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第四幕 よみがえりのノクターン

49.後悔を捨てて

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◇◇

 翌日。善は急げという言葉に従った私は、楓庵が閉店した後、例の作戦を決行することにした。
 ちなみに八尋さんには「今夜、仕事が終わった後に時間をください!」としか告げていない。だって私が黄泉に行ってノクターンに体を乗っ取らせる、なんて話したら、反対されるに決まっているもの。
 そして私の体に乗り移ったノクターンについては、八尋さんと楓庵でお話しをし終えたら、ソラが黄泉に連れて帰り、私は自分の体に戻るという手順だ。

「辞める気はないんだな?」

 今日最後のお客様であるインコのキューちゃんの『黄泉送り』を前に、ソラが私に呆れた様子で問いかけてきたけど、私は何でもないようにさらりと問い返した。

「今さら何を言ってるの?」

「ったく。どうなっても知らねえからな」

「ふふ。平気だって! どうにかなる!」

 本心はかなり不安だけど、それを表に出そうものなら中止にされかねない。
 だから私はソラからインコのキューちゃんに視線を移して

「バイバイ! キューちゃん! 向こうでも元気でね!」

 と明るく挨拶してごまかした。

 ソラが黄泉送りに行っている間に、私と八尋さんはお客様のお見送りを終えて、店じまいの支度をはじめた。
 普段だったら、その日あった出来事や客のことで、一方的にベラベラと回る私の口が、この時ばかりは上下の唇が縫い付けられたかのようにまったく動かない。私の次によくしゃべるソラも、10分くらいで戻ってくるはずなのに、20分たってもやってこず、店内は静まり返ったまま清掃が終わった。
 カウンターで一息ついていると、八尋さんがコーヒーを差し出しながら問いかけてきた。

「そろそろ話してくれないかな? 今夜、美乃里さんは何をするつもりなんだい?」

 穏やかだけど有無を言わさぬ口調だ。それにあと少しすれば、いずれにしても作戦の内容はばれるに決まってる。
 そこで私は事細かに説明した。すべてを聞き終えた後、八尋さんは小さなため息を漏らし、自分のカップに口をつけた。

「やっぱり反対……ですよね?」

 コーヒーカップで顔の下半分を隠しながら、恐る恐る問いかけた私に対し、八尋さんは目を細めて微笑んだ。

「反対しても辞める気はないんだろう?」

 無言でコクリとうなずく。

「だったら反対なんてしないよ。でも一つだけ聞かせてくれるかな?」

 もう一度、無言でうなずいた。

「どうしてそこまでして僕にノクターンと会わせようと頑張ってくれるのかな?」

「八尋さんが前に進むためです……というのは表向きの理由で、本当は自分が前に進むためなんだと思います」

「美乃里さんが前に?」

 八尋さんは首を傾げて目を見開いた。
 私は呼吸を整えた後、これまで誰にも話せなかった胸の内を語り始めたのだった。

「私、10年以上も前から後悔していることがあって……。
 親友の――名前は綾香っていうんですけどね。重い病気でずっと入院していたんです。
 高校3年生の春、彼女はもう動けなくてなっていて、お医者さんから私たちにも『無理はさせないように』って聞かされてました。
 でも彼女は『桜が見たい』って私にお願いしてきたんですよ。
 私は『病気を治して来年見よう!』って彼女のお願いを突っぱねました。
 私、綾香なら絶対に病気に負けないで、元気になれるって信じてたんです。だから今はお医者さんの言う通りにするのが良いと思ってました。
 彼女は『そうね』と口では納得してましたけど、表情は悲しそうでした。
 それからその数日後のことです。彼女は亡くなりました。
 私、すごく後悔して。
 なんで彼女の最期の望みをかなえてあげられなかったんだろうって。
 その時からの私は、他人の顔色ばかりを気にするようになってました。
 相手のことを傷つけるのが怖くて、本心をさらけ出すことができなくなってしまったんです。
 そんな自分を変えたいと、ずっと思ってました。でも10年以上も全然変われなくて……。
 浮気してた彼氏にふられた時も、勤めている会社から理不尽な目にあわされた時も、私は何も言えなかった。
 ああ、あの時の『後悔』を背負ったまま、この先も生きていかなきゃならないんだな……。そうあきらめかけてたんです。
 でもソラに出会って、ここで働かせてもらえるようになったから、もう一度前に進みたい、って思えるようになりました。
 きっと……いや、絶対に、飼い主とペットがどんなに哀しくても前に進もうと必死に頑張っているのを、ずっと間近に見てきたからです。
 でも後悔を捨てて前に進むにはどうすればいいのか、分かりませんでした。
 そんな時です。八尋さんから秘密を打ち明けられたのは――」

「美乃里さん……」

 なぜか両目から涙があふれ出てきた。
 でもまだ何も始まってないんだ。
 泣いてなんかいられない。
 ゴシゴシと涙を拭いてから、ぐっとお腹に力を入れて続けた。

「私と同じなんだって思いました。
 あ、もちろん私と違って、八尋さんには素晴らしい才能があるのは分かってます。でも『後悔』を抱えたまま前に進めないのは、まったく一緒だなって。
 そしてピアノの演奏を通じて、八尋さんの心の叫びを知りました。
 前に進みたくて必死にもがいている。それも私と一緒……」

 八尋さんは口を固く結んだまま、私を見つめている。
 否定も肯定もしないけど、私の言葉を受け入れようとしてくれていることだけは伝わってきた。だから私は迷わずに、はっきりとした口調で続けた。

「だから八尋さんが前に進むことができたなら、私も前に進める気がしたんです。
 確信はありません。
 でも信じてます。
 八尋さんも私も『後悔』を捨てて、前に進めるんだって。
 そのきっかけは、八尋さんがノクターンと会ってお話しすることから始まると思ってるんです」

「そうか……」

 八尋さんは言葉を切って、ゆったりとした動きでコーヒーを口にする。
 そうしてしばらくたってから、コーヒーカップをソーサーに置いた後、私と目を合わせると、小さく頭を下げたのだった。 

「よろしく頼むよ。僕にノクターンと会わせてくれ。君を信じてるから」
 
 ぐわっと腹の奥から熱いものがこみ上げてきて、体中が熱くなる。
 ちょっとでも油断すればまた泣いてしまいそうだ。
 それをごまかそうと、一気にコーヒーを飲み干す。ほぼ同時に「チリリン」とドアの鈴が鳴り、ソラが戻ってきた。
 
「黄泉送りの時間だ! 美乃里、ついてこい!」

 私は勢いよく立ち上がり、八尋さんに目を向けた。
 八尋さんは柔らかな笑みを浮かべて、小さく顎を引く。
 とんと背中を押されたような気がした。

「いってきます!」

 こうして私にとって生まれて初めての『黄泉送り』が幕を開けたのだった。
 
 
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