テロリストと兵士

神崎

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 早朝。隆は累を連れて、家を出る。
 昨日のうちに店の改装は終わったので少し余裕がある二人は、音香が休みなのを理由に島へ行くことにしたのだ。
 そもそも結婚すると言っていた彼にとっては、少し遅すぎる決断だったかもしれない。手紙で今日累を連れて行くことは伝えてある。どんな反応をするのか楽しみだ。
 累はそれを知ってか知らずか、久しぶりに出た市場でおみやげの選定をしていた。なじみの漬け物屋の漬け物や早取りの春の果物を買っているように見える。
「そんなに気合いを入れなくてもいい。」
「でも……初めて会うんですから、あまり悪い印象は持ちたくありませんし。」
「お前を悪い印象でみるヤツなんかいないだろう。」
 買ったものを隆が持つと、定期船の船に乗り込んだ。朝一番の船に乗り、一番遅い船で帰る予定だ。どうせなら島を案内したいと思った隆の優しさだった。
 しかし累の心情は複雑だった。あの島にはいい思い出がない。
 藍の正体を知り、覚醒し、何人もの人を切った。敵、味方関係なく、死体の山を築いた彼女は、鬼神のようだったと彩は言っていた。
 もうそんな姿になりたくない。
 進み出した船のいすに腰掛けて、累は隆を見上げる。この人と一緒にいたい。そして穏やかに、日々を過ごしていけばいいのだ。
「どうした。」
「なんて挨拶をすればいいのかと……。」
「何だ。柄にもないな。緊張しているのか。」
「……普段お客様に接するようにではなく、自分を出さないといけないと言うのが、やはり緊張するのでしょうか。」
 その言葉に隆は少し笑った。
「そんなに構えるな。あっちは孫が生まれたばかりだ。俺らなんかに目をくれない。」
「そうですか?」
 妹の子供は本当の自分たちの子供だ。本当の子供のように育ててくれたのかもしれないが、やはり可愛いのは自分の子供だろうと、彼には彼なりの劣等感があった。
 やがて島が近づき、島の湾内に到着した。この島は、どうやら漁業も盛んだが養殖も盛んらしく、至る所にブイが見える。
「何を養殖しているんですか?」
「牡蠣だ。あとワカメとか。」
「美味しそうですね。」
「今は終わりかけだが食べてみるか?」
「そうですね。でも……。」
「どうした。」
「牡蠣は当たりやすいと言います。大丈夫でしょうか。」
「養殖はあまり生で食べたりしないな。火を通すのが一般的だ。焼いたり、蒸したり、茹でたり、あと……。」
「牡蛎フライですか?」
「あぁ。この島でとれた牡蛎フライは絶品だ。」
 本当に好きなのだろう。彼女はその横顔を見て微笑んだ。

 やがて港にたどり着くと、累は周りを見渡す。あの戦争の日、やってきたこの島は、完全に元に戻っているような気がした。海女といわれる女性が行き交い、アワビやサザエを手に業者に値段交渉をしていた。その横では、観光客用に炭をおこした屋台が牡蠣を焼いている。
「美味しそうですね。」
「あとで食べよう。」
 すると一人の女性が彼女らに声をかけた。
「隆。」
 まるっとしたころころと転がりそうな小さく可愛らしい中年女性だった。
「母さん。」
「この船で帰ってくるなんて思っても見なかったわ。早かったのね。」
「母さんは?仕事帰り?」
「そう。初めまして。隆の母です。」
「累です。初めまして。」
 母だという女性は黒いウェットスーツみたいなものを着ている。おそらく海女をしているのだろう。少し想像と違った。
「累さんね。可愛らしいお嬢さんだこと。それにずいぶん年下のお嬢さんね。おいくつ?」
「もうすぐ二十六です。」
「まぁ、若いわね。翠よりも年下だし、ちょうどいいわぁ。」
 困ったように累は隆を見上げる。勝手にしゃべり、勝手に納得する典型的なおばさんだが、変な風にとらえそうになりそうだと思ったのだ。
「母さん。家に連れて行っていいかな。」
「えぇ。もちろんよ。あたしもすぐ帰って、昼の用意をするわ。翠も帰ってくるって言ってたし。」
 あまり人がいないような島だ。年寄りが多く、隆の母ですら若いうちにはいるのだろう。だがみんな必死に生きている。船を造り、養殖や漁をして生活をしていた。
 そんな人たちを彼女は殺したのだ。ぐっと手を握り、そして丘の上に視線を移した。
「あれは?」
 小高い丘の上に果実などの木と混じって、白い建物が見えた。あまり大きくはなさそうだ。
「あぁ。あれが社だ。」
「社?」
「あそこに神官が住んでいる。今の神官長は女だったか。それに数人の神官が仕えている。」
「隆がしたかったという、あれですか?」
「そう。でもまぁ、しなかったけど。」
 移民が多かったこの島では、神に仕えることでこの土地のものと認められるところがある。それが以外のものは、この土地のものとして認められないこともある。
 だから隆の母にも、神に仕えている証拠として入れ墨があった。左手の手の甲。女性はそこに入れ墨を入れるのだ。
「……。」
 だが母はそんなことを気にしていないようだ。ただ毎日供え物を社に備えて、手を合わせるだけだった。
「最近は、あんたみたいに外に出る若い人も多いしねぇ。供え物は取り分によってだけど、あまり少なくても神官様に悪いし。」
「神が供え物が少ないから、ご加護を少なくしようなんて思うかな。」
「そんなことは思っちゃいないだろうけどねぇ。」
 小高い丘にへばりつくように立っている家。古い家が多く、空き家も多い。だが密集した家々で、そこを通る道も狭い。人が二人やっと並んで歩けるくらいの道だった。
「さ、付いたわ。」
 その中の一つに足を止める。茶色の家で、少しのスペースに畑がある。そしてその家の側に黒い犬が繋がれていた。
「あ、犬飼ったのか?」
 隆はその犬に手を伸ばして、頭を撫でる。あまり吠えない犬のようで大人しい。
「そうよ。隣の人が本土に引っ越すからって、犬を殺処分するっていうのをうちの人が聞いて引き取ったのよ。でも番犬にもならないわ。吠えないもの。」
 だが大人しい犬は、隆の指を舐めてご機嫌を取っているようだ。
「……いい犬だ。毛並みもいいし。累。そう思わないか?」
 しかし累はその様子を遠巻きに見ていた。
「えぇ。そうですね。」
「どうした?」
「……。」
「あら。犬は苦手だったのかしら。大丈夫よ。この子、咬まないから。」
 そう母はいってくれるが、彼女はその犬に近づこうともしない。
「昔、大きな犬に追いかけられたことがあって……それ以来、犬はちょっと……。」
 本当は違う。
 犬をはじめ、動物は敏感だ。もし累が近づけば、大人しい犬でも身の危険を感じ彼女に襲いかかってくるだろう。それを彼女は気にしたのだ。
「そうか。あまり好き嫌いはないと思っていたんだがな。」
 すると母は外付けの風呂場へ向かっていく。
「隆。家の中に入ってていいわ。お父さんがいるでしょ?」
「わかった。累。犬を押さえているから行こう。」
 隆にそう促され、累はその犬の横を通り家の中に入ろうとした。しかしふと犬の方を思わず見てしまう。
 犬は彼女を見て、一瞬顔をこわばらせた。そして低くうなる。だが彼女はじっとその犬をみた。すると犬の方から大人しく犬小屋へ入っていった。
「累。」
「……脅かすつもりはなかったのですが。」
「まぁ……いい。変に吠えられるよりはいいかもしれない。」
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