「仕方ないね」と言ってくれた。
ずっと住むわけではないのだから。あくまで桐が違う部屋を見つける間の、仮宿なのだ。
それでも私は救われているような気がする。
今まで「ただいま」といっても帰ってこなかったのだ。些細なことかもしれないが、それが私にとって桐を住まわせている唯一のメリットだった。
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