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第四幕 よみがえりのノクターン
45.答え
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◇◇
私が楓庵の仕事に復帰したのは、頭を強く打ってから1週間後のことだった。八尋さんのことについて、気になっていた話を全部聞けて、モヤモヤしたものがなくなったのが大きいのかもしれない。
「おはよう。美乃里さん」
「おはようございます! 八尋さん」
自然にあいさつできたし、八尋さんの目を見ても動転しないですんだ。
でも本当はすごく悩んでいることを隠している……。
「おはよう」
カウンターに座っていたソラがふいに挨拶してきた。
私は二度まばたきをして気を落ち着かせると、
「おはよう! ソラ!」
元気な声で返した。
ソラはそんな私の目をじろりと覗き込んできたが、すぐにマンガ本に視線を戻して「今日は頭打つなよ」と憎まれ口をたたいてくる。
彼が何も言ってこないことに安心した私は、
「分かってるって!」
と軽い返事をして、足早にキッチンの方へ向かった。
途中、カウンターで八尋さんとすれ違ったけど、視線を交わしただけで、互いに声をかけることはなかった。
そうしてキッチンの奥にある荷物置き場でコートを脱ぎ、エプロンに袖と頭を通したところで、大きなため息をついた。
「はぁ……。どうしよう……」
私を悩ませているのは、言うまでもなく八尋さんのことだ。
あの夜、彼は最後にこう言った。
――僕はね。ノクターンを失ったあの日から……いや、花音を死なせてしまった時から、前に進む資格なんて持ち合わせていない。
大きな喪失感と罪悪感を背負いながら、これからも生きていくだけ、と心得ているつもりさ。
だからもしノクターンに会って『ごめんね』と『さよなら』を言えたとしても、ずっと楓庵で働くつもりだ。
人とペットが最期のお別れをする楓庵を守っていくことが、僕ができるせめてもの罪滅ぼしだと考えているからね。
じゃあ、そろそろ失礼するよ。話を聞いてくれてありがとう。おかげで少しすっきりしたよ。
この埋め合わせはどこかでしなくちゃいけないね。
ひとり病室に残された後も、私はずっと考え続けていた。
何をすべきなんだろう、って。
でもその答えは今になってもまだ見つかっていない。そもそも完全な部外者である私が首を突っ込むこと自体、間違っているのかもしれないし。
――ニンゲンってのはなぁ。後悔や悲しみを背負って生きていかなきゃなんねえヤツもいるんだよ。そういうヤツの心の中は、他人が土足で踏み込めるような場所じゃねえんだ。そのことを忘れるな。
今ならソラの言葉が分かる気がする。
きっと私が手出ししちゃいけないところなんだ……。
八尋さんを後悔の海から引きずり出してみせる、なんて息巻いていた自分が恥ずかしい。
うなだれながらキッチンへ出る。
……と、そこに待っていたのはソラだった。
「ったく、シケた面しやがって。露骨に『私は悩んでます』って顔してんじゃねえよ」
腕を組んで横を向いているソラ。やっぱりお見通しだったか……。
「仕方ないでしょ。本当に悩んでるんだから」
「八尋のことか?」
「……うん。ねえ、ソラ! 私、いったいどうすべきなの? 何が答えなの!?」
「待て、待て。俺はおまえじゃねえんだ。俺に聞かれても困る。それによ……」
そこで言葉を切ったソラはくるっと背を向けると、重い口調で続けたのだった。
「おまえはいつだって『どうすべきか』じゃなくて『どうしたいか』で動いてきたじゃねえか」
ずんと胸に響く言葉だ……。
『どうすべきか』ではなく『どうしたいか』――。
――ふふ。ミノは変わる必要なんてないと思う。相手のことを真剣に考えて、行動に移せる人なんて、他に知らないもの。私はミノが友達であることが、とても誇らしい。
もう会えない親友の声がじわりと胸の内側からにじみ出てくる。
それでも私には決心がつかなかった。
だってもし私のしたいことが叶えられたら、八尋さんは……。
下唇をぎゅっとかみしめながら、動けないでいる私。
するとソラは、キッチンを出る扉の前まで行ったにも関わらず、もう一度私の方へ振り返った。
「ったく。二人とも世話が焼けるなぁ」
ぶつくさ言いながら大股で近づいてくるやいなや、顔を真っ赤にして口を尖らせた。
「もういいから、店じまいした後、こっそり外で立って待ってろ!」
「どういうこと?」
「おまえの言う『答え』とやらが見つかるはずだ、って言ってんだよ!」
あまりに意外すぎて、ぽかんと口を半開きにして固まってしまった私をしり目に、ソラはプリプリしながらカウンターの方へと消えていったのだった。
私が楓庵の仕事に復帰したのは、頭を強く打ってから1週間後のことだった。八尋さんのことについて、気になっていた話を全部聞けて、モヤモヤしたものがなくなったのが大きいのかもしれない。
「おはよう。美乃里さん」
「おはようございます! 八尋さん」
自然にあいさつできたし、八尋さんの目を見ても動転しないですんだ。
でも本当はすごく悩んでいることを隠している……。
「おはよう」
カウンターに座っていたソラがふいに挨拶してきた。
私は二度まばたきをして気を落ち着かせると、
「おはよう! ソラ!」
元気な声で返した。
ソラはそんな私の目をじろりと覗き込んできたが、すぐにマンガ本に視線を戻して「今日は頭打つなよ」と憎まれ口をたたいてくる。
彼が何も言ってこないことに安心した私は、
「分かってるって!」
と軽い返事をして、足早にキッチンの方へ向かった。
途中、カウンターで八尋さんとすれ違ったけど、視線を交わしただけで、互いに声をかけることはなかった。
そうしてキッチンの奥にある荷物置き場でコートを脱ぎ、エプロンに袖と頭を通したところで、大きなため息をついた。
「はぁ……。どうしよう……」
私を悩ませているのは、言うまでもなく八尋さんのことだ。
あの夜、彼は最後にこう言った。
――僕はね。ノクターンを失ったあの日から……いや、花音を死なせてしまった時から、前に進む資格なんて持ち合わせていない。
大きな喪失感と罪悪感を背負いながら、これからも生きていくだけ、と心得ているつもりさ。
だからもしノクターンに会って『ごめんね』と『さよなら』を言えたとしても、ずっと楓庵で働くつもりだ。
人とペットが最期のお別れをする楓庵を守っていくことが、僕ができるせめてもの罪滅ぼしだと考えているからね。
じゃあ、そろそろ失礼するよ。話を聞いてくれてありがとう。おかげで少しすっきりしたよ。
この埋め合わせはどこかでしなくちゃいけないね。
ひとり病室に残された後も、私はずっと考え続けていた。
何をすべきなんだろう、って。
でもその答えは今になってもまだ見つかっていない。そもそも完全な部外者である私が首を突っ込むこと自体、間違っているのかもしれないし。
――ニンゲンってのはなぁ。後悔や悲しみを背負って生きていかなきゃなんねえヤツもいるんだよ。そういうヤツの心の中は、他人が土足で踏み込めるような場所じゃねえんだ。そのことを忘れるな。
今ならソラの言葉が分かる気がする。
きっと私が手出ししちゃいけないところなんだ……。
八尋さんを後悔の海から引きずり出してみせる、なんて息巻いていた自分が恥ずかしい。
うなだれながらキッチンへ出る。
……と、そこに待っていたのはソラだった。
「ったく、シケた面しやがって。露骨に『私は悩んでます』って顔してんじゃねえよ」
腕を組んで横を向いているソラ。やっぱりお見通しだったか……。
「仕方ないでしょ。本当に悩んでるんだから」
「八尋のことか?」
「……うん。ねえ、ソラ! 私、いったいどうすべきなの? 何が答えなの!?」
「待て、待て。俺はおまえじゃねえんだ。俺に聞かれても困る。それによ……」
そこで言葉を切ったソラはくるっと背を向けると、重い口調で続けたのだった。
「おまえはいつだって『どうすべきか』じゃなくて『どうしたいか』で動いてきたじゃねえか」
ずんと胸に響く言葉だ……。
『どうすべきか』ではなく『どうしたいか』――。
――ふふ。ミノは変わる必要なんてないと思う。相手のことを真剣に考えて、行動に移せる人なんて、他に知らないもの。私はミノが友達であることが、とても誇らしい。
もう会えない親友の声がじわりと胸の内側からにじみ出てくる。
それでも私には決心がつかなかった。
だってもし私のしたいことが叶えられたら、八尋さんは……。
下唇をぎゅっとかみしめながら、動けないでいる私。
するとソラは、キッチンを出る扉の前まで行ったにも関わらず、もう一度私の方へ振り返った。
「ったく。二人とも世話が焼けるなぁ」
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「もういいから、店じまいした後、こっそり外で立って待ってろ!」
「どういうこと?」
「おまえの言う『答え』とやらが見つかるはずだ、って言ってんだよ!」
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